世界の終わり
(4)

「……大丈夫か?」
 もう駄目だと目をつむった柚巴に、そのような優しい音色を含んだ声が降り注いできた。
 それに驚き、一向に襲ってこない痛みに、柚巴はゆっくりと目を開いていく。
 そして、うっすらと開けたその目の前には、世凪の優しく微笑む顔があった。
「え……?」
「大丈夫のようだな。まったく、無茶をしやがって。それに、あんな奴のことなど気にかけてやる必要はない」
 そう言うと、世凪はぎゅうと柚巴を抱きしめる。
 柚巴の無事を喜ぶように。
 その腕をもう二度とはなしたくないと。
 本当に、あの時は、柚巴の姿が見あたらなくなった時は……一体、どれほど苦しんだことか。後悔したことか。
 柚巴なしでは、生きていく意味がないのだから……。
「そういえば……痛く……ない?」
 求めるように、そして守るように抱きしめてくる世凪の腕の中、柚巴はそうつぶやき、きょとんとしていた。
 本当に、的外れにもほどがある。
 まあ、そこが、柚巴らしいといえばらしいのかもしれないけれど。
 すっと視線をそらし、すぐ下の足元を見ると……そこでは、伽魅奈がよつばいになり、短刀が握られていた手は、世凪の足の下敷きになっていた。
 ぎりぎりと踏みつけられている。
 一方では柚巴を優しく抱きしめ、一方では骨が砕けんばかりに激しく踏みつける。
 一体、どうすれば、一度にそんな正反対のことができるのだろうか。
 こういうところだけにおいては、世凪は器用なのかもしれない。
「柚巴……!!」
 柚巴の無事に、莱牙と華久夜が慌てて駆け寄ってきた。
 そして、その後から、胸をなで下ろしつつ梓海道が歩いてくる。
 誰もが、柚巴の無事に安堵している。
「よかった〜! 柚巴のバカ!! 本当に死んじゃうかと思ったじゃない!!」
 華久夜はそう言って、世凪に抱かれる柚巴を、ぽかぽかとたたきはじめる。
 だけどそれはすぐにやみ、「うう〜……」と声をもらし、ぽろぽろと涙を流し泣きはじめてしまった。
 兄をも兄と思わぬ、ある意味無敵のあの華久夜が、涙を流している。
 それは、とても驚くべき光景かもしれない。
 華久夜の横で、梓海道が、泣きじゃくる華久夜をぽか〜んと眺めていた。
 莱牙は、そんな華久夜を優しく抱き寄せる。
 そして、自らの胸で、思う存分泣かせはじめた。
「か、華久夜ちゃん……?」
 柚巴にも、華久夜の泣く姿など意外で仕方ないようである。
 身を乗り出し、おろおろと華久夜の様子をうかがいはじめる。
 しかし、世凪が、いじわるにも、それを邪魔するようにさらに抱きしめる。
「何故、このような無茶をした!?」
 華久夜の背を優しくさすってやりながら、莱牙はぶすっと柚巴をにらみつけた。
「え……? だって、(ぎょく)まで破壊してしまったら、この世界はお仕舞いでしょう? それに……この人にも死んでほしくなかったから……」
 世凪の腕の中、柚巴は、いかにも柚巴らしく、きょとんとそう言ってみせる。
 予想通りの言葉に……もうあいた口がふさがらない。
 たしかに、柚巴とはそういう少女である。
 ことを重く考えているのか、それとも何も考えていないのか……。
 まあ、とにかく、今は、柚巴が無事でよかった。
 そのことを喜ぶことにしよう。
「やっぱり救いようのない馬鹿だな。わかっているのか、お前。この女は、一度ならず二度までも、お前の命を狙うような女なのだぞ?」
 伽魅奈でも死んでほしくないと語る柚巴に、莱牙はがくんと肩を落とす。
 本当に、どうしてこんなに拍子抜けなことを言ってくれるのだろうか。
 一体どれだけ心配したか……。
 そんなことすら気づかないのが、まあ、柚巴なのだろうけれど。
