追いかけっこ
(1)

 限夢界、限夢宮。
 柚巴はまた、ここを訪れていた。
 もうほぼ日課となりつつある。
 放課後、時間がある時は、限夢界にやってきて、ほんのひと時、世凪との会話を楽しむ。
 週末は、一日中限夢界にいることもあるし、泊まることもある。
 しかし、そんな日課も、ここ数週間ほどは、行われることはなかった。
 あのパルバラ病の一件以来、柚巴は限夢界にやって来ることができなかった。
 パルバラ病のために奔走した、あの日々が残したつけ≠フために。
 柚巴は、ニ週間分の勉強の遅れを取り戻すのに、必死だった。
 そしてその後すぐに、恐怖の中間テストがやってきて、それがようやく片づいたところである。
 久しぶりに世凪に会うことができると思うと、自然、柚巴の顔もほころんでしまう。
 そして、限夢界にやってきた柚巴の姿を見た、俺様王子様の上機嫌な顔は……誰にでも容易に想像できることだろう。
 なりふりかまわず柚巴に駆け寄り、抱きしめ、数分……数十分……いや、数時間は柚巴を解放することはないだろうと思える。
 何しろ、柚巴が世凪と心かよわせてから、こんなにも長く、二人が顔を会わせないことはなかったのだから。
 人間の少女に恋してしまった、あの限夢界の暴れん坊が、その姿を見つけて、正気でいられるはずはないだろう。

