消える馬車の貴人
(2)

 空駆ける馬車。
 柚巴と覇夢赦は、向かい合い座っていた。
 馬車の窓から、外に広がる、限夢界のオレンジ色の空をぼんやりと見つめ。
 もうそろそろ、この景色も見られなくなる。
 つい先ほど、覇夢赦からそれが告げられた。
 柚巴が乗るこの馬車は、異なる世界を行き来できる特別な馬車だという。
 そして、もうすぐ、限夢界の上空にある特別な場所から、異なる世界へと移動していく。
 柚巴がこれから連れて行かれようとしているその世界は、比礼界(へれかい)
 覇夢赦は、そこの王である。
 だから世凪に対しても、あれほど不遜な態度がとれていたのである。
 限夢界と比礼界。
 それは、対をなす世界。
 
 とうとう、柚巴が限夢界に別れを告げる瞬間がやってきた。
 真っ白くぽっかりと穴のあいた空間が、目の前に見える。
 ホワイトホール?
 そう思ったが、それは違う。
 ホワイトホールは、宇宙にある吐き出す穴。
 今、柚巴が乗った馬車は、その白い穴に吸い込まれようとしている。
 ……いや。それは、語弊だろう。
 吸い込まれるのではなく、馬車が自ら、その穴へ入っていくのだから。
 しかし、柚巴の目には、この真っ白い穴は、ブラックホールに見えていた。
 全てを飲み込む、恐ろしい穴。
「世凪は、拍子抜けするほど、あっさりとわたしを見送ったと思いませんか?」
 馬車が白い穴に入った瞬間、窓の外から覇夢赦へと視線を移し、そう静かに言っていた。
 どこか非難するような眼差しを向けて。
 そのような柚巴に、覇夢赦は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐにくすりと笑う。
「それは、わたしに完全に負けたと認めたからではないですか? あの人は、型破りなところはあるが、その辺りにおいてはプライドをお持ちだ」
 そうして、くくっと肩を揺らして笑い出した。
 それはまるで、世凪のことならお見通しというように柚巴の目には見えてしまったので、少しおもしろくなかった。
 世凪のことをいちばんよく理解しているのは、柚巴であってほしいから。
 いや。柚巴だから。柚巴でなければならないから。
 柚巴以外に、世凪のことを理解している者がこの世にいるなんて、そんなのは許せない。認められない。
 あのわがまま俺様王子様を理解し、そして受け入れるのは……柚巴以外にあってはならない。
「それはどうでしょうか?」
 だから、不機嫌にそう返していたのかもしれない。
 また、すっと窓の外に視線を移す。
 するとそこは、白一色の世界だった。
 まだ、白い穴を抜けきっていないらしい。
 柚巴のその言葉に、覇夢赦はぴくりと反応する。
 少し、馬車の中の空気がぴりっと厳しくなったような気がする。
 しかし、柚巴はそれにかまわず、くすっと笑いをもらした。
「世凪は気づいていますよ。あなたがいかさまをしたことに」
 そんな言葉を添えて。
 瞬間、覇夢赦は目を見開いたが、すぐにふっと不敵な笑みを浮かべた。
 多少、動揺の色もうかがえる。
 柚巴の言葉は、相当意外なものだったらしい。
 ……いや。もしかすると、覇夢赦のプライドを傷つけるものだったのかもしれない。
 覇夢赦のどこか苦々しげなこの表情から察すると。
「まさか……。それならば、あの世凪殿が、おとなしくあなたを渡すわけがないでしょう?」
「わかっていませんね。世凪を」
 柚巴は、そう即答した。
 そして、にっこりと微笑む。
 柚巴の腕の中で、鬼栖も何故だか得意げに微笑んでいた。――ように見えるだけ――
 そうやって、柚巴はまた、窓の外へと視線を向ける。
 腕の中にいる鬼栖を、くりくりとなでながら。
 そのような柚巴を、覇夢赦は複雑な笑みを浮かべ、にらむように見ていた。
 ぞくりと、その背に悪寒でもはしったのか、額にはほんのりと汗がひかっている。
 今、窓の外を静かに見つめるこの華奢な少女が、どことなく恐ろしくなってしまったのかもしれない。
 そして、柚巴を世凪のもとから連れてきたことを、あらためて正解だと思う。