 そして、それでもまったく嫌いになれないのが不思議。
 むしろ、さらに愛しさが増す。
 馬鹿な子ほどかわいいというあれは、あながちはずれてはいないかもしれない。
 まあ、それは、少し使い方が違うかもしれないけれど。
 だけど、とりあえず今は、心配をかけられた分のお返しはさせてもらおう。
 ぎろりと、非難がましい眼差しを柚巴に向ける。
「お兄様。そこが柚巴のいいところよ。それに、柚巴には話していなかったのだから、仕様がないじゃない」
 そんな莱牙の腕の中から、一体いつ泣きやんだのか、華久夜の厳しい視線が莱牙に投げつけられる。
 そして、ばちんと軽快な音を立て、莱牙の両頬は華久夜の両手の中にあった。
 柚巴を馬鹿にする者は、誰であろうと許さないといったふうに。
 世凪の足元では、梓海道が伽魅奈を拘束していた。
 ぐいっと両腕を縛り上げ、短刀を奪い取る。
 これで完全に、伽魅奈はお縄になってしまった。
「知らなかったのは、どうやら柚巴だけではないようだがな」
 それを、憎らしげに一瞥し、世凪はくすりと不敵に微笑む。
 それに合わせ、華久夜までくすっと意地悪く微笑んだ。
 莱牙はそんな二人を、呆れたように見ていた。
「そうね。その女、本当に王族なのかしら? 王族なら誰でも知っていることよ」
 くすくすくすと、馬鹿にするような華久夜の楽しそうな笑い声がもれる。
 当然、ちらりと、嫌味ったらしく伽魅奈に視線を流し。
「え? 何のこと!?」
 やはりといおうか、世凪と華久夜の会話に、柚巴はまったくついていけていなかった。
 訝しがるように、ちろっと世凪を見上げる。
 すると世凪は、ふわりと柚巴の頬にふれ、優しい眼差しを落とした。
「この(ぎょく)は、力のある者が、特殊な呪文を唱えないと破壊できない。衝撃を加えるだけでは無意味なのだ」
 すくように、愛しむように、柚巴の髪をさらっとなでていく。
 そして、くすりとやはり意地悪く微笑む。
 それは、決して馬鹿にしているようなものではなく、純粋すぎる柚巴を楽しんでいるように。
「そ、そんなあ〜……!」
 そんな情けない声をあげ、柚巴は世凪の腕の中、ずるずるとくずおれていってしまった。
 はっていた緊張の糸が、その言葉で一気に切れてしまったようである。
 そうなって、いちばん喜ぶのが、この王子様。
 くずおれた柚巴をすっと抱き上げ、嬉しそうにお姫様だっこを決め込む。
 誰にも触れさせないと言わんばかりに、きゅっと抱きしめて。
 柚巴は、世凪の腕の中、世凪のぬくもりを感じていた。
 そんな二人の横には、あきれ返ったように目をすわらせる莱牙と華久夜の、力なく肩を落とす姿があった。


 限夢宮。
「結界が破られたことは、さして気にもとめていなかったのだ。しかし……まだ伽魅奈が捕まっていなかった以上、柚巴にまた何かしかけてくると思ってな。だから、お前にうろちょろされては心配だから、教えたくなかったのだ」
 柚巴たちは、反逆者伽魅奈を捕らえ、王宮へ戻ってきていた。
 そして、伽魅奈の身柄を、近衛の大佐である竜桐に引き渡し、中庭に面したテラスで、のんびりと庭を眺めていた。
 これで全てが片づき、もう何に遠慮することなく、柚巴を堪能できる。
 世凪の体いっぱいが、そういっている。
 椅子に腰かけ、その腕の中に柚巴をぎゅっと抱きしめて。
 しかし、そんな場で、柚巴に向けられた言葉は、そのようなどうでもいいような言葉だった。
 それがいかにも世凪らしくて、苦く笑わずにはいられない。
「……じゃあ、わたしは一人からまわっていた……ということね?」
 世凪の腕に抱かれ、柚巴はぶすうと頬をふくらませる。
