生き返る街
(1)

「ひとまずは片づいたな」
 限夢界、限夢宮。
 その奥に位置する王子の居住区。
 そこにある私室のベッドに、どっと倒れこむ王子。
 ふわふわの巨大ベッドに、王子の体が沈みこむ。
 どこか顔色が悪い。
 そして、体は鉛のように重く感じる。
 柚巴は、そんな王子の顔を、心配そうにのぞき込む。
 自らも王子のふわふわベッドに腰かけ、ふわりと王子の頬に触れ。
「そうだね。大丈夫? 世凪……。だいぶ疲れているようだけれど……」
 柚巴が頬に触れた瞬間、王子……世凪は、気持ち良さそうに目を細めた。
 そして、同時に、ぐいっと柚巴を抱き寄せる。
 横たわる自分の胸の上に柚巴を抱き寄せ、そこでぎゅうと抱きしめる。
「大丈夫だ……。柚巴……」
 世凪は優しくそうつぶやくと、すっと目を閉じた。
 そしていっそう、柚巴を抱く腕に力をこめる。
 それはまるで、放さないと、逃さないというかのように。
 柚巴のぬくもりを感じ、至上の喜びにひたっているようだった。
 胸は、規則的に鼓動を刻み、落ち着きを払っていた。
 その胸が刻むリズムは、まるで……柚巴がそこにいるだけで、安心できると、幸せだと語っているようだった。
 この時間があれば、他は何もいらない。
 ただ、ここに柚巴がいれば。
 柚巴もまた、幸せそうに世凪の胸にぽすっと頭をしずめる。
 そうして、二人、幸せな甘いひと時を過ごす……と思われたものの、柚巴の顔が急に強張った。
 そして、自らを抱く世凪の腕を乱暴に振り払い、がばっと起き上がる。
「放して、世凪!!」
 柚巴の急変に、世凪は不満げに柚巴を見つめた。
 しかし、柚巴はそんなことにはかまわず、ばばっとベッドから飛び出て、寝室の扉までかけていった。
 そして、乱暴に扉を開け放つ。
「梓海道! 梓海道はいる!?」
 柚巴のそのような叫びに、はっと何かに気づいたのか、世凪は慌てて体を起こした。
「ゆ、柚巴!?」
 青ざめた顔で、多少焦りの色も見える。
 あの世凪からしたら、意外な反応である。
 そして、ベッドから出ようとした時、柚巴の目の前に梓海道の姿が、霧のように現れた。
 柚巴の足元にひざまずいている。
 いつもの柚巴なら、「そんなことはしないで」と言うところだけれど、どうやらそれどころではないらしい。
 今回に限り、そのような言葉が梓海道にもたらされることはなかった。
 梓海道の姿を確認した瞬間、青ざめた顔で叫んでいたから。
「梓海道、お願い。すぐに幻撞おじいちゃんのところへ行って、薬を頼んできて……!」
 柚巴のいつもとは違う反応とその言葉に、梓海道の表情が瞬時に険しくなる。
 そして、驚きの色に満ちた目で、柚巴をじっと見つめる。
「……と、申しますと……!?」
 信じられないと柚巴を見つめる梓海道に、柚巴は苦しげにこくんとうなずいた。
 それで梓海道は目を見開いたが、すぐにふるっと頭を一度振り、いつもの冷静さを取り戻す。
 そして、立ち上がり、柚巴に一礼をする。
「わかりました」
 そのまま、梓海道の姿は柚巴の前から消えていった。
 それを見送る柚巴に、ため息まじりの世凪の声がかけられる。
 ベッドに腰かけ、どこかおもしろくなさそうに柚巴を見ている。
「……なぜ、わかった?」
 柚巴はゆっくりと振り返り、苦しそうに世凪を見つめる。
 そして、つかつかと歩み寄る。
「なぜ……じゃないでしょう!? どうして黙っていたの!? あなたも感染しているじゃない!」
 ぐいっと世凪のシャツの胸をつかみ、柚巴はまくしたてるようにそう叫んだ。
 その目からは、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
 責めるように、そして悔しそうに、世凪を見つめる柚巴のその目から……。
 そのような柚巴を見て、世凪は困ったように苦笑いを浮かべた。
 こんなに怒った柚巴を見るのは、久しぶりだな……と言いたげに。
 かつて、柚巴が世凪に向けていた、その瞳にこめられた光。
 「お前は王子様の妃になるんだよ」とそう告げ、柚巴を追いかけまわしていた日々。
 その日々の中、柚巴が世凪に向けていたそのまなざし。
 少し違うけれど……今の柚巴の瞳に込められた光は、あの時の光を思い出させる。
 あの時は、他意なく世凪を責めるように向けられた光だった。
 しかし、今柚巴が世凪に向けるその光は、世凪を心配して怒り責める……そのような光。
 まさか、そのような光のこもった瞳で、柚巴に見つめられる日がこようなどとは……。
 世凪はこの状況の中、たしかに胸に喜びを抱いている。
 柚巴のその思いが嬉しくて――
「恐らく……こちらに戻って来てからだろうな」
 世凪は、諦めたようにそう答えた。
 シャツをつかむ柚巴の手にそっとふれ、引きはなす。
 そして、そのまま柚巴を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
「世凪……」
 柚巴は世凪の胸の中、苦しそうに世凪を見つめていた。
 その瞳からは、相変わらずぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
「情けないな……」
 ぽろぽろとこぼれる柚巴の涙をくいっとぬぐい、世凪は苦笑いを浮かべる。
 まさか、こんな醜態、柚巴には、柚巴だけには見せたくなかった。
 柚巴の前では、常に強い自分でありたかったのに。
 こんな病気に負けてしまうなんて。
 よりにもよって、終息しかけのこの時期に。
 本当に、こんなに情けないことはない。
 世凪は、胸の内で、自らを嘲り笑っていた。
「情けなくなんてないよ。仕様がないよ。世凪は疲れていたのだもの。体力を消耗してしまったから……」
 そのような世凪の思いを知っているのか、柚巴は自分の頬を伝う涙をぬぐう世凪の手にそっと触れ、きゅっと握り締めた。
 そして、ぽすっと世凪の胸に頭をもたれかける。
 世凪の手は、変わらず、柚巴の手の内にある。
 触れたそこが、妙に熱っぽく感じるのは……恐らく、二人の気のせいではないだろう。
 世凪は、またいちだんと、柚巴を抱く腕に力をこめていく。
 その時だった。
 寝室の扉が、ばあんと大きな音を立てて開けられた。
 それは、蹴破らんばかりの勢いで。
 それと同時に、梓海道と幻撞が飛び込んできた。
 瞬間、世凪のご機嫌は、急降下。いや、撃沈。
「……はやすぎだぞ。お前たち」
 そうつぶやいた世凪の言葉に、恐ろしいものが……殺意がこめられていたことは、この際、あえて語ってはならないだろう。
 金色がかったそのスミレ色の瞳が、赤く輝いていた。
 あの梓海道と幻撞が、さりげなく一筋の冷や汗を額から流していたというから、そのにらみは相当なものだったのだろう。
 そのような殺伐とした空気をただ一人察しきれていないのが、世凪に抱きしめられている柚巴だった。
 せっかくつくり上げたムードをぶち壊され、王子様は、すこぶるご機嫌ななめ。


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update:04/06/06