姫君奪還
(2)

「それにしても、このままずっと、おとなしくしているわけにもいきませんよ? とりあえず、柚巴殿をお助けしてからというのも……」
 その場にたちこめてしまった重い空気を振り払うかのように、虎紅がきっぱりとそう言った。
 多少、その声が強張っているようにもとれる。
 たしかに、こんなに重い空気に一声を投じるのだから、相当の勇気を要したことだろう。
 しかし、この場合、この場の空気の流れを変えることは、恐らく、虎紅にしかできないように思えた。
 莱牙と由岐耶は使いものにならないし、華久夜と紗霧羅もそれにつられてしまっている。
 世凪と梓海道は……まず、この場の雰囲気をどうにかしようなどとは、絶対に思っていないはずだし……。
 唯一あてにしていた幻撞が、これだから……。
 何故だかわからないが、虎紅は、とてつもなく先行きが不安になってしまった。
 こんなところで、こんなことで不安になっている暇などないはずなのに。
 どうにも、この限夢人たちには、緊張感や危機感といったものが欠落しているように思えてならない。
 ……まあ、莱牙と由岐耶は……仕方ないかもしれないけれど。
 虎紅だって、そんなに鈍くはないから、二人が抱くその感情にくらい、薄々気づいている。
 だから、彼らを責めることはできない。
 それを楽しそうに見ている自分の師匠に、少しの呆れを感じてしまうけれど。
 この老紳士は、いつもにこにこ顔でほがらかで、いいとは思っているが……時折、こうやって不審を抱きそうになることがある。
 にこにこ顔なだけに、その下で、何を考えているのかわからないから。
「わかっている。……わかってはいるのだ。……しかし……」
 舌打ちをし、世凪はふいっと視線を床に落とした。
 世凪にしては、やけに自信のない素振りである。
 いや……。自信がないのではなく、それは……。
「おい、世凪。お前は、一体何を隠している?」
 そう。何かを隠しているよう。誤魔化しているよう。
 強張った莱牙の問いかけに、世凪はびくりと体を震わせた。
 そして、まるでそれを誤魔化すように、じろりと莱牙をにらみつける。
 それが、ここにいる誰にでも、肯定を悟らせてしまった。
 こういう態度をとる時の世凪は、決まって、ばつが悪い何かを誤魔化している時である。
 それは、ここ数ヶ月、ともに過ごしてきて、ようやくわかりかけてきたこと。
 素直じゃないこの俺様王子様の、得意技である。
「……今は、言えない、ということか?」
 追い討ちをかけるように、莱牙はさらにそう言い放つ。
 そして、半ば諦めたように、はあとため息をもらす。
 先ほどの虎紅の機転のおかげで、莱牙は言葉をつむぐことができるようになったらしい。
 まあ、そこに、感謝をするような莱牙ではないけれど。
 その時だった。
 突然、世凪が驚いたように立ち上がった。
 そして、険しい顔で天井をにらみつける。
「せ、世凪!?」
 誰もが、ぎょっと世凪に注目する。
 今の今まで、いらだたしげであったけれど、おとなしく椅子にふんぞり返っていたというのに、一体、何があったというのだろうか?
「あいつ……! やりやがった!!」
 そう叫ぶと、ばっと両手をかまえた。
 そして、次の瞬間には、ばちんという大きな音と、かげろうのような煙をたて、応接間にはられた結界を、一気に破ってしまっていた。
「おい、世凪! 今言ったことと……」
 それに気づいた莱牙が、慌てて世凪を非難する。
 たしかに世凪は、様子をみたいと言っていた。
 それなのに、そう時間のたたないうちに、この暴挙である。
 世凪のその言葉を、ようやく受け入れはじめていたというのに……。
 莱牙でなくたって、非難したくなるというもの。
「事情が変わったのだ!!」
 世凪は莱牙を一瞥すらせず、そのまま結界の破れた扉から、飛び出していってしまった。
 そのような世凪を、莱牙は半ば呆然と見送っている。
 どうやら、莱牙ににらみの一つもくれなかったのは……しなかったのではなく、できなかったようである。
 何しろ、世凪のその慌てぶりといったら……。
「……って、あいつ、瞬間移動を忘れるくらい慌てているよ……」
 まさに、それなのだから。
 ぽりぽりと頭をかき、呆れたように紗霧羅がつぶやく。
 たしかに、彼らには、瞬間移動という便利な技が備わっている。
 それなのに、それを使わないということは……。
「ということは、柚巴がらみだな?」
 あきれ返る紗霧羅の肩をぽんとたたき、莱牙もまた、ふうと大きなため息をもらした。
 もう、彼らには、世凪の行動全てがお見通しのようである。
 ……まあ、たしかに、誰に言わせたって、世凪がそれほどまで慌てるのは、動揺するのは、柚巴以外ではあり得ないけれど。
 使い魔たちは、互いに顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめ、世凪の後を追っていく。


