呪術部屋のペット
(1)

 限夢宮には、王子が、ある時にだけ近寄ることを禁じた場所がある。
 それは、使い魔たちにとっては特別な意味を有する場所。
 そして、王子にとっては、忘れがたい、特別な場所。
 そこは、限夢宮の中庭。
 限夢界特有の花々が咲き乱れる、中庭。
 季節問わず、この庭には花が咲いている。
 それは、まるで王子の心を物語っているように。
 王子の心は、ある少女の存在だけで、常春になってしまう。
 その少女とは、限夢界の王子様に見初められた、人間の少女。
 どこにでもいる普通の少女に、王子様は恋をした。
 それが、王子のお妃をめぐる、人間界と限夢界、二つの世界をまたにかけた追いかけっこのはじまりになろうとは……。
 恐らく、誰も想像すらできなかったことだろう。
 そうして、王子様は、追いかけっこの末、とうとう少女を手に入れることができた。
 それは……婚約者というかたちで。
 今は婚約者であるけれど、いずれはもちろん――

 中庭に面したテラスに置かれた、簡素だが、宝石をちりばめたその椅子に、柚巴を抱き腰かける世凪の姿があった。
 これはもう、見慣れた光景。
 ここに集まる、使い魔たちにとっては。
 ふかふかの大きなクッションに我が物顔で身を預け、そこで気持ち良さそうに柚巴を抱きしめている。
 時に、柚巴の髪を一房とり、くるくるともてあそんだりして。
 ふわりと柚巴の頬に触れ、その感触を楽しんだりもしている。
 ようするに、柚巴は自分のものだと言わんばかりの所業を、当たり前のようにしている。
 使い魔たちが見ている、その前で。
 柚巴もまた、世凪の膝の上にのせられ、所有物のように扱われているにもかかわらず、決してそれを嫌がった様子はない。
 むしろ、ぽてっと世凪の胸に頭を預け、気持ち良さそうにうとうととしはじめていた。
 まったく、このような場面を見せつけられては、言葉も出てこない。
 あまりもの素でのいちゃつきぶりに。
 世凪は当然、それを自覚してのことだろうが、柚巴にいたっては自覚など皆無だろう。
 無意識のうちに、世凪に甘えている。
 意識して、人前で、こんなのろけぶりを披露できるほど、柚巴の神経は図太くない。
 神経が図太いのは、世凪だけで十分である。
 そのような二人のいちゃつきっぷりを、ある者はテラスのてすりに腰かけ、ある者は柱にもたれかかり……。
 ある者は、いわゆるヤンキー座りでやさぐれていたり……。
 と、それぞれ、使い魔の特徴をあらわした様で、そこにいる。
 傍から見ると、とてもおもしろい光景のように見える。
 そのような使い魔たちから一歩後方に、世凪の従僕、梓海道が控えていた。
「そうそう。すっごいおもしろかったんだぜ。世凪が王子だってわかった時のみんなの顔」
 てすりにひょいっと腰かけ、そこでけらけらと笑う嚇鳴。
 明らかに、世凪をからかって楽しんでいるふうである。
 そのような嚇鳴を、呆れ顔で見ているのが、こちら三銃士の面々。
 由岐耶、亜真、祐。
 彼らは、この後、嚇鳴に待ち受けているものを想像し、疲れを覚えていた。早々に。
「そんなに……?」
 けらけら笑う嚇鳴に、世凪の腕の中から柚巴が問いかける。
 きょとんと首をかしげた、かわいらしい仕草で。
 そんなことを世凪の腕の中でしたら……もう世凪に歯止めがきかなくなると、当然のことながら、柚巴は理解できていない。
 ここにいる使い魔たちなら、容易にわかってしまうそのようなことにもかかわらず。
 やはり、世凪はぐいっと柚巴の顔を引き寄せ、自分の姿しか目に映らないようにその手で覆い隠してしまった。
 世凪の手の中には、どこかすねたふうの柚巴の顔がある。
 どうやら、柚巴には、世凪に仲間はずれにされているように思えるのだろう。
 本当は、そうではないのに。
「だってさ、限夢界を荒らしまわっていた、あの迷惑極まりない奴が、実は正体不明の王子様だぜ? 驚くなって方が無理だよ」
 世凪のそんなさりげない行動に気づけない者は、柚巴だけではなかった。ここにもいた。
 嚇鳴はかわらず、楽しげに、そして得意げにそう語る。
「ほう。この俺様に、よくそんな口がきけるな?」
 けらけら笑う嚇鳴に、世凪のするどい眼差しが注がれる。
 その眼差しを受け、嚇鳴は小さく絶句した。
