逢魔が時
(2)

「まったく。あの騒ぎは、一体何なのだ!?」
 ぶつぶつと愚痴りながら、世凪はスープをのせたスプーンを口に運んでいる。
 限夢宮の中でも見晴らしのよい方である、世凪の私室の窓際に置かれたテーブルに、柚巴を正面に、世凪は腰かけていた。
 手をのばせばすぐとどくその位置に、柚巴をおき。
 小さな、二人がけのテーブル。
 白いレースのカーテンが、ひらひらと秋の風にゆられている。
 ひんやりと冷たい風が吹き込んでくる。
 少しの肌寒さよりも、この窓を開け放った気持ちよさの方を選択したらしい。
「わたしにきかれても、わからないよ」
 ぶっすうとふくれっつらの世凪に、柚巴は眉尻を下げてため息をもらした。
 本当に、そんなこと、柚巴に言われたって、どう答えればよいのかわからない。
 それは、恐らく、柚巴がいちばん聞きたいだろう。
 まさか、限夢界中から、王子様のお妃として求められているなど、思ってもいないだろうから。
 ただ世凪といるためだけにそれを選んだのだから、もとより、そんなものはどうでもいいかもしれないけれど。
 王に認められ、世凪に求められ、まわりの親しい者たちから、呆れ半分に祝福されるだけで、それだけで柚巴はもう十分。
 多くは望まない。
 万人に認められようなど、人間の柚巴が叶うはずがないから……。
 本当のところなど知らずに、柚巴はそう思っている。
 先ほど、重臣たちの前から消えた後、人間界へ戻ったわけではなかった。
 ただ、世凪の私室に逃げ込んだだけ。
 もとから、世凪がそう簡単に、人間界へ帰すはずがない。やってきたばかりなのだから。
 会ってそしてすぐにまたばいばいなんて、そんなの認められるわけがない。
 だから、誰にも邪魔されず一緒にいられる場所へやって来た。
 まだ、ようやく太陽が中天にさしかかった頃だというのに、そう簡単に柚巴を人間界へ帰せるはずがない。
 本当は、昼も夜もなく、ずっと柚巴と一緒にいたいけれど……それは、今は我慢しておく。
 いつか、いつの日か、そう遠くはない未来、それが叶う時がやってくるのだから。
 今は、それを楽しみに、我慢我慢。
 世凪の私室に逃げ帰り、窓際のそのテーブルで、二人一緒に昼食をとっている。
 柚巴が鳴らす、フォークとお皿があたるかちゃっという小さな音が、世凪の耳には妙に心地よかった。
 一緒にいる。
 それを実感することができるから。
 ずっとずっと、こうして二人きり、ゆったりとした時間を過ごしたかった。
 あの日、あの幼き日、その目にした瞬間から、ずっと……。
 ずっとずっと、柚巴だけを、狂おしいほどに求めていた。
「柚巴、気にしなくていいからな。あいつらには勝手に言わせておけ。そのうち落ち着くだろう」
 相変わらずのふてくされ顔で、肉を突き刺したフォークを口へ運ぶ。
「う……ん」
 柚巴は、かちゃんと小さな音を立て、フォークとナイフを皿の上においた。
 そして、少しうつむく。
「どうした? 柚巴、元気がないぞ?」
 もちろん、そんな柚巴に、世凪が気づかないわけがなかった。
 眉を寄せ、心配そうに柚巴の顔をのぞきこむ。
 すると、ちらっと見上げた柚巴の目と、その視線がからまった。
 それで、世凪は何かに気づいたのか、少し口をあけ、そしてためらいがちにまたその口をとじていく。
 かわりに、世凪の口から、小さなため息がもれた。
「安心しろ。お前がこちらに来られない間は、暇を見つけて俺が人間界へ行ってやる」
 そう言って、ふわりと柚巴の頬を包み込む。
 くいっと顔を上げさせ、優しく熱い眼差しを向け。
 まっすぐに、柚巴を、柚巴だけを見つめている。
「ば、馬鹿! そうじゃないわよ!」
 瞬間、世凪に返された柚巴の言葉はそれだった。
 かあっと顔を真っ赤にして、何やら憤っている。
 恥ずかしそうに。
 そのような柚巴を見て、世凪はやっぱりにやりと意地悪く微笑む。
 どこか、楽しそうに。嬉しそうに。
「へえ〜、ふーん。そう……。そのわりには、動揺しているよ? 柚巴ちゃんっ」
 そう言って、にたにたと微笑む。
 まったく、この王子様は。
 本当に、性格が悪い。
 瞬間、世凪に返されたものは、うっすらと涙をためた、悔しそうな柚巴のにらみだった。
「世凪なんて大嫌い!」
 柚巴はそう叫ぶと、頬にかかる世凪の手を乱暴に振り払う。
 そして、がたんと立ち上がり、食事もそこそこに、部屋を飛び出して行く。
「おい! 馬鹿……!!」
 世凪も、半分慌てて、半分呆れて、急いで立ち上がった。
 それから、がしがしっと頭をかき、舌打ちしながら柚巴の後を追いかけていく。
 いじめすぎるから、愛しい少女に逃げられるのである。
 自業自得。俺様王子様。


