求められる協力
(2)

「協力……?」
 ぎゅむっと鬼栖のもこもこの毛に顔をうずめ、そこからちらちらと視線だけを覇夢赦に向ける。
 鬼栖の毛むくじゃらなその体に顔をおしつけているから、必然、くぐもった声になる。
 その声の響きが、柚巴の訝しげな感情の演出をよくしてくれる。
 そんなことがなくたって、十分に、不審げな声を出しているけれど。
 ちらりと視線だけを向ける……という柚巴のその行動が、覇夢赦の言葉は信じられないと、如実に語ってはいる。
 たしかに、今、覇夢赦の口から出たそれは、とうてい信じられるようなものではない。
 不正をして、だまし討ちのようにこの比礼界にさらってくるような相手である。
 何の疑いも抱かずに、信じられるはずがない。いくら、馬鹿正直な柚巴といえど。
 ……いや。信じようと思えば、信じられるかもしれないけれど……。
 やはり、この覇夢赦という男は、胡散臭くて仕方がない。
 人を疑うことを知らない柚巴でも、そう感じてしまう。
 覇夢赦から漂う空気が、そう思わせる。
 触れるだけで大怪我をしてしまいそうな、そんな鋭い刃のような空気をまとっている。
 その眼差しもまた、ぞくりと冷たいものをはらみ、にらみつけられると、そのまま凍ってしまいそうな光を放っている。
 誰もが、その眼光の前では、身をすくめてしまうだろう。
 そんな男を、簡単に受け入れられるはずがない。
 しかし、そうはいっても、相手は一応、限夢界と対をなす比礼界の王。
 あまり無下にすることもできない。
 それは、限夢界にいらぬ災いをもたらすことになりかねないから。
 柚巴は、これでも一応、王子の婚約者という立場にある。
 それはすなわち、王族も同じ。
 そのような立場にある者が、軽はずみな行動などできようはずがない。
 事は、自分一人の身にふりかかるだけにとどまらず、限夢界すべてに影響しかねないから。
 だから、柚巴とて、いくら気に入らなくとも、恐ろしくとも、そういわれてしまっては、まったく耳を傾けないわけにはいかなくなる。
 もちろん、警戒をとくことはあり得ないけれど。
「あなたは、何度も、不思議な力で、限夢界の危機を救ったと聞きます。ですから、今度は、その力を、この比礼界に貸していただきたく……来ていただきました」
 ぴりぴりと、必要以上にも思える警戒を続ける柚巴に、覇夢赦はさらりとそう言ってくる。
 自然に言葉が出てきてはいるけれど、その言葉の内容は、どうしても自然などとは思えるものではない。
 聞き捨てなどできない。
 柚巴の顔が、さらに怪訝にゆがむ。
 相変わらず、鬼栖のもじゃもじゃの黒い毛にうずめたままで。
「力……? 危機……?」
 ぽつりとつぶやかれたその言葉は、発せられてしかるべき言葉だろう。
 いきなり、力だとか、危機だとか……。
 柚巴の日常から逸脱した言葉なのだから。
 ――いや。実際に、柚巴は少し前、その言葉の渦中に身をおいたこともあるから……一概に、逸脱しているとは言えないけれど。
 だけど、それでも、やっぱり、柚巴とは異なった次元の言葉には変わりない。
 そんな言葉とともに、協力という言葉をなげかけられるほど、柚巴は優れた人間でも、役に立つ人間でもない……はず。
「そうです。あなたの守る限夢界と、この比礼界は、いわば表裏一体。こちらの世界に何かあれば、あちらの世界もただではすみません」
 妙にすました顔で、覇夢赦はそんな爆弾発言をする。
 対をなす……とは、聞いた覚えはあるけれど……。
 まさか、表裏一体などとは。
 そして、比礼界に何かあれば、限夢界もただではすまないとは……それではまるで、脅しているようなものである。
 ぴくんと反応した柚巴の眉に、覇夢赦はまるで企みが成功したかのように、にやりと口の端を上げる。
 柚巴の反応がはじめからわかっていて、あえてそのような発言をしたともとれるその不気味な笑み。
 何も知らない柚巴を、むやみに怖がらせているようにもとれる。
「……と言われても、わたしにできることなんてあるのでしょうか? それにたしか、三日の約束ですよね? そんな短期間に一体……」
 それでも、柚巴も負けてはおらず、そうやって食い下がる。
 いきなりそんなことを言われても、柚巴にはどうすればいいのかわからない。
 仮にそれが本当だとすれば、柚巴の一存で判断などできるはずがない。