「鬼栖ちゃん……!!」
 鬼栖の名を呼ぶ柚巴の声が、比礼城最奥の塔に響き渡った。
 真っ青に顔色をかえ、鬼栖へと力なく柚巴の手がのばされている。
 しかし、その手は、あっさりとさらわれ、鬼栖の前から消えてしまった。
 さらに、柚巴の顔に、悲痛の色が広がっていく。
 もちろん、柚巴に名を呼ばれた瞬間、鬼栖は弾かれたように柚巴へと飛びついたが、直前で、びたんと地面にたたきつけられていた。
 そして、ごろごろと、螺旋階段を転がり落ちていく。
 十段ほど落ちたところで、ようやくとまることができた。
 むくりと起き上がる。
 同時に、果敢に、転がり落ちてきた階段を駆け上っていく。
 しかし、また、すぐに、ごろごろと階段をころがり落ちるはめになってしまっている。
 一体、これを何度繰り返していることだろう。
 そう、不気味に冷たい微笑を浮かべた覇夢赦に、蔑むように見下ろされ。
 鬼栖は何度となく、それを繰り返している。
 覇夢赦の腕にとわれている柚巴を奪還すべく、諦めることなく、鬼栖は挑んでいく。
 それが、なんとも痛々しい。
 ほこりが体についてしまったのだろう。鬼栖の真っ黒の毛は、白くなっている。
 ところどころ、黒い箇所を残している程度。
 もちろん、毛で覆われているから、見た目にはそれほどわからないが、きっと、その毛の下では、無数の傷を負っているだろう。
 それでも、鬼栖は決して諦めることなく、覇夢赦に挑んでいくし、覇夢赦はそれを簡単に蹴散らしている。
 柚巴は、もう見ていられなくなり、思わず鬼栖から顔をそらしてしまった。
 世凪の助けを待つ、とそう決めたすぐ後に、事は起こっていた。
 世凪たちを結界内にとじ込めたすぐ後に、覇夢赦は柚巴を監禁しているこの塔へとやって来た。
 そして、柚巴を簡単にその腕にとらえ、この塔の部屋から出ようとした時、鬼栖が覇夢赦に飛びかかった。
 もちろん、それは、柚巴をその腕から奪い返すため。
 しかし、鬼栖の雄志むなしく、簡単に蹴散らされてしまった。
 そうやって、ごろごろと階段を転がり落ちることを繰り返しはじめた。
 どんなに必死に立ち向かったところで、結局はこの様。
 覇夢赦から柚巴を奪い返そうと躍起になっても、この様。
 死に物狂いでも、この様。
 まったく、相手にならない。
 その力は、雲泥の差であるとあきらかなのに、それでも、柚巴を助けようと、鬼栖は一心不乱。
 鬼栖にだって、どうしてここまでしているのかはわからない。
 そう。己の命を賭してもいい覚悟だなんて……。
 わからないけれど、何故だか、心がそうしろと命令している。
 そうしなければならないような気がする。
 ……いや。そうしたい?
 顔をそらし、「もう……やめて……」とかすれた声でつぶやく柚巴に気づいているけれど、それでもやめることなんてできない。
 何が何でも、その腕から奪い返したい。
 その汚らわしい男に、一秒でも長く、柚巴を触れさせていたくない。
 そんな思いが、もう力つきようとしている鬼栖を駆り立てる。奮い立たせる。
 その目から、ぽろぽろと涙を流している柚巴。
 きっとその涙は、鬼栖のために流してくれている涙だろう。
 そう思うと、新たな勇気がみなぎってくる。
 不思議。
 どうして鬼栖は、この人間の少女に、そこまでつくそうとしているのだろうか?
 ……従魔だから?
 いや。そんな言葉だけでは片づけられない何かが、鬼栖を柚巴へと惹きつけている。


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update:05/02/22