 はあはあと息を切らせ力いっぱい走る柚巴の姿が、中庭に続く回廊にあった。
 そして、もう目の前には、中庭が見えてきた頃だった。
「柚巴?」
 そんな不思議そうに名を呼ぶ声が、柚巴にかかった。
 声のする方に顔を向けると、そこにはあんぐりと口を開けた華久夜の姿があった。
 それはまるで、ここにあってはならないものを見るような目。
 柚巴が、この回廊を走っていることが、信じられないといっている。
 そして、次の瞬間には、はっと何かに気づき、責めるように叫び声を上げる。
「ちょっとあなた、何しているのよ! 早く人間界へ帰りなさいよ。――ってもう、言っているそばから……!!」
 ちっと舌打ちをし、華久夜は柚巴の腕を強引につかみ、瞬間、その場から姿を消した。


 限夢宮。神域。
 ローレライの泉の前。
 そこに、柚巴と華久夜の姿があった。
 ローレライの泉と呼ばれるその噴水から、きらきらと霧のようなしずくが飛び散ってくる。
 秋晴れのこの空に、よく似合う。
 ぽかぽかとあたたかい小春日和の今日には、ちょうどよいかもしれない。
「まったくもう、あなたって人は……!!」
 盛大にため息をもらしながら、呆れ顔で、華久夜はつかんでいた柚巴の腕をはなした。
 そして、仁王立ちで腰に手をあて、じろりと柚巴を横目で見る。
 その言葉通り、「まったくもう、あなたって人は」と。
「……と言っても無駄だったわね……。それで、一体、あんなところで何をしていたの? 捕まってはおしまいよ?」
 じろりといくらにらみつけても、柚巴のきょとんとした顔は変わることはなかった。
 いつものように、どうして華久夜がこんなに憤っているのかわからないでいる。
 そんな柚巴に、華久夜はそれまでの憤りを失念してしまった。
 もう、柚巴って、どうしてこうなのかしら?と。
「何と言われても……」
 華久夜の言葉に、うつむき加減にちらちらと華久夜を見て、つんと口をとがらせる。
 そして、もごもごと口ごもる。
 何をしていた……など、そんなことが言えるわけがない。
 まさか、からかってくる世凪に腹を立て、逃げ込んだ世凪の私室から飛び出してきた……なんてそんなこと。
「まあ、いいわ。とにかく、お兄様のところに行かなければね。そして、あなたを人間界へ連れて行ってもらわなければ」
 どうにも歯切れの悪い柚巴に、華久夜ははあと大きなため息をもらす。
「あの……。それはいいの」
 華久夜の言葉に、柚巴は慌ててそうやって抗いをみせる。
 当然、華久夜の顔は訝しげにゆがむ。
 こんなところに長くいては、柚巴は……。
 華久夜だって、最近の限夢界の動きは心得ている。
 柚巴を、今すぐにでも世凪と結婚させようとしている……そういった動き。
 だから、それを回避するため、わざわざこうやって骨を折ってやっているというのに……。
「わかっているの!? ここにいては、もう二度と人間界へ帰れなくなってしまうわよ!? わたしが言うのも何だけれど、本当に限夢人はしつこいのだから……!」
 まったく状況を理解できていないのは、知らないのは本人だけかと言わんばかりに、華久夜はそうまくしたてる。
 嗚呼。もう。鈍いにもほどがある。
 さすがに、華久夜とて、そろそろ頭が痛くなってきた……。
 そうやって、頭を抱えた時だった。
「柚巴は帰さないよ」
 そんな言葉が柚巴に降り注ぎ、ふわりと世凪が姿を現した。
 そして、すかさず、その胸に柚巴を抱き寄せる。


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update:04/09/28