募る焦燥感
(1)

 限夢界。王宮。
 空は、どこかの王子様のその心を物語っているかのように……どんより。
 厚い灰色の雲に一面覆われ、今にも泣き出してしまいそうな空模様。
 こんな空を見ていると、どこか悲しくなってくる。
 そして、ふと広がる心細さ。
 今頃は、柚巴はきっと、そんな思いを抱いているだろう。
 一人、右も左もわからないその異世界で。
 いや。柚巴が抱く思いは、そんなものではすまされないかもしれない。
 きっと、心細くて心細くて……。
 そう思うと、苦しくなってくる。
 何故、あんなことをしてしまったのだろうか。
 いかさまだとわかっていて、それでも柚巴を一人行かせてしまった。
 柚巴一人に、重荷を負わせて。
 信じているけれど、信じているから、一人で行かせてしまったけれど……。
 やはり、自分も一緒に行けばよかった。
 こんな思いに苛まれるくらいなら。
 柚巴は、今頃、泣いてはいないだろうか?
 柚巴は、今頃、震えてはいないだろうか?
 こんな後悔にとらわれるくらいなら、はじめから行かせなければよかった。
 今さらだけれど。
「世凪さま。今日で約束の三日目ですね? ……本当に、柚巴さまは帰ってくるのでしょうか?」
 柚巴とともに、いつもあたたかくて優しい時間をすごすその中庭のテラスで、ぼんやりと曇天を見上げる世凪に声がかかる。
 どこか覇気がなく、心配そうな音を含んでいる。
 ぼんやりと、心ここにあらず……といった様子で空を見上げていた世凪は、ふうと深いため息を一つはいた。
 もちろん、そんなやる気のない態度でも、近づいてくる者の気配くらいよめる。
 だから、かかった声は、世凪が信頼を寄せている男のものだとわかっている。
 ゆっくりと、空から、ななめ後ろに視線を移す。
 そこでは、梓海道が、腹のあたりで、両手をぎゅっとにぎりしめていた。
 不安の色を満面にたたえている。
 こんなにあからさまに不安そうにする梓海道は、世凪ははじめて見る。
 そこに、言いしれぬ怒りを何故だか覚えてしまう。
 その目は、明らかに、世凪を非難しているから。
 柚巴を一人、異世界へと送ったこの王子様を。
「はじめから、約束通りに、柚巴をかえしにくるとは思ってはいない」
 むっつりと眉を寄せ、世凪は肘掛けにどんと肘をつく。
 そして、その手の上に、ぶすっと顔をのせる。
 すわっている目には、にらむように、中庭の花々に戯れる七色に輝く蝶を映している。
「世……凪さま……?」
 世凪のその言葉に、梓海道は明らかな怪訝の色を見せた。
 世凪に忠実なあの梓海道が、ここまであからさまに世凪を非難するのは……もしかしたら、はじめてかもしれない。
 それほどまでに、今回世凪がしたことは、梓海道には理解できないことなのだろう。
 一体、何を考えているのかわからない。
 かつて、柚巴を手に入れるため、卑怯な手を使っていた世凪に、無条件で協力していた従僕には。
 あの時は、この王子様の気持ちが、思いが、痛いほど伝わってきたから……だから、協力した。
 だけど、今回は、そんなことまでしてようやく手に入れた愛しい存在を、簡単に手放してしまった。
 世凪のその真意がわからない。
 あんなに大切に慈しむ、愛しいたった一人の人を、何故……?
 きゅっと、磨かれた床が、梓海道の足元で泣き声を上げる。
 とても悲しい音色。
 まるで、梓海道の今の気持ちを代弁しているような……。
 世凪なら、この王子様なら、どんなことがあっても、たとえこの世界が滅んでしまうことになっても、柚巴だけを選ぶと、そう思っていたのに……。
 狂おしいくらい柚巴を求めていた……いることを、知っているのに……。
 ただ一つの欲望に忠実で、そして貪欲なそんな主。
 それが、世凪。
 一体、この主の中で、何が狂ってしまったのだろうか?
 そう思わずにはいられない。
 悔しそうにぎゅっと唇をかみしめる。
「その通りです」
 すうっと胸に冷たい風が吹き抜けると同時に、どこからともなく、そんな落ち着き払った声が聞こえてきた。
 その声は、よく耳にするものではないが、たしかに聞き覚えはある。
 ふっと、後ろを振り返る。
 するとそこには、無表情で、虎紅が立っていた。
 今の今までその気配に気づかなかった……ということは、まさに今、瞬間移動をしてきたのだろう。
「虎紅。それで、鬼栖からの報告は?」
 梓海道の向こうに虎紅を見て、世凪は冷たく問う。
 すると虎紅は、無表情のまま、ゆっくりと世凪に歩み寄ってくる。
 梓海道の横を通る時、ふっと困ったように微笑んだ。
 それは、梓海道に同情するような笑みだった。
 梓海道の中で、何かが舌打ちした。
 何故かはわからないけれど、なんだかむしゃくしゃする。
「昨日、報告した通り、二日目の午前までで、案の定、途切れてしまっています」
 きっぱりとそう告げ、苦しげに顔をゆがませる。
 すると世凪は、難しい顔で考えこんでしまった。
 しかしすぐに、ばっと立ち上がった。
 そして、中庭をはさみ、ななめ前方の柱の陰に向かって、叫ぶ。
「莱牙、紗霧羅。華久夜に、由岐耶! そして、幻撞、虎紅。行くぞ!」
 その叫びに応えるように、柱の陰から、莱牙、紗霧羅、華久夜、由岐耶、幻撞の五人が姿を現した。
 そして、目で合図をかわし、こくんとうなずく。
 その言葉だけで、五人には……虎紅を含めた六人には、世凪が何を言いたいのかわかってしまっているよう。
「何をぼけっとしている、お前もだぞ。梓海道!」
 そのような様子を、どこか蚊帳の外……といった様子でながめ、ぼんやりとしていた梓海道に世凪の喝が入った。
 馬鹿にしたように、一瞥する。
 それで、梓海道は、はっと何かに気づき、慌てて返事をする。
「は、はい!」
 梓海道は、胸の内で、落ち込んでしまった。
 何を、ぼんやりとしていたのだろうか。
 虎紅が現れ、報告した時点で、世凪に言われるまでもなく、世凪の考えをよんでいなければならなかったはずなのに……。
 どうして今回に限って、わからなかったのだろうか。
 いつもなら、この主の考えなど、手にとるようにわかってしまうのに。
 きっと、この妙にむしゃくしゃする気持ちが、災いしてしまったのだろう。
 そうとしか思えない。
 だけど、ゆったりと心が満たされていく。
 やはり世凪は、柚巴を見捨てたわけではなかった。
 そう、あらためてわかって。
 どうしてそんな簡単なことに、気づけなかったのだろうか。
 これでは、従僕失格かもしれない。
 一瞬でも、主を疑ってしまったのだから――