 事が、限夢界にかかわることとなるのならば。
 限夢王や、王子である世凪の判断は、是非ともあおがなければならない。
 いくら、限夢界の王子様の婚約者といっても、柚巴はやっぱり、人間だから。
 限夢界でも、この比礼界でも、異端だから……。
 そして何より、覇夢赦が言っているような力が、柚巴にあるなどとはとうてい思えない。
 それは、噂におひれがついているにすぎないから。誇張されているにすぎないから。
 限夢界の危機を救ったなど……。
 誇大された噂にすぎない。
 柚巴は、何もしてはいないのだから。
 気づけば、そういうことになっていただけ。
「この世界は別名、地獄とも呼ばれています。それが一体、何を意味しているかおわかりですか?」
 どうにも渋る柚巴に、ふうと一つ小さな息をはき、覇夢赦はそう言ってきた。
 どうしていきなり、そんな話になるのか……。
 当然のことながら、柚巴にはわからない。
 鬼栖のもじゃもじゃの毛に顔をうずめたまま、むうと眉を寄せる。
 それにしても……別名、地獄?
 それには、首をひねらずにはいられない。
「……わかりません。それは一体、どういう意味なのですか? 地獄って……」
 だから当然、柚巴の返事もそのようなものになり、覇夢赦に対する不審がますます募っていく。
 比礼界自体、柚巴にはほとんどはじめて耳にするような世界なのに、それについて聞かれてもわかるはずがない。
 限夢界と違って、比礼界にはまったく接触がなかったのだから。これまで。
 そして、限夢人からも、その名を聞いたことはなかった。
 いきなり、その世界の王が、限夢界の王宮へやってきて、王子と賭けをはじめるまでは。
 柚巴の返事に、口の端をくいっと上げ、予想通りの答えだったのか、覇夢赦は満足げに微笑む。
 そして、いやに癪に障るにっこりとした微笑みを、柚巴に向けてくる。
「限夢界と対をなしているといっても、実は別物です。我々の世界は、あなた方人間界で思われているところの地獄の役割を果たしているのですよ」
 そして、そんなことをさらりと言ってのけた。
 先ほど、限夢界とは表裏一体と言ったばかりなのに、早速そうやってその発言を覆してくれた。
 別名、地獄とも言っていたけれど……それでは、そのままではないか。
 では、この覇夢赦は、さしずめ閻魔さまといったところだろうか?
 微妙に違う気はするけれど……。
 ますます、覇夢赦の言っていることがわからなくなる。
 そして、支離滅裂に思えてならない。
 こんなにいい加減な情報ばかり流し込まれたら……余計に、覇夢赦の言っていることが信用できなくなる。
 そう。この比礼界が、危機に瀕している……という、その根底から。
「だけど、そんな所がどうして、危機だなんて……」
 とりあえず、頭の中でどうにか整理ができたそれだけを、確認してみることにした。
 これだけは、与えられた情報を処理しきれなくてビジー状態の頭も、一応はどうにか処理できた。
 何故、比礼界が危機に瀕していると言えるのだろうか?
 危機に瀕しているわりには……言っては何だが、覇夢赦は妙に落ち着き払っているようにも見える。
 もしかすると、これが王というものなのかもしれないけれど……。
 多少は、動揺の色を見せてくれた方が、真実味があるというもの。
 そして、一体、具体的には何が危機なのだろうか?
 それがわからなければ、求められたところで、協力のしようもない。
 どちらにしても、柚巴は、のり気でないことだけは確かである。
「……それは、おいおいわかることでしょう」
 結局、覇夢赦からは、納得のいく答えはもらえないまま、そうやって話を打ち切られてしまった。
 どうにも、覇夢赦は、何かを隠しているように思えてならない。
 とても大切な何かを……。
 それを隠されている限り、協力などできない。
 それよりも何よりも、柚巴の心は、早く約束の三日が過ぎることを、今か今かと待ち望んでいる。
 とうとう、頭は、情報を処理することを放り出してしまった。
 考えたところで、わからないものはわからないから。
 結局は、ちんぷんかんぷんのまま。


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update:04/11/15