残酷な現実
(3)

「……華久夜さまは、莱牙さまたちがたたれてすぐ容態が急変してね、ほとんど意識がなくなりかけたから、急いで残っていた薬を差し上げたんだ。だから、今は回復を待っているところだよ」
 素直じゃない莱牙を見て、紗霧羅は苦笑いを浮かべつつ、そう説明する。
 すると、ゆっくりと莱牙の顔が紗霧羅に向けられた。
 そして、どこか覇気なく、つぶやかれる。
「そ、そうか……。すまなかった……」
 眉尻を下げ、複雑そうな表情を浮かべた。
 普段の莱牙からは想像ができないくらい、しおらしい。
 本当は、体いっぱいで喜びを、感謝を表現したいところだけれど、莱牙の高すぎる王族としてのプライドがそれを許してくれない。
 葛藤が繰り広げられている。
 それが、ひしひしと伝わってくるから……紗霧羅はただ、困ったように微笑むしかできなかった。
 本当に、意地っ張りで素直になれない、困った王族様である。
 しかしまあ、それも、莱牙のこの複雑な立場がそうさせているのかもしれない。
 王族でありながら、ぞんざいな扱いを受ける、傍流に追いやられた王族の定め……。
 それが、今、莱牙が置かれている立場。
「いや。莱牙さまは、華久夜さまのために行かれたのだとよくわかっていたよ。だから、そう気落ちしなさんなって。もう心配はいらないのだしね?」
 紗霧羅のその言葉に、莱牙は驚いたように紗霧羅を見つめ、そしてずるずるとその場にしゃがみこんでしまった。
 あのプライドの高い傍流王族が見せた、格好悪い姿。
 とうとう、たえきれなくなってしまったのだろう。
 その安堵感に。
 ここにいる誰も、それを笑う者はいない。
 誰もが、莱牙の気持ちをよく理解しているから。
 そして、自分たちも、同じ思いだから。
「よかったね。莱牙さま……」
 ぺたんと床に座る莱牙に、世凪の腕の中からするりと抜け出した柚巴が歩みよってきた。
 そして、莱牙の目の前にちょこんとしゃがみこみ、にっこりと微笑みかけ、そう言った。
 それから、ゆっくりと立ち上がり、今度は気持ち良さそうに寝息を立てる華久夜の顔を優しくのぞきこむ。
 そんな柚巴の行動を、莱牙はぼんやりと見ていた。
 いつか見た、はじめて柚巴を見た……あの時のように。
 あの時のような気持ちを抱き。
 どこかまぶしく、神々しい、女神と見間違えたあの時――
 あの時の光景が再び、ふっと頭をよぎり、莱牙の思考は一瞬、あの時、あの瞬間へと馳せていた。
 まぶしそうに柚巴を見つめる。
「ねえ、ところで由岐耶さん。竜桐さんたちは?」
 寝息を立てる華久夜の頬にふわっと触れながら、柚巴は由岐耶にそう尋ねた。
 すると、由岐耶もまた、ぼんやりと柚巴を眺めていたのか、はっと我に返り、慌てて答える。
「は、はい。それが……わたし一人を残し、後の者たちは、皆街へ出ています」
「え……?」
 柚巴は振り返り、いつの間にかすぐ後ろにやって来ていた由岐耶をじっと見つめた。
 すると、由岐耶はふわりと優しく微笑み、少し困ったように肩をすくめる。
 それは、一体何を意味しているのかはわからないが……その瞳が妙に優しく、そして熱っぽく柚巴を映しているので、決して悪いことを意味しているのではないだろう。
 むしろ、由岐耶が胸の内で抱く、複雑な感情、そして葛藤が、ふっと表に出てきてしまった……そういうふうにも見てとれる。
「街の秩序を保つために……です。わたしは、ここで華久夜さまを看ているよう言われました。もし仮に、何かあった時に多少なりと、そして、姫さま方がお戻りになられた時に、この力が役に立てばと……」
 柚巴は、由岐耶のその言葉を聞き、一瞬目を見開いたが、すぐにふわっと微笑を浮かべた。
 それだけでは、一見、あまり意味を解することができない言葉だが、柚巴には十分に伝わっている。
 『もし仮に、何かあった時』、それは、華久夜の容態が急変した時。
 『姫さま方がお戻りになられた時』、それは、無傷で戻って来るなど、誰も思っていない。
 下手をすれば、ぼろぼろになり、瀕死の状態にあるかもしれない……。
 そんな最悪な状況を予測し、由岐耶は一人、ここに残されていたのだろう。
 それはすなわち、もしもの時は、悲惨な状態が由岐耶一人の肩にかかることを意味している。
 苦しみを、一人で抱えなければならなかった。
 しかし、奇跡なのか、誰一人傷つくことなく、無事に戻ってきた。
 こんなに喜ばしいことはない。
