試された少女
(3)

「では、早速はじめましょうか?」
「え……!?」
 陰惨な笑みを浮かべたその口が、そう言葉を告げた。
 ぞくりと、柚巴の体が震える。
 錆びついた柵をぎゅっと両手でにぎりしめ、覇夢赦を凝視する。
 一体、覇夢赦は何をはじめるというのか?
 そして、これから、柚巴の身に待ち受けているものとは?
 何故、限夢界の王子の婚約者である柚巴が、このような仕打ちをうけなければならないのか。
 これではまるで、犯罪者のようではないか。
 憎らしげに覇夢赦をにらみつける柚巴の顔に、自分の顔をすっと近づけ、覇夢赦は不気味に微笑む。
「ここは、今から十五分後に、水に沈みます。では、ご健闘をお祈りしますね」
 そう言って、くすくすと笑い出す。
 覇夢赦のその言葉を聞き、柚巴の顔から完全に色が失せた。
 自分の耳を疑う。
 覇夢赦は一体、今、何と言った……?
 そう呆然としてしまったすきに、覇夢赦は踵を返し、こつこつと無機質な音を立て、やってきた階段を上っていく。
 薄暗いそこで、柚巴はその後姿を見送ることしかできなかった。
 頭が……正常に働いてくれない。
 突然、柚巴の身にふりかかったこの出来事のために。
「一体……何を考えているの!? あいつは……!!」
 完全に覇夢赦の姿が消えると、柚巴は知らず知らず、そうはき捨てていた。
 柚巴には似合わない、その荒々しい言葉。
 握っていた柵を、乱暴にがしゃんと鳴らす。
 もう、何が何だか、訳がわからない。
 どうして、柚巴がこんな目に遭わなければならないのか……。
 怒りとともに、恐怖が侵食してくる。
 力なく、その場にくずおれてしまった。
 がくがくと、体が震える。
 心とは違い、なんと体は正直なのだろうか。
 恐怖のあまり、もう限界にまで達してしまっていたらしい。
 その場でうなだれ、愕然となる。
 すると、そんな柚巴の頬に、ぴしゃんとつめたいしずくが落ちてきた。
 そうかと思うと、次の瞬間には、それが、滝のように天井から流れ落ちてくる。
 慌てて顔を上げた時には、もう遅かった。
 バケツをひっくりかえしたような勢いで、スプリンクラーのように、柚巴に冷たい水をたたきつける。
 それは、気づいた時には、もう柚巴の体の腰の辺りまで、かさを増していた。


「王。一体、何をお考えなのですか? ……このようなことをするために、限夢界の王子を騙して、あの娘を連れてきたのではないでしょう?」
 深紅の天幕がたれるその薄暗い部屋に、二人の男の姿が見える。
 燭台の灯りのすぐ横で、水晶玉を粘着質になでる男と、その傍らに控える男。
 そのいでたちから、明らかな身分の差が見て取れる。
 水晶玉をなでる男は、まるで王者のように振る舞い……。
 その傍らに立つ男は、従者のように身をこなす。
 ねっとりと水晶玉をなでながら、男はくすくすと愉快そうに笑っている。
 今、声をかけてきた男になど、目もくれてやらずに。
 水晶玉の中に映る、一人の少女にだけ目をくれて。
 水晶玉には、恐怖におののくか弱い少女が、次第に水につかっていく姿が映し出されている。
 それは、先ほどまで、水晶玉をなでるその手に腕をつかんでいた少女。
 異世界より、だましうちのように連れてきた、少女。
 たしかその少女は、その世界の王子の婚約者。
 そして、噂では――
「ただ、少し試しているだけだ」
 もう水かさが首の辺りまで到達してしまったのだろう、水晶玉の中の少女は、悲痛に顔をゆがめている。
 その少女の映る場所を、こつんと指ではじく。
「試している……ですか?」
 傍らの男は、訝しげに水晶玉の男に聞き返す。
 すると男は、にやりと不気味な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。お前も、見ていてごらん」
 そうつぶやくと、くすくすくすと陰湿に笑い出した。
 そして、その指のはらで、水晶玉の中の少女をなでる。
 その苦痛にゆがむ顔が、なんとも見ていて愉快でたまらない。
 嗜虐欲をかきたてられる。
 次はどのように、この少女をいたぶってやろうか。
 青ざめ、涙にぬれるその頬を、ひっかいてやりたくなる。
 そこから流れる真っ赤な血は、さぞ美しいだろう。
「しかし……。覇夢赦王……」
 そんな常軌を逸したような主人に、傍らの男は悲痛に声を上げる。
 王。これ以上しては、少女は死んでしまう。
 そう忠告するように。
「うるさい。黙っていろ」
 ぎろりと、傍らの男をにらみつける。
 そしてまた、水晶玉へと視線を戻す。
 男は、主人が、この少女を本気で殺しかねないと不安にかられた。
 今目の前で、水晶玉の中をのぞくこの主人は……これまで見たことがないほど、不気味に微笑んでいる。
 まるでそれは、愛情と憎しみは紙一重のような、そんな笑み――
 そうやって、水晶玉をなでまわしながら、その中の少女の動きを楽しんでいたが、おもむろに席を立った。
 そして、床に水晶玉をばしんと叩き落し、くるりと踵を返す。
 ごろんと、床の上で、水晶玉が転がる。
 そのまま、割れてはじけ散るのではなく。
 そうかと思うと、憎らしげに、ばさりと天幕をはらいのけ、出ていこうとする。
「……また駄目か……。一体、どうすればいいのだ!?」
 悔しげに、そうはき出しながら。
「……どこか……やり方がおかしいと思います。このようなやり方では……」
 床を悔しげに踏みしめる男に、傍らの男はおずおずと声をかける。
 すると、それがさらに気に障ったのか、男は叫び散らした。
「うるさい! わたしに意見をするな!」
 傍らの男にそう怒鳴りつけ、そのまま暗い廊下の向こうへと、その姿をとかしていった。
 取り残された男は一人、悲痛に顔をゆがめる。
 床に視線を落とすと、そこでは、淋しげに水晶玉が転がっていた。
 床に転がるその水晶玉の中には、水につかり、苦しげにもがく少女の姿が映し出されている。
 その命がつきるまで、もう猶予はない。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/12/29