 柚巴をさらった馬車が消えたそこを、世凪はまだ見上げていた。
 どこか淋しそうに、そして心配そうに。
 たった三日間とはいえ、手放したその存在は大きい。
 しかし、世凪には、今回、柚巴を手放さなければならない事情があった。
 だから、仕方なく。
 それは、大切で大切でどうしようもない柚巴を自分のもとにとどめておくよりも、もっと大事なこと。
 そして、柚巴を信頼している。
 柚巴なら大丈夫。
 いや、柚巴でなければこれはなし得ない……。
 淋しそうに落とされた世凪の肩に、心配そうな梓海道の声がかかる。
「世凪さま。本当によろしかったのですか? 柚巴さまを行かせてしまって……」
 梓海道は、世凪の従僕である。
 鮮やかな銀の髪を持つ青年。
 従僕の銀の髪は、主の力が大きければ大きいほど、それは鮮やかになるという。
 恐らく、限夢界において、梓海道ほど鮮やかな銀の髪を持つ者はいないだろう。
 そんな梓海道だからこそ、幼い日よりずっとそばで世凪を見守ってきた梓海道だからこそ、柚巴を行かせてしまった世凪のその辛い思いが、痛いくらいにわかる。
 身を引き裂かれるような思いだろう。
「かまわん」
 しかし、梓海道の予想に反し、世凪からもたらされた言葉は、その淋しそうな姿からは想像すらできないくらい、あっさりとしたものだった。
 それは、強がりなどには見えなかったから、世凪の真意がわからなくなる。
 それは、自分の誇りのため?
 世凪は、いくらむちゃくちゃな男だとはいっても、一度約束したことはそのプライドのために守る。
 しかも今回賭けをした立場は、一個人ではなく、限夢界の王子と、比礼界の王としてのそれで。
 いわば、世界をかけた賭けともいえる。
 だからこそ、この約束を反故にすることなどできない。
 それは、王子としての責任。義務。
「……しかし、覇夢赦殿はいかさまをしていましたよ? それなのに……世凪さまは、あまりにもあっさりと……」
「それはわかっている」
 梓海道の言葉に、世凪はまたしてもそう即答した。
 ならば何故、不正を行っていたと知りながら、大切なはずの柚巴を行かせてしまったのか。
 世凪のことが、わからなくなる。
 梓海道は、そんな不安に襲われてしまった。
 本当に、この主は、一体何を考えているのだろうか?
 柚巴はもう、世凪だけの柚巴ではないのに……。
 柚巴は、この世界のもの。この世界の光――
 不安げに見つめるそこで、ふいに世凪はふふっと笑った。
「……おもしろいじゃないか。この俺に喧嘩を売ってきたのだからな!」
 そして、にやりと不気味に微笑む。
 それに梓海道は衝撃を受けたように目を見開いた。
 責めるように叫ぶ。
「し、しかし、世凪さま! それでは、柚巴さまは……!?」
 慌てる梓海道に、世凪はふっと意味ありげな視線を流す。
 それから、にやっと微笑む。
「柚巴なら、心配ないだろう。鬼栖の奴をつけておいたからな。……まあ、あんなものでもいないよりはましだろう? ……それに、柚巴も、奴の不正に気づいていた」
 なんともあっさりと、世凪はそう言い切った。
 そして、やはり、意味ありげに微笑む。
 それはまるで、おもしろいおもちゃでもみつけた、いたずら小僧のような笑み。
 梓海道は、ますます世凪の真意がわからなくなってしまった。
「……世凪さま……。一体、何をお考えですか?」
 梓海道はそれだけを言うと、がくんと肩を落とした。
 もう、それ以上、世凪に何かを言うことを諦めてしまったらしい。
 この王子様が何かはかりごとをする時は、誰が何を言っても無駄だと重々承知しているだけに。
 そんな世凪の暴走を唯一とめられる存在、柚巴は、今はここにはいない。
 大切な柚巴まで巻き込み、世凪は一体、何をしようとしているのだろうか?


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update:04/11/03