比礼という名の世界
(3)

 ぶるるっと身震いする柚巴へと、覇夢赦がすっと歩み寄ってくる。
 それに気づいた鬼栖が、すかさずきしゃあっと威嚇する。
 しかし、覇夢赦はそんなものはさらっと無視して、さっさと柚巴のすぐ後ろまでやってきてしまった。
 それでも、鬼栖は諦めることなく、きしゃあきしゃあと威嚇し続けている。
 そんな鬼栖をちらっと見て、覇夢赦はにやっとどこか癪に障る笑みを口のはしに刻む。
 それから、自らのマントの中から、するりと真っ白いレース編みのストールを取り出した。
 それを、そっと柚巴の肩にかける。
 ふいに感じたそのぬくもりに、柚巴はさっと振り返る。
「え……?」
 そして、訝しげに覇夢赦を見つめる。
 そのような柚巴の視線を受け、覇夢赦はにこっと微笑んだ。
 同時に、柚巴の肩に手をかけ、すっと馬車の中へ促す。
「……」
 少しためらいがちに、渋々柚巴は馬車へと片足を踏み入れる。
 もちろん、訝しげに覇夢赦をみながら。
 柚巴には、何故、覇夢赦が今、柚巴にストールをかけたのかがわからない。
 それは、柚巴でなくてもわからないことだろう。
 覇夢赦は柚巴と違って、柚巴に警戒心のようなものも、敵意のようなものも抱いているわけではないけれど、だからって、今柚巴の肩にストールをかけたことが腑に落ちるわけがない。
 だって、それはまるで、あらかじめ用意されていたようだから。
 そんな気遣いが、この男にできるとはとうてい思えない。
 いや。それ以前に、何故、覇夢赦は柚巴に優しくするのか……。
 それが、他意を感じて仕方がない。
 裏でよからぬことを企んでいるに違いないのだから。
 絶対に、この男に心を許してはならない。
 柚巴は、あらためて、自分にそう言い聞かせる。
「それにしても、その小悪魔。いつもあなたと一緒ですね? よほどお気に入りのペットと見える」
 柚巴の腕に抱かれた鬼栖をちらりと一瞥し、覇夢赦はやはり、どこか嫌味っぽくふっと薄い笑みを浮かべる。
「俺様はペットなどではない! 柚巴の従魔だ!!」
 瞬間、鬼栖が食いつかんばかりの勢いで、そう反論する。
 憎らしげに、覇夢赦をにらみつけてもいる。
 まったくもって、馬鹿にするのもたいがいにしろ。俺様を誰だと思っている!?とでも言いたげに、いかにも鬼栖らしいふてぶてしい態度で、柚巴の腕の中を占領し続けている。
 ……従魔が、聞いて呆れる。
 どこの世界に、ご主人様の腕の中を、我が物顔で占拠する従魔がいるというのだろうか。
 普通は、自らが盾となり、ご主人様を守るものなのでは……?
 まあ、そんなことは、鬼栖に言ったところで、何もはじまらないけれど。
 これでも、鬼栖は鬼栖なりに、柚巴を守っているつもりでいるようだし。
 ……まったく役に立たないけれど。
「同じことではないですか」
 鬼栖の自尊心も、覇夢赦のそんな言葉で、あっさりと打ち砕かれてしまった。
 が〜んと、ショックの色をあらわにする。
 ……ように見えるだけ。
 頭のまわりで、がらんごろんと鐘が鳴っている。
「柚巴〜! 俺様、こいつ嫌いだ!」
 そして、次の瞬間には、そう叫びながら、ぐりぐりと、柚巴の胸に顔を押しつけている。
 まったくもって、この小悪魔は……。
 この場面を華久夜に見せると……ドスケベ雑魚(ざこ)、とでも言うに違いない。
 そして、世凪などに見られようものなら……間違いなく、地面に埋まっている。
 ……いや。即座にあの世いき?
 冥界の神・ヘルネスとこんにちは?
「あはは。鬼栖ちゃん、くすぐったいってば」
 鬼栖の泣き叫びとはうってかわって、柚巴ときたら、そうやってくすくすと笑っている。
 どうやら、腕の中でもぞもぞゆれるそのふわふわの毛が、柚巴をくすぐっているようである。
 まるで、ねこじゃらしでくすぐられているみたいにくすぐったい。
 抱く腕や首や顔に、さわさわとこすれて。
 悔しがり、泣き叫ぶ鬼栖と、その鬼栖を抱きながら、くすぐったそうに笑い声を上げる柚巴。
 今の今まで、たしかに覇夢赦相手に、敵意をむきだしていたようには思えない。
 警戒心をむきだしにしていたその男の前で、この華奢な少女は、無邪気に笑っているのだから。
 覇夢赦は、そんな柚巴を、ただじっと見つめている。
 もの言いたげに。だけど、それは決して口に出さないようで。
 その無表情の下で、一体、何を考えているのか……?
「では、参りましょう。今から、この世界きっての景勝地へご案内しましょう」
 笑いすぎて、声がかすれはじめた柚巴に、覇夢赦はそう声をかける。
 その声に、「ん?」と気づき、覇夢赦に視線を送った瞬間、柚巴の体は宙を舞っていた。
 同時に、柚巴の腕の中から、鬼栖が奪い取られていた。
 ふわりと覇夢赦に抱き上げられ、そして鬼栖は地面にたたきつけられる。
 それに、柚巴は「あ……」と声をもらしたけれど、その時にはもう遅かった。
 さっさと馬車の中に押し込められてしまっていた。
 柚巴が押し込められた馬車の車輪の横では、ぴくぴくと、息絶え絶えな魚のように鬼栖が悶えている。
「き、鬼栖ちゃん!」
 慌てて、覇夢赦の腕の中から逃れようと、柚巴はもがく。
 しかし、そんな柚巴をぐいっと抱き寄せ、覇夢赦は無慈悲にもそのまま馬車の扉を閉めた。
 同時に、馬車も、ごとっと小さな音を鳴らし、ゆっくりと動き出していた。
「ちょ…っ。待ってよ! 鬼栖ちゃんがまだ……!!」
 覇夢赦の腕の中、柚巴は汚らわしそうに覇夢赦を振り払いつつ、そう叫ぶ。
 しかし、覇夢赦は動じる様子すらなく、ただ無表情に、じっと正面を見ている。
 柚巴になどかまうことなく。
 柚巴を、その腕に抱いたまま。
 逃げられないように。
 言葉一つ発することなく、冷たい目だけがぎらりと光っていた。
 柚巴は、悔しそうに覇夢赦をにらみつける。
 だけどすぐに、瞳に浮かぶその冷たい光に気づき、ぞくっと身震いした。
 おとなしく、覇夢赦の腕に抱かれ。
 小刻みに、体が震える。
 そうやって、死にかけの鬼栖を残し、馬車は比礼界の漆黒の空へと、柚巴をさらっていく。


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update:04/11/28