消える馬車の貴人
(1)

 ある日、限夢界の王子様は人間の少女に恋をした。
 幼い日に見つけた、人目をさけて泣く少女に恋をした。
 王子様は少女を手に入れようと作戦をたてたけれど、それはことごとく失敗に終わり、かえって嫌われるはめになってしまう。
 しかしある時、奇跡は起こった。
 王子様は、ついには少女の心を射止めてしまったのである。
 その燃ゆる思いで、少女だけに向けられた、燃ゆる眼差しで――


「――王子……。この世界の王子というのが、実は俺だ」

 王子様は少女の追及に屈し、ついにはそう答えていた。


 それから、幾日も、王子様と少女はともに過ごしていく。
 そして、ある夕暮れ時。
 二人はとうとう、はじめてをかわした。
 それは、誰も知らない二人だけの秘密。出来事。
 彼らを悩ませるいろいろなことがあり、そして少女の新たな力が発覚した。
 王子様の暴走をとめられるのは、少女だけ。
 そんなことは、もう誰でも知っていたけれど……。
 限夢界でも一ニを争う力の持ち主である王子様の攻撃に、結界一つで身を守れたというそのこと。
 それは、少女を認めずにはいられない不思議だった。

 少女はもう、彼女が起こす数々の奇跡によって、限夢界中に、王子様のお妃として認められている。
 彼女の存在自体が、限夢界の奇跡になりつつある――


 限夢界。限夢宮。
 門前に、いくらか人影が見える。
 さすがは限夢界の王宮の正門だけあり、それはそれは大きく、威厳のあるものである。
 他とは異なり、何ら装飾のようなものは施されていない。
 ただ、一目見ただけでわかる。
 この門は、警備のためだけに造られた、難攻不落の門のように感じる。
 もちろん、それに加え、王自ら、この門に結界をはっている。
 不逞の輩の浸入から守るため。
 それが、ぴりぴりと伝わってくる。
 この結界から察するところ……限夢王は、相当な力を有しているのだろう。
 その門の前に、柚巴たちはいた。
 ぶすうっとご機嫌ななめな世凪を、柚巴は鬼栖をきゅっと抱きしめ、心配そうに見ている。
 世凪の後ろには、梓海道、莱牙、華久夜、由岐耶たちといった使い魔が控えている。
 彼らは一様に、どこか難しい表情を浮かべている。
 そのような光景を、この門を守る門兵たちが、ちらちらはらはらと様子うかがいをしていた。
 この並並ならぬ緊張感に、異変を感じ取っているらしい。
「それでは、たしかにいただいていきます」
 世凪を心配そうに見つめる柚巴の姿は、何故だか、世凪以外の男の腕の中にあった。
 それが、誰もが感じる異変。
 誰もが、世凪の柚巴へのうっとうしすぎる思いを知っているだけに、それは彼らを驚愕に陥れる。
 あの世凪が、愛しい柚巴を奪われているというのに、何故だか黙っている。
 むすうっとこの上なく不機嫌に顔をゆがめるだけで。
 これは……一体、どういうことだろうか?
「誰がやると言った。誰が……」
 はき捨てるように世凪がつぶやく。
 そして、当然投げかけられるぎろりと厳しい世凪の視線。
 怖いもの知らずにも、柚巴をその腕に抱く男へ。
 今、柚巴を抱くこの男は、全身黒ずくめ。
 真っ黒くさらっとした短い髪を持ち、真っ黒のマントで身を包み。
 世凪のマントの悪趣味さに負けず劣らず……といったいでたちである。
 そして、長身にがしっと大きな体格……。
 その腕の中にあるので、柚巴も逃げ出そうにもそれはかなわないようである。
 この男の名は、覇夢赦(はむしゃ)
 世凪から奪われ、覇夢赦の腕の中にいる柚巴は、苦笑いを浮かべている。
 それ以前に、この状況についていけていないようでもあるけれど。
 柚巴だって、世凪があっさりと他の男に自分を渡すなど思っていないから。
「同じことでしょう? あなたはわたしとの賭けに負けたのですから、口出しできませんよ」
 苦々しげににらみつけてくる世凪に、覇夢赦はさらっとそう言ってみせる。
 そして、きゅっと柚巴を抱く腕に力を入れる。
 決して力を入れすぎず、けれど逃げられないように、包み込むように抱いている。
 それがますます、世凪の神経をさかなでていく。
 ぴくりと、額に青筋の十本や二十本は浮かんでいたかもしれない。
 ぴくぴくとひきつる世凪に、ふっと嫌味な視線を向け、覇夢赦はくすくすと笑う。
 そして、やはり困ったように首をかしげる柚巴を、ふわりと抱き上げた。
 何故だか、覇夢赦にかかっても、お姫様だっこで。
 そして、すぐ後ろにとまっている黒塗りの馬車へと歩み寄る。
 同時に、御者らしき男が、すっと馬車の扉を開け、開けられたそこに柚巴をゆっくりと下ろした。
 柚巴は、ふかふかの椅子の上に、ぽすんと身を沈める。
 そして、不安げに、そこから世凪をじっと見つめる。
「いいか。三日だ。三日だけだからな!」
 ぎりりと唇を噛み、世凪は半ばやけ気味にそう怒鳴った。
 そのマントの内では、握り締められた拳がぶるぶると震えている。
 本当は、今にも駆け寄って、再び柚巴をその腕の中に抱きしめたいにもかかわらず。
 ずっとずっとはなすことなく、柚巴を感じていたいにもかかわらず。
 柚巴の乗る黒塗りの馬車を切なそうに見つめる。
 その馬車は、馬車といっても、ひいているものは馬ではない。
 だからといって、ロバや牛などでもない。
 真っ黒の天使のような羽と、ドリルのような先のとがった角を頭に一つ頂く、真っ黒な馬のような生き物である。
 簡単に言ってしまうと、ユニコーンのような生き物に羽をはやしただけ。
 そして、その色は、白ではなく、黒。
 真っ黒なそのいでたちからは想像ができないほど、優しく澄んだ目を持つ生き物。
「はいはい。わかっていますよ」
 憤る世凪の言葉を、覇夢赦はそのように適当にあしらう。
 まったく、相手にもしていないらしい。
 この覇夢赦という男、実は、世凪に対してこのような態度をとれてしまう地位にある人物なのである。
 そう。限夢界の王子にすら、このように振る舞える……。
 覇夢赦は、適当に世凪に答えると、自分も馬車へと乗り込む。
 ぎりっと唇を噛む世凪を嘲笑うかのように、扉がしめられた。
 そして、みしりと音を立て、車輪が動き出す。
 次第に加速し、そして車輪は地面からはなれていく。
 ふわりと宙に浮かび、大空へとのぼっていく。
 それを、不服そうに世凪は見つめていた。
 次第に消えていく、真っ黒い馬車を。
 柚巴をのせた、その馬車を。
 そして、馬車は、鬼栖とともに柚巴をさらい、オレンジ色に染まった空へととけるように消えていった。


 限夢界。
 そこは、不思議な力を持つ者たちが住む世界。
 その世界は、人間界と微かなつながりを持っており、この度、限夢界はじまって以来の偉業が成し遂げられた。
 それは、限夢界の王子様と、人間界の少女の婚約。
 誰もが予想していたよりもはるかに仲睦まじく、互いに求め合う。
 それが、なんとも微笑ましく誰の目にも映っていた。
 そうやって、王子様と少女は、幸せに時を過ごしていたのだけれど――


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update:04/10/28