 それと同時に、世凪の眼差しを受けた動揺のためか、ずるりと体勢を崩してしまった。
 その後、嚇鳴に待ち受けている運命は、もちろん……ずるりとてすりからずり落ち、どすんとしりもちをつく。
「いって〜!」
 そして、大げさにそう叫んだ。
 すると、すかさず、世凪の冷たい声が降り注がれる。
「天罰だ」
 すぐにまた、柚巴に甘い視線を注ぎ、ふわふわとその髪をなではじめた。
 そんな世凪を、嚇鳴は、思わずぽか〜んと見つめてしまった。
 この変わり身のはやさは、一体……と。
「あんたは本当、ドジだね」
 世凪の豹変ぶりにいまだあっけにとられている嚇鳴に、苦笑いを浮かべつつ、紗霧羅が手をかしてきた。
 ひょういっと嚇鳴を立ち上がらせる。
「姐さん、ひどい……」
 紗霧羅の手を借り、立ち上がりながら、嚇鳴は恨めしげにぐすんと紗霧羅を見つめる。
 すると紗霧羅は、やはり苦く笑うだけだった。
 ひどいも何も……このぼうやは、本当に馬鹿だね、と。
 そのような紗霧羅と嚇鳴のやりとりをよそに、柚巴は世凪の腕の中、ぽつりとつぶやく。
「そっか……。ばれちゃったのよね……」
 つまらなそうに、きゅっと世凪の胸に、自らの顔をおしつけていく。
 そのような柚巴にすかさず気づくのが、やはりこの人、紗霧羅姐さん。
 にやにやと、楽しそうに柚巴の顔をのぞきこむ。
「ん? 柚巴、あんた何か淋しそうだね?」
 助け起こしていた嚇鳴などさらりと放り出して。
 だから嚇鳴は、再び、べたんとしりもちをつくはめになってしまった。
 本当に、嚇鳴ではないが……紗霧羅、ひどい……。
「そ、そんなことないわよ!」
 紗霧羅の言葉を、柚巴は慌てて否定する。
 しかし、それは明らかに嘘だとばれている。
 何しろ今の柚巴は、ほんのり頬を染めているのだから。
 それが、何よりの証拠だろう。
 それを見て、紗霧羅はにやっと微笑み、再び柚巴をからかおうと口を開きかけた。
 しかし、それは、このような言葉によって、あっけなく邪魔されてしまう。
「それにしても、まさか、こうもあっさり、民衆が世凪を受け入れるとは思わなかったが……」
 ぶすっとふてくされ気味でしゃがみこんでいる莱牙が、おもしろくなさそうにつぶやいた。
 すると、すかさず、横から華久夜がひょいっと顔を出してきて、莱牙の顔の前でにやっと微笑む。
「それはあれでしょう? いくら嫌われ者の世凪でも、一応は限夢界の危機を救ったことにはかわりないからじゃないかしら? 結局、民衆なんてそんなものよ。単純にできているのよ」
 あっけらかんとそう言い放ち、その場でけらけらと笑い出してしまった。
 まったく、この華久夜という少女も、なかなかによい性格をしている。
 当然のことながら、そんな華久夜の言葉に、柚巴は脱力してしまった。
「華久夜ちゃん……」
 しかし、柚巴のこんな反応など、華久夜にとってはたわいもない。
 けろりとした顔で、さらに続けていく。
 やさぐれ気味でその場にしゃがむ莱牙に、「もうそれくらいでやめておけ」とばかりに、ぐいっと腕を引かれているにもかかわらず。
 さすがは、怖いもの知らずのお姫様、華久夜である。
「でも事実でしょう? たった一度の善行で、今までの迷惑はみーんな帳消し!」
「そんなみもふたもない……」
 やはり、柚巴は世凪の腕の中、呆れ顔である。
 世凪といえば……当たり前だけれど、ぶすっとふくれっつら。
 柚巴の手前、さすがに華久夜に手を出すことはできないらしい。
 華久夜は、まがりなりにもお姫様。
 女子供に手を出す、そんな無様なまねは、柚巴の前ではできないらしい。
 柚巴が見ていなければ、話はまた別だろうけれど。
 そして、これが華久夜ではなく、嚇鳴や鬼栖だとすれば……問答無用で、その瞬間、地面に埋められていたことだろう。
「しかしまあ、王子が実在した……ってのがわかって、民衆はひとまず安心したんじゃねーの? 良し悪しは別として」
 性懲りもなく、嚇鳴はけろっとそう言ってしまっていた。
 瞬間、世凪によって地面に埋められてしまったことは言うまでもないだろう。
 そう、手を触れることすらなく。
 世凪にかかれば、このような芸当、朝飯前。


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update:04/07/22