「柚巴!」
 案の定、柚巴の姿を見つけるやいなや、世凪は上機嫌で柚巴に駆け寄ってきた。
 そして、予想通りに、ぎゅうとその胸に柚巴を抱きしめる。
 もう絶対放してなどやるものか、というくらい激しく柚巴を抱きしめる。
 普段なら、ここで小さな抵抗を試みるところだけれど、柚巴もまた、はなれていたこの時間が恋しいのか、嬉しそうにおとなしく世凪に抱かれていた。
 そして、柚巴の頬に触れてくる世凪の手に、気持ち良さそうに目を細める。
 それが、世凪をますます調子づかせ、幸せを与えるなど……柚巴は恐らく知らないのだろう。
 柚巴以外なら、誰でも容易にそのことに気づくのだけれど……。
「世凪……。珍しいね、王宮(ここ)でおとなしくしているなんて」
 ぽてっと世凪の胸に頭をもたれかけ、そこから世凪の顔を見上げる。
 その仕草が、世凪にとってはこれまた極上にあまく見えるのだろう、多少落ち着きなく目をきょろきょろとさせている。
 直視できないくらいに、かわいらしいらしい。
 直視してしまったら、歯止めがきかなくなるらしい。
 まったく、この王子様ときたら……ダメダメなのだから。
「……ああ……。実はな、いろいろ大変なことになっていて……」
 柚巴の暴言ともとれるその言葉に、世凪はまったく気を悪くした様子はない。
 これが柚巴以外の口からもたらされようものなら……速攻、その足元に氷の塊、はたまた火の輪がお見舞いされていることだろう。
 もしくは、どこかの毛むくじゃらの黒い物体のように、地面と仲良く挨拶をかわしている。
 世凪は、そうつぶやきながら、心なしか落ち着きなく辺りを見まわしている。
 そのようないつもと違う世凪に、柚巴は首を大きくかしげた。
 本当に、今日の世凪は、一体どうしたというのだろうか?
 いつにもまして、おかしい。
 柚巴は、そんな目で世凪を見つめる。
「世凪……?」
 まったくもって失礼なその眼差しでも、それが柚巴のものとなると、世凪にとっては喜びを運ぶものにはやがわりしてしまう。
 柚巴に見つめられることに、嬉しさを感じていた。
 たとえその目が、世凪をおかしいと見つめるものであっても。
 本当にもう、この王子様は……やっていられない。
 見つめてくる柚巴に、世凪は誤魔化すように問いかける。
「もういいのか? あちらの世界に戻って、いろいろ大変だったろう?」
 いきなりのその話題の転換に、柚巴は一瞬怪訝に顔をゆがめたけれど、すぐに諦めたのか、ふうとため息をついた。
 そして、世凪の話にあわせることにした。
 この王子様にさからったって無駄なことを、重々承知しているから。
「え? うん、まあね。だけど、なんとかなったよ。それほど大変でもないし」
「そうか……」
 申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。
 世凪は世凪なりに、今回のことを、多少は気にしていたようである。
 どうやら、そのことには触れられたくないのだろう、柚巴はそう判断した。
 別に無理に聞き出すほどでもないだろうから、世凪が話したくないというのなら、別にそれでもかまわないと、柚巴は妙に理解のある判断を下した。
 それにまあ、この世凪がきょろきょろと辺りをうかがう……というのだから、所詮、よいことであるはずがない。
 恐らく、きっとまた、何かよからぬことでもやらかしたのだろう。
 本当に、この王子様は、婚約者にすら信用がないようである。
 お気の毒なことに。
 まあ、それも、この王子様の普段の行いから、至極当然の結果とも言えよう。
「あ、そうだった。 お前との約束!」
 いきなり、世凪がそう声を上げた。
「え?」
 柚巴はぴくんとその声に反応する。
 いきなり声を上げたものだから、驚いてしまったじゃないと、すぐに世凪をじっと見つめることも忘れてはいない。
 柚巴という少女も、俺様王子様にかかわるようになってから、なかなかよい性格になりつつあるようである。
 ただし、やはりといおうか、俺様王子様限定で。
 この王子様の婚約者……最愛の人にされてしまったのだから、これくらいでなければやっていけないのかもしれないけれど。
 本当に、こんな王子様の、一体どこがよいというのだろうか?
 一緒にいては、迷惑ばかりかけられるというのに。
「ほら、今回の件が起こる前に、約束しただろう? 多紀に会わせると……」
 訝しげに見つめてくる柚巴に、世凪は困ったように肩をすくめる。
 いくら時間がたってしまったからといって、忘れてしまうなんて……と、多少責めるように見ていたかもしれない。
 世凪にとっては、柚巴との約束なら、どんな些細なことだって大切なのに、当の柚巴ときたら……。
 まあ、それが柚巴なのだから、今さら非難しようなどとは思わないけれど。
 むしろ、そんなところですら愛しいと思ってしまうのだから、もうこの王子様は救いようがない。
 それくらい、この少女におぼれているのだろう。
「ああ、あれね……。あれね、あれはもういいの。ありがとう、世凪」
 柚巴は、申し訳なさそうにちろりと世凪を見る。
 忘れていたわけではないけれど……それは、もういいから。ひとまずは終わったから……。
「いいとは、一体……?」
 しかし、それでは納得がいかないのが、この王子様。
 せっかくかわした柚巴との約束を、果たすことができると思っていたのに……。
 それなのに、今さらそんなことを……。
 いやいや。そうではなく、問題はそこではなく、もういいとは、一体?
 それが、本来、いちばん気にかけなければならないことだろう。
「もうすんだから。……わたし、庚子ちゃんに話しちゃった。多紀くんのこと……」
 肩をすくめ、ごめんね?と柚巴は世凪を見つめる。
 すると世凪は、一瞬驚きの色を見せ、すぐにぎこちなく微笑む。
「そうか……。それで、庚子は何と……?」
 ふわりと柚巴の髪を一房手に取り、それを自分の口へと近づけていく。
 そして、そこにさりげなくキスを落とす。
「うん。まだ頭の整理がつかないけれど、おいおい多紀くんのことを聞かせて欲しいって……」
 柚巴もまた、それが当たり前の行動のように気にするふうもなく、普通に答えた。
 世凪になされるがままになり、身をゆだね。


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update:04/06/28