襲い来る命令
(2)

「言えない」
 柚巴を直視していることが苦しくなったのだろうか、世凪はそう言って、柚巴からぷいっと顔をそむけた。
 それが、世凪のどうにもならない葛藤をよく物語っているような気がする。
 触れたい。
 今すぐこの腕に抱きしめたい。
 そう思いつつも、柚巴の身を案じると……それは、決してかなわぬこと。
 世凪のその内なる苦しみを知ってか知らずか、柚巴はぶすうっと頬をふくらませる。
 おもしろくなさそうに目をすわらせ。
「いいわよ。じゃあ、莱牙さまに聞くから」
 そう言って、くるっと莱牙へ体を向けた。
 柚巴が向いたそこには、疲れたような呆れ顔の莱牙の姿があった。
「……俺にふるな」
 まさしく、そのように迷惑そうに振る舞う莱牙。
 事実、迷惑なのだろうけれど。
 世凪との痴話喧嘩に巻き込まれるなど、たまったものではない。
 それが、自分が愛しく思っている相手にふられては……なおのことである。
 ……俺に……どうしろというのだ。
 柚巴は本当に、悪気なくさらりと残酷なことをする。
 莱牙はそう思いつつも、やはりその胸に抱く思いは変わることはない。
「だって、世凪が教えてくれないのだから仕様がないじゃない。――それで、莱牙さま。これは一体、何の騒ぎですか?」
 さらにむすうっとすねたような顔をして、柚巴はずいっと莱牙につめ寄る。
「……」
 そのような柚巴に、内心動揺しつつも、莱牙は涼しい顔を決め込む。
 今、莱牙がもつ、精一杯で。
 柚巴の顔が目の前にあるというだけで、莱牙の心臓は、はちきれんばかりに脈打ってしまう。
 世凪ではないが、莱牙もまた同様のことを考えていた。
 柚巴にそれを告げれば、必ず、自分もついて行くというから。
 自分も、何とかしたいというから。
 だから、柚巴には言えない。
 みすみす危険にさらすことなんて、どうしたってできない。
 愛しいから、誰よりも大切だから。
「ふ〜ん……。そうくる気?」
 しかし、やはりといおうか。
 世凪と莱牙のそのような気持ちなど、柚巴が気づくはずもなかった。
 むっすうと目をすわらせ、さらに莱牙にずずいとつめ寄る。
「じゃあ、仕方ない。この手は使いたくなかったけれど、奥の手よ。――莱牙さま、命令です。教えてください」
 そういって、にっこりと微笑む。
 それは、天使の微笑みに見えて……莱牙にとっては何よりも残酷な悪魔の微笑みに見えてしまった。
 ある意味、華久夜よりも恐ろしい……。
 そう感じてしまった瞬間かもしれない。
 ごくりとつばを飲む。
 そして、ころっと忘れていたが、たしかに、莱牙は柚巴の使い魔だった。
 さらに、使い魔は主の命令に背くことはできない。
 主従関係にある……。
 なんてそんな感じがまったくしないから、さらっと忘れていてもおかしくはない。
 今さらながらに、あらためて実感させられる。
 使い魔にもかかわらず、不遜な態度をとる莱牙だから、まあそれも無理はないかもしれないけれど。
「柚巴!!」
 柚巴の言葉を受け、世凪と莱牙がそろって叫んだ。
 青ざめた顔をして。
「……ちっくしょ……。汚い手を使いやがって……」
 苦々しげに莱牙がつぶやく。
 まさしく、そうである。
 使い魔である莱牙は、主である柚巴の命には逆らえない。
 それをいいことに、こんな卑怯な命令を下してくるとは……。
 まさか、柚巴がこのような手に出るとは思ってもいなかった。
「じゃあ、俺は王子として命令する。莱牙、絶対に柚巴に教えるなよ!」
 舌打ちをする莱牙に、そうやって世凪が追い討ちをかけてくる。
 王子の命令。
 それもまた、莱牙には逆らいがたいものである。
 そしてまた、その命令は、莱牙も望んでいること……。
 柚巴を泣かせてもいいくらい、本来ならばそれを望んでいる。
 しかし、使い魔としての莱牙が、それを許してくれない。
「ちょっ……。待てよ! それじゃあ、俺はどちらに従えばいいのか……」
 だから、そうやって苦悩してしまう。
 ばりばりと頭をかきながら、はき捨てるように叫ぶ。
 鮮やかな紫の髪が、乱れる。
 本当に、この二人は、卑怯な手を使う。
 どちらも、莱牙には逆らいがたいものだから……。
 莱牙はとうとう、頭を抱えてしまった。
 何とも馬鹿馬鹿しい喧嘩を繰り広げる、この恋人たちに。
「何を馬鹿なことをしているの!?」
 そんな莱牙の内なる思いを代弁するかのように、呆れたような声が聞こえてきた。
 腰に手をあて、はあと盛大にため息をもらす華久夜が、気づけばここにいた。
「あ……華久夜ちゃん。華久夜ちゃんは知っているよね? この騒ぎは一体何!?」
 華久夜の姿を見るやいなや、柚巴はそうやってターゲットを変えてしまった。
 莱牙へ命令の下し合いをしていても、らちがあかないと思ったのだろう。
 もっとも簡単かつ、確実な相手にのりかえたといえよう。