 比礼界。
 ぽたり、ぽたりと、上から冷たいしずくが降ってくる。
 真っ暗な穴の中。
 天井にはりつき、うごめく無数の影。
 そこに、ぼんやりとともる、ほのかな灯り。
「王は……限夢界より招いた姫に、かなり乱暴なことをしている」
 ゆらゆらゆれる灯りに、そっと顔を近づけ、ぼそりとつぶやく。
 そうつぶやいた男の顔も、それに合わせ、ゆらゆらゆれている。
 そこから少しはなれた、ほとんど灯りのとどかない大きな岩に、別の男が座っている。
 がっちりとした、体格のいい男である。
「まったく、馬鹿なことをしてくれる。これでは、限夢界に喧嘩を売っているようなものだ。……戦争にでもなったら、どうしてくれるのだ」
 そう腹立たしげにはき捨て、舌打ちをする。
「……やはり、時期尚早だが、決行すべきか?」
 小枝で、目の前でゆれる焚き火をいじっていた男が、ぐさりとそれにその小枝をつきさした。
 その言葉に、そこに集まっている複数の男が、ごくりと息をのむ。
 ぱちんと、焚き火がはじける音が、静まりかえったその暗い穴の中に響く。
 天井のものは、相変わらず、ごそごそとうごめいている。
 そして、また訪れる、静寂(しじま)――


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update:05/01/20