 まったくもってその通りだから。
 禁苑について、ましてや(ぎょく)について、まったく知らない柚巴は、勝手に誤解して、勝手に暴走した……。
 簡単にいってしまえば、そのように片づけられてしまう。
 まあ、しかし、誰もそんなことは思っていないのだけれど。
 むしろ、そんな柚巴を愛しいと思っている。
 けれどそれでも、やはり、柚巴にとっては、この上なくおもしろくないことは確かだろう。
「まあ、そうすねるなって。おかげで、柚巴のまた新しい力が見られたし、一生懸命なところもわかった」
 そう言って、世凪はふてくされる柚巴の顔に、自分の顔を近づける。
 そして、愛しそうにすりっとその頬を触れさせた。
 瞬間、柚巴の顔が、ぼんと真っ赤になる。
 そのような反応が、ますます世凪を嬉しく、喜ばせてしまうなど、柚巴は知らないのだろうか。
「そういう問題じゃないでしょう。……意地悪なのだから。そうならそうと、最初から言ってくれればいいのに……」
 ぐいぐいと、世凪のすり寄せてくる顔を恥ずかしそうに押しのけながら、柚巴はまた、そうやってぷうとふくれてみせる。
 その顔が、どんなに世凪に愛しさを感じさせるのか、やはり柚巴はわかっていない。
「それに、華久夜ちゃんも華久夜ちゃんよ。どうして、知っているのなら、ちゃんと教えてくれなかったの!?」
 どうにか世凪の顔をおしのけることに成功すると、今度はそうやって華久夜に攻撃をしかけはじめた。
 これはもう、半分くらい……いや、もっと、八つ当たりだろう。
 しかし、八つ当たりせずにはいられない柚巴の気持ちも、なんとなくならわかるような気がする。
 この王族様方に、いいように遊ばれたようなものだから。
 知っていて、それを隠していたなど……。
「だって、そんなことをしたら、おもしろくないじゃない」
 やはりといおうか、何といおうか、あまりにも華久夜らしい言葉が、けろりと飛び出てきた。
 そして、にた〜りと、小悪魔の微笑みを浮かべる。
「あ〜あ。とうとう、俺からお前に、おもちゃの座は譲られてしまったのか?」
 腕を組み、テラスの柱にもたれかかっていた莱牙が、そう言ってくくっと楽しそうに笑う。
 意地悪く柚巴を見るその目は、変わることなく優しさを含んでいる。
「あら、そんなことはないわよ。やっぱり、いちばんのおもちゃはお兄様だもの」
 ととっと莱牙に歩みより、華久夜はに〜っこりと笑ってみせる。
 そんな恐ろしい言葉とともに。
 瞬間、莱牙の顔が、さあと青ざめたことは言うまでもない。
「……もう嫌い。この兄妹!!」
 そんな楽しい兄妹の会話をよそに、柚巴は相変わらずの世凪の腕の中、悔しそうにそう叫んでいた。
「ざまーみろ」
 当然、それに続け、世凪の楽しそうな言葉もはかれる。
 ある意味、恋敵であるこの兄妹が、とうとう柚巴に嫌われてしまったと。
 これで、完全に、柚巴は自分だけのものだと。今は。
 お邪魔虫はさっさと退散しろと、その目が暗にいっていることも、忘れてはいけないけれど……。
「あなたもよ、世凪!」
 しかし、柚巴のその言葉によって、世凪の幸せは、あっさりと打ち砕かれてしまった。
 べちんという音とともに、世凪の左頬には、柚巴のかわいらしい手形がついていた。
 ……どうやら、世凪の予想をこえて、はるかに、柚巴はご立腹だったらしい。
 これは、かなり根深くなりそうな予感がする。
 まあ、それは、自業自得のような気もするけれど……。
 哀れ。俺様王子様。


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update:04/09/18