逢魔が時
(1)

 限夢界を騒がせた、大逆人伽魅奈も無事捕らえ、一見、限夢界には平和が戻ったように見えたそんなある日のこと。
 やはり、この世界に、静かな時はないのか、また新たな騒動が巻き起こっていた。
「柚巴! こっちへ来い!!」
 大理石の柱の陰から、鬼気迫ったような顔で柚巴を手招きする世凪がいる。
 かなり慌てているようにも見える。あの世凪が。
 これは、何やら、とんでもないことが起こっていると思って間違いないだろう。
「せ、世凪! これは一体、何事なの!?」
 柚巴もまた、世凪の姿を見つけると、ほっと安心したように世凪の胸の中へと飛び込んでいく。
 そして、その場で、しばし抱擁。
 互いに互いのぬくもりに、心地よさを感じている。
 いつもならここで、ずるずると世凪のペースに流れ込むところだけれど……。
 どうやら、今回は、本当に大変らしく、そうはならなかった。
 あの世凪が、はっと我に返ったのだから。
 その腕に、柚巴を抱いているにもかかわらず。
「とにかく、話は後だ。行くぞ!」
 そう言って、ばさりとマントを翻した時だった。
 世凪の体は、何故だか、羽交い締めにされていた。
 そして、憎らしげにその顔がゆがんでいく。
 ……いや。それは、ぶすっとふてくされたように……かもしれない。
「王子! これは一体どういうことです!? 王子まで、柚巴さまの逃亡に加担されるおつもりですか!?」
 羽交い締めにされたと同時に、そんな言葉が叫ばれていた。
 それが、反響のよいこの王宮のホールで、妙に響き渡っていた。
 この城下、はたまた限夢界中に響き渡らんばかりに。
「馬鹿なことを言うな。柚巴は、まだ向こうの世界でしなければならないことがある。それが終わるまでは結婚はしない。そういう約束なのだ!」
 そう言って、羽交い締めにしてきた男を、こともなげにさらっと振りほどいた。
 そして再び、柚巴を胸に、ふわりとマントを翻す。
 どうやら、先日の伽魅奈の一件で新たにわかった柚巴の力は、すでに知れ渡っているようだった。
 最近、城下でも、柚巴の存在について敏感になっていたばかりに、それはあっという間に限夢界を駆け巡っていた。
 あの世凪の攻撃を無傷で止めたというその事実は、それほどまでに限夢界をゆるがすものである。
 もはや、柚巴を妃として反対する者など、ほぼいないに等しいだろう。
 ここまでの力を見せつけられて、一体、誰が反対などできようものか。
 逆に、不敬罪として、咎人にされかねない。
 追放されかねない。
 それと同時に、柚巴をこのまま人間界へ帰さず、今すぐにでも王子との婚儀を行おう……。
 なんて、そんな無茶な動きが強まっていた。
 本当に、柚巴にとっては、迷惑な話である。
「そう申されましても、お妃が決まった以上、これは早急に婚儀をしていただかねば……」
 ぶっすうとふてくされ気味の世凪に、おずおずと重臣の一人がそう言ってくる。
 すると当然だが、世凪の冷たい眼差しが向けられる。
「それは、お前たちの都合だろう? まだその必要はない。親父もぴんぴんしているではないか!」
「しかし……!!」
 世凪の視線にびくびくとしつつも、執拗に食い下がってくる。
 これは、どうやら、かなり柚巴にご執心とみえる。
 ――いや……。そうではなく、あの暴れん坊世凪をとめられるのはもう柚巴しかいないと、藁にもすがる思いからだろうか?
 その真偽のほどははかれないが、とにかく、彼らにとって柚巴が必要な存在であるということは間違いないだろう。
「柚巴、こいつらに関わるな。ほら、人間界まで送ってやる」
 世凪は、そんな重臣をさらっと無視し、ぎゅっと柚巴を抱きしめた。
 そして、マントの中に、大切そうに包み込む。
「う、うん」
 柚巴は、どうしたらよいのかわからず、とりあえずそうつぶやいていた。
 ここは、ひとまずは世凪に従った方が賢明かもしれないと思ったから。
 このままでは、本当に、人間界へ帰れなくなってしまうかもしれない。
 柚巴は、世凪の腕の中、すっかり困り果てていた。
 たしかに、柚巴と世凪は、結婚の約束をしている。
 そして、柚巴が正式にこちらの世界にやってくるのは、柚巴が高校を卒業してから……。
 そのような約束も、二人の間ではかわされている。
 だか、もし、その時、それ以上進学を望めば、それも可能である。
 といった、そんなあやふやな口約束だけれど……。
 限夢人にとっては、六、七年など、そうたいした時間ではない。
 しかし、限夢人よりはるかに寿命の短い人間だから、二人一緒にいられる時間は、とても貴重なものだろう。
 それでも、世凪は柚巴の意思を尊重する。
 世凪を選んだことを後悔して欲しくないから。
 柚巴には、思うように生きて欲しい。
 大切だから、自由に……。
 そう望まずにはいられない。
 それは、自分の幸せよりも、何よりも優先される。
 柚巴さえ幸せならば……もう何も言うことはない。
 世界でたった一つのこの宝物のためなら、世凪はどんな苦しみにもたえよう。
 どんなことでもやってのけよう。
 柚巴が、望むなら――
 しかし、そんな王子様の思いなど、重臣たちにとっては、どうでもいいことである。
 重臣たちはおろか、民衆たちまでも、今すぐに柚巴がこちらの世界に加わることを望んでいる。
 柚巴は、希望。
 この世界に、光をもたらす希望。
 これまででも十分、奇跡と思えるその光を見てきた。
 柚巴は、きっとこの世界を変える存在になるだろう。
 この不条理な因習を連綿と続ける世界に、光をもたらす希望。
 そう、とりとめなく感じている。
 しかし、それでもやはり、世凪はそれを認めるわけにいかない。
 そんなものよりも、柚巴との約束が、最も重要だから。
 もし、今柚巴がこちらの世界に正式に入ってしまうと、柚巴はもう人間界へ戻ることはなかなかかなわなくなるだろう。
 もともと、柚巴を、王族という鎖で縛るつもりも、王宮という鳥かごに閉じ込めておくつもりもない。
 できるなら、のびのびと、ずっと幸せに笑っていて欲しい。
 柚巴の笑顔が、世凪のいちばんの喜びだから。幸せだから。
 だから世凪は、王宮におしこめられることによって、柚巴の笑顔を失うことを懸念している。
 もう、そろそろいい。
 柚巴がそう思えるようになる頃まで、ずっとずっと待ち続ける覚悟である。
 だから、今は、この逃げまわる小鳥を逃がそうとしている。
 柚巴まだ、本当のことをいえば、王子様のお妃になる覚悟はないから。
 世凪とそういう関係になってもいいとは思っても、王子様のお妃になりたいとは思っていない。
 ただ、世凪とずっと一緒にいられるなら……。
 それだけで、婚約を承諾した。
 まだまだ成長過程の、恋心。
「王子〜! なんということをおっしゃいますか!!」
 重臣が悲痛にそう叫んだ時にはすでに、柚巴と世凪の姿はその場から消えていた。
 悲しく、冷たい一筋の風が、その場を通り過ぎていく。


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update:04/09/23