追いかけっこ
(2)

「そうか。よかったな」
 世凪はそうつぶやくと、持っていた柚巴の髪に、そっとまた口づけた。
 そして、そのまま柚巴の頭に手をずらし、くしゃっと髪をなでる。
 柚巴は気持ち良さそうに、されるがままになっていた。
 さらにきゅっと世凪の胸に自分の頭を押しつける。
 それは、会えなかったこの数週間を、少しでもはやく埋めるように。
 もっともっと世凪を感じたいと。
 本当は、人間界のことなんて放って、すぐにこちらに来たかったけれど、それは自分の小さなプライドが許さなかったから。
 まるで、おぼれるように、流されるように、世凪と二人、ともに過ごす時間を選ぶことは……何かに負けるような気がして嫌だった。
 その何かは、わからない。
 だけど、これだけはわかる。
 柚巴が相手にしているのは、いずれは一つの世界を担う人になるのだから、その人に釣り合うように、恥ずかしくない自分でありたい。
 世凪とはなれていたこの数週間で、柚巴はそう思いいたった。
 だから、人間界でのことが落ち着くまで、こちらにやってくることを我慢していた。
 それよりも何よりも、世凪が柚巴に会いに人間界にやってこなかったのが、不思議でならなかったけれど。
 世凪のことだから、絶対、一日とあけず、会いに来ると思っていたのに……。
 そこに、少しの淋しさと不思議を感じる。
「ねえ、話を戻すけれど、どうして世凪がここでおとなしくしているの? 逃げ出さないなんておかしいじゃない」
 だから、柚巴はそう言って、訝しげに、世凪をじっと見つめる。
 先ほど、世凪がはぐらかそうとしたそれを、再びもちだす。
 きっと、そのことは、柚巴が抱く疑問に通じることだろうから。
 そして、これは、腹いせでもある。
 会いに来て欲しかったのに、会いに来てくれなかった、そんな世凪への腹いせ。
 世凪には、もっともっと好きになって欲しいのに、愛して欲しいのに……。
 もっと、柚巴は世凪の特別だと思わせて欲しいのに……。
 そんな気持ちが、柚巴の意地悪心に火をつけた。
 柚巴からは……そんなアピールはしないくせに、世凪にはして欲しいなんて……わがままな思いかもしれないけれど……。
 だけど、何故だか世凪には、そんなわがままな思いを抱いてしまう。
 世凪が柚巴にだけは優しいから。
 そして、世凪のその眼差しは、柚巴を映す時だけ、熱いから。
「ああ〜。だから、それは……」
 再び持ち出されたその話題に、世凪が困り顔を浮かべた。
 柚巴でなければ、そんなもの蹴散らしているところなのに……と、多少悔しそうでもある。
 柚巴にだけは嫌われたくないから、だから邪険にできない。
 いや、もっともっと好きになって欲しいから、だから……柚巴には、無償の優しさと愛を注ぐ。
 この世で、柚巴だけが見ることのできる、世凪のその表情。姿。
 その時だった。
「世凪さま……!!」
 抱き合う柚巴と世凪に、そんな声がかかった。
 瞬間、柚巴の体はびくんとふるえ、世凪の腕の中から逃れようともがく。
 しかし、当然のことながら、世凪はそれを許してくれない。
 かわらず、柚巴をぎゅっと抱きしめたまま。
 ふわりとマントで覆い、隠すように。
 誰にも見られぬように。柚巴は自分だけのものと。
 そんな世凪のもとに、わらわらと数人の重臣たちが駆け寄ってきた。
「……最悪……」
 重臣たちの姿を目にした瞬間、世凪はそうつぶやき、即座にそのご機嫌は崩れていく。
 そして、抱きしめていた柚巴を、ひょいっと抱き上げた。
 もちろん、いつものようにお姫様だっこで。
 柚巴は、世凪のいきなりのその行動に、面食らったようにぎょっと世凪を見つめている。
「え!? 世凪!?」
 まさか、重臣たちの前で、世凪に抱き上げられるなど。
 ばれたらどうするの!?
 柚巴は王子様の婚約者で、世凪は限夢界にその名をとどろかせる暴れん坊なのに……。
 と、柚巴は不安げな眼差しを世凪に送る。
 しかし、世凪は、柚巴のそんな視線にもかまっていられない様子である。
「話は後だ。とにかく今は逃げる!」
 そう言って、だっと駆け出してしまった。
 すると、その後から、ばたばたと重臣たちが懸命に世凪を追いかけてくる。
 しかも、こんなことを叫びながら。
「世凪さま〜! お願いですから、バルコニーへお出ましください!」
 しかし、世凪はそんな言葉にもおかまいなしに、柚巴をぎゅっと抱いたまま、逃げ続ける。
 廊下の角をききっと音が鳴らんばかりの勢いでまがったり、大きな階段を駆け上ったりと……。
 世凪が走るリズムに合わせ、柚巴の体もゆらゆらと揺れる。
 そうやって逃げまわる世凪に、柚巴は次第に違和感を覚えはじめた。
 同時に、不審感も芽生えてきた。
「……世凪。本気で逃げる気があるなら、瞬間移動をすればいいじゃない?」
 必死に逃げまわる世凪の腕の中で、柚巴は目をすわらせ、おもしろくなさそうにそうつぶやいた。
 すると、世凪は一瞬、びくんと体を震わせる。
「……だから、それは……」
 そうやってはぐらかそうとするけれど、世凪を見る柚巴の目のすわり具合は、次第に深くなっていく。
 そのような柚巴から、意識的に視線をそらし、世凪は変わらず、王宮を逃げまわり続ける。
 柚巴と世凪が二人きりの時間を過ごす、あの中庭が見えてきた頃だった。
「ふ〜ん、やっぱりね。本気で逃げる気はないのね。……それじゃあ……」
 おもしろくなさそうにつぶやき、いきなり世凪の両目を両手で覆い隠す。
「おい! 柚巴、この手をどけろ!!」
 もちろん、視界が真っ暗になった世凪は、慌てたようにそう叫ぶ。
「い・や」
 しかし、柚巴は、どこかつんとした様子で、きっぱりとそう言い放った。
 それで世凪は観念したのか、はあと大きなため息をつき、ぴたっとそこで足をとめた。
 柚巴に逆らってよいためしなどない。
 そう判断したのかもしれない。
 結局世凪は、柚巴にだけは弱いから。
 柚巴たちがとまったそこは、もうすぐ目の前に花々が咲き乱れる、中庭だった。
 そこには、世凪が柚巴と過ごすために用意した椅子が、かわらず鎮座している。
 追いかけてきた重臣たちがようやく二人に追いつき、即座に世凪は捕獲されてしまった。
 それと同時に、柚巴は世凪の腕の中から下ろされていた。
 その捕獲に、柚巴を巻き添えにしないための、世凪なりの配慮だったのかもしれない。
 何しろあの世凪が、べちゃっと壁に追い込まれ、両腕をがしっとつかまれているのだから。
 しかも、奇跡的に、おとなしく。
 それはもう本当、天変地異の前触れかとさえ思える、おとなしさだった。
「で、世凪! ちゃんと説明してくれるのでしょうね!?」
 壁に追い込まれ、捕獲されてしまった世凪の前に仁王立ちになり、柚巴はじろりと世凪を見つめる。
 そのような柚巴を見て、世凪はふっと不敵に微笑んだ。


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update:04/07/02