 何より、柚巴が無事であったことが嬉しくてたまらない。
 しかし、この状況。それをあらわにすることができないのが、少し悔しいところである。
 今も、限夢界では、着実に、死に向かいつつある者たちがいるのだから。
 そして、本音を言うならば……世凪には、少しくらいは傷ついていて欲しかったかもしれない。
 それは、抱いてはいけない黒い感情だけれど、普段の柚巴と世凪を見ていたら、ついつい抱いてしまう感情でもある。
 まさか自分が、こんな醜い感情を抱くとは思いもよらなかった。
 しかし、日に日に仲睦まじくなっていく二人を見るのは、とても辛いから……。
 諦めなければならないのに、受け入れなければならないのに、頭ではそう分っているのに、心のどこかがそれを拒否する。
 はやく、心から、二人を祝福できる日がやってくればよいのに……。
 それだけしか、この苦しみから解放される術がないように思えてならない。
 由岐耶は、目の前で微笑む柚巴を見つめ、胸の内でそう悲鳴を上げる。
「ありがとうございます。後はもう大丈夫ですから、由岐耶さんも行ってください。……行きたかったのでしょう?」
 のぞき込むように見つめてくる柚巴の口から、そのような言葉がもたらされた。
 由岐耶は、驚いたように目を見開く。
 どうして、それがわかったのか……と。
 たしかに、一人ここに残されていくことを辛く、苦しく思ったのは、半分くらいはそのような思いのためだった。
 半分は、限夢界のために何かしたくてもできないこの状況へ抱くもどかしさ。
 もう半分は、一人で柚巴たちを迎えなければならない苦しさ、切なさ。
 後者の思いは、どうやら柚巴にはわからなかったようだが、前者は言い当てられてしまった。
 この少女は、どうして人の思いに敏感に気づくことができるのだろうか。
 いつだったか、言ってくれたことがある。
 この治癒系の力を大切に……と。
 今も、あの時と同じ思いが、嬉しさが、由岐耶の胸に広がっていく。
「姫さまにはかないませんね。では、失礼させていただきます」
 柚巴の言葉に微苦笑を浮かべ、由岐耶はすっと一礼して、そのまま消えていく。
 柚巴もまた、微笑み、消える由岐耶を見送っている。
 その光景をおもしろく思えないのが、こちらの二人。
 俺様王子様の世凪、傍流王族様の莱牙。
 何やら、心と心で会話しているようなそんな雰囲気をまとっていた柚巴と由岐耶に、いらだちを覚えていた。
 さすがに、この二人にも分別というものはあったらしく、今は爆発している場合ではないと、必死にその衝動をこらえているようではあったけれど……。
 あと一分、一秒、その時間が長ければ……間違いなく、二人は爆発していただろう。
 そう思えるくらい、二人は不機嫌だった。
「それじゃあ、わたしらも王宮へ行って、薬の配布に協力してくるよ。莱牙さま」
 そのような二人に気づいているにもかかわらず、あっけらかんとこう言ってのけられるのは、やはりこの人。紗霧羅姐さんしかいない。
 ふるふると震える莱牙の肩をぽんとたたく。
 すると、莱牙の震えはぴたっと止まり、ふんと不遜な態度にはやがわりした。
「待て。わたしも行く」
 そんな言葉を添えて。
「え? だけど莱牙さま……」
 莱牙のまさかの発言に、紗霧羅は顔をしかめる。
 莱牙のことだから、当然この後は、ずっと華久夜につき添っていると思っていたものの……莱牙が下した答えは、まったく予想外のものだった。
「かまわん。華久夜の無事がわかれば、今はそれでいい。行くぞ!」
 いつもの調子で、莱牙はどこか偉そうにそう言い放つ。
 そして、いつの間にやら柚巴をぎゅむっと抱きしめていた世凪に、きっとひとにらみを入れる。
 まったく、この王子様ときたら、先ほどまですねていたと思いきや、瞬間移動の如く柚巴のもとにやって来て、そして柚巴を抱きしめているなど……。
 この王子様が、もしかすると、いちばんこの緊迫した状況を理解していないのかもしれない。
 そして、この態度が何より、柚巴以外はどうでもいいと語っているように思えてならない。
 ……まあ、事実、世凪にとっては、柚巴以上のものなどないのだろうけれど。
 そうやって、おかしな方向に流れつつある中、パルパラ病終息のために、柚巴たちは王宮へと向かう。


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update:04/06/02