 ある意味、柚巴同様、手のかかる華久夜に。
「え……? この騒ぎ? これはね……」
 当然、華久夜は柚巴の望んだ通りの反応を見せた。
 首を少しかしげる。
 華久夜は、柚巴が大好きだから、ついついつられて柚巴になら正直に語ってしまうところがある。
 そんなことは、当然、世凪も莱牙も承知している。
「華久夜、言うな!!」
 そう叫び、莱牙が慌てて華久夜の口をふさぐ。
 どうやら莱牙は、世凪の命令に従うことにしたらしい。
 突然の華久夜の出現のために、考えることなく反射的に、体が、頭がそう判断を下してしまった。
 本当に、この華久夜という姫君は、こまった姫君である。いろんな意味で。
 そうやって口をふさがれた華久夜は、莱牙の手の中で、ふがふがともがきはじめる。
 憎らしげに莱牙をにらみつつ。
「……莱牙さまは、わたしの敵にまわるのね?」
 莱牙の世凪への加担に、柚巴はさらにぶすうと頬をふくらませ、口をとがらせていく。
 完全に、すねてしまったらしい。
 先ほどからの世凪と莱牙の態度は、柚巴には、どうにも仲間はずれにされているような気がしてならない。
 本当はそうではなく、ただ柚巴の身を案じているだけなのに……。
 ここまで鈍いのも、いい加減、問題ではないだろうか。
「だから、そういうわけではなくて……」
 向けられた柚巴のすねた顔に、莱牙はやはりといおうか、思わずたじろいでしまう。
 柚巴の身を案じつつも……それでも、柚巴に嫌われたくないという気持ちがあるから。
 それに、別に腹立たしい世凪の味方につき、柚巴の敵にまわったわけではない。
 本当に、純粋に、ただ柚巴のことだけを思い――
「ああ、もう! 苦しいじゃない、お兄様!!」
 そのような莱牙の一瞬の隙を見逃さず、華久夜は口をふさぐ莱牙の手を思いっきりふりほどいた。
 そして、そう憤る。
 当然、莱牙をぎろりとにらみつける華久夜の姿もそこにある。
 おしみなく、莱牙に憎らしげなにらみを入れている。
「何故、柚巴に秘密にする必要があるのよ。――いい、柚巴。よ〜く聞いてね。この騒ぎはね、誰かが禁苑の結界を破ってしまったからなのよ!」
 莱牙の手を振り払うと、華久夜は半ば莱牙へのあてつけのように、そうやってきっぱりと言い放った。
 ふふんと笑っているその顔が、それを何よりもよく物語っているだろう。
 本当に……この兄妹もたいがいである。
 こんな状況下でも、当たり前のようにいつものパターンへとなだれ込むなんて……。
「華久夜、お前……!!」
 しかし、華久夜の発言を受け、誰よりも慌てたのは莱牙ではなかった。
 世凪である。
 真っ赤な顔をして、今にも射殺さんばかりのするどい眼差しで、華久夜をにらみつける。
 一方、莱牙はというと、もう諦めたようにそこにたたずんでいた。
 勢いのついた華久夜は、誰もとめられないことをよーく知っているだけに、もう諦めずにはいられないらしい。
「禁苑……。結界がはってあったということは、それなりに重要なところなのね?」
 当然ではあるが、華久夜の言葉に、柚巴はそうやって険しい顔をする。
 もう先ほどまでの、教えてくれないことに対するすねた様子はまったくない。
 華久夜の言葉だけで、即座にそう判断していた。
 まさに、その通りである。
 結界がはられている禁苑は、この世界の――
「……だから、柚巴には知られたくなかったのだ」
 半ば諦めたように、世凪が舌打ちをする。
 ここまでばれてしまっては、もう隠し通すことなんてできない。
 普段、ぽけっとしているように見える柚巴だが、こういった時の柚巴は、誰よりも勘が優れている。
 世凪は、これまでの経験から、それを嫌というほど知っている。
「それで、世凪たちは、今からそれをどうにかしに行くのでしょう!?」
 苦しげな表情を浮かべる世凪をじっと見つめ、柚巴はきゅっとそのマントをつかんだ。
「ああ……」
 柚巴のまっすぐな視線を受け、世凪はそう答えるしかない。
 この汚れのない、かげりのない、きれいな瞳で見つめられると、世凪はどうやったって抗えなくなる。
 案の定、柚巴には負けてしまう。
 恐らく……柚巴は、誰よりもいちばん強い存在だろう。
 誰も、その強い光を放つ瞳には、逆らえない。
 あまりにも、純粋すぎて。
「じゃあ、わたしも連れていって!」
 当然だか、世凪のつぶやきに返されたのは、そのような言葉だった。
 あまりにも予想通りすぎて……。
「……そう言うと思った」
 げんなりと肩を落とし、世凪は苦笑いを浮かべる。
 そして、優しくその瞳に柚巴の姿を映す。
 結局、最後にはこうなってしまうのである。
 柚巴に抗うなど、どだい、無理なこと。


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update:04/08/31