姫君奪還
(3)

「おとなしくしてください。手荒なまねはしたくありませんからね」
 覇夢赦の腕の中、泣きながら必死に抵抗する柚巴を、乱暴に壁にうちつけた。
 それに、柚巴は小さな悲鳴を上げたが、すぐにきっと覇夢赦をにらみつける。
「嫌……! 嫌よ。放して!!」
 そしてまた、抵抗を試みる。
 それでも、どうにもびくともしない。
 さらに、ぎりぎりと壁に押しつけられてしまう。
 柚巴の顔が、苦痛にゆがむ。
 それを見て、ぼろぼろで、もう動くことさえままならない鬼栖が、また覇夢赦に飛びかかっていく。
 それでもやはり、簡単に蹴散らされてしまって……。
 今度は、階段を転がり落とされるのではなく、その足の下に踏みつけられてしまった。
「わたしも、こんな手は使いたくありませんでしたが……。多少、事情がかわりましてね? ああもあっさり、わたしがはった結界を破られてしまうとは……」
 ふっとニヒルな笑みを見せ、覇夢赦はあてつけがましくため息を一つついた。
「何のことだかわからないわよ!」
 覇夢赦のその言葉に、柚巴は一瞬ぴくりと反応したが、すぐにそうやって言い放つ。
 覇夢赦は、柚巴のその一瞬の変化を見逃しはしなかった。
「おや? あなたにはわかっているでしょう? 先ほどの爆発音。あれは、わたしが王城にはった結界を、世凪が破った音ですよ」
「……!!」
 さらりとそう告げられた覇夢赦の言葉に、今度は明らかな動揺の色を見せる。
 たしかに、柚巴にはわかっていた。
 あの爆発音。
 城門から上がる一筋の煙。
 そして、そこから感じられた、かすかな気配。
 あれは……世凪のものだった。間違いなく。
 だから柚巴は、世凪が迎えにきてくれたのだと悟り、おとなしくこの塔の部屋で世凪を待つことにした。
 それが……この覇夢赦には、お見通しだったというのだろうか。
「あなたには、これから、比礼界の王に代々伝わる、決して他の者は入ることのできない禁断の場所へ同行していただきます」
 覇夢赦はそう言って、にやりと笑う。
 柚巴の顔から、いちだんと色が失せていく。
 何故なら、それは……言葉をかえれば、世凪だって助けに来られない場所になるかもしれない、ということだから。
 覇夢赦の言っていることが、本当ならば……ではあるけれど。
 だけど、この冷たい目が、それが嘘ではないと語っているようで……。
 とても恐ろしくなる。
「……嫌。あなたの思い通りになんて、なってやるものですか」
 ぎりっと唇を噛み、柚巴は懸命に抵抗を試みる。
 もう、体中あちこちがたがたと震えているけれど、だけど、どうにかその言葉だけはつむがなければならない。
 決して、この男にだけは、屈したりはしない。
 柚巴の何かが、そう叫んでいる。警鐘を鳴らしている。
 この男に屈服したが最後、柚巴はもう二度と、世凪に会うことがかなわなくなりそうだったから。
「気の強いお人だ。……しかし、言葉とは裏腹に、ほら、あなたの目からは……。そして、体もこんなに震えている」
「……!?」
 ふわりと柚巴の頬をなで、覇夢赦はにやりと微笑む。
 そして、その手をそのまま、震える柚巴のかわいらしい唇へとうつしていく。
 ざわりと、なでる。
 同時に、柚巴の体中を、得たいの知れない気持ち悪さがかけめぐった。
 ぐっと、胃の奥からこみ上げてくる何か。
 この世界にきてから、この男に触れられると、この気持ち悪さが体中をかけめぐって仕方がない。
 あまりの気分の悪さのため、柚巴は一瞬、意識を失いそうになってしまった。
 それにすかさず気づき、覇夢赦はぐいっと柚巴を抱き上げる。
 そして、冷たく一言言い放つ。
「さあ、いきますよ」
 足の下に敷いていた鬼栖をぐりっと一度床に埋め込み、覇夢赦は一つ、階段を下りる。
「や……だ……。――世凪……」
 音になるかならないかの、救いを求めるその小さな言葉が、柚巴の唇からもれる。
 その時だった。
 突然、柚巴の視界は、鮮血のような赤で覆われた。
 同時に、銀色の優しい光が柚巴を包み込む。
 次の瞬間には、ばさりと音を立て、柚巴の体は黒い布で覆われていた。
 それとともに、体中に広がっていく、このぬくもり。安らぎ……。
 不思議に思い、顔を上げてみると……そこには、優しく柚巴を見つめる世凪の顔があった。
「世凪……」
 ぱらりと柚巴の顔にかかってくる、赤く長い髪。世凪の髪。
 そして、柚巴の体をすっぽりと覆う、世凪のぬくもりと香りが移ったマント。
 力強い世凪の腕の中に、柚巴の体は抱かれている。
 それに気づいた瞬間、柚巴の目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれだしていた。
 そして、ぎゅうと、かみしめるように世凪の胸にしがみつく。
「……よくも、汚い手で、柚巴に触れてくれたな」
 柚巴が抱きつく世凪の胸が、その言葉に合わせ、小さくゆれる。
 普段なら、そんな言葉を使えば、たしなめているところだけれど……今はそんな余裕なんてない。
 ただ、柚巴にできることは、この胸にしがみつくことだけ。かみしめることだけ。
 せめて、この体のふるえがおさまるまで……。
 そして、今しがみつく胸は、嘘ではないと、何故だかそう確信している。
 こんな都合のいいこと、そうそう起こるはずがないけれど……。
 この人なら、今抱きつくこの人なら、簡単にやってのけてしまえるから。そう信じられるから。
 覇夢赦をにらみつける世凪のその目が、真っ赤に光り血走っていることに気づき、覇夢赦ははあと大きなため息をもらす。
「……どうやら、本気……のようですね? ――わかりました。そうなってしまった時のあなたには、たとえわたしでも、大怪我なくして太刀打ちできませんからね」
 その額から、一筋の冷や汗が流れ落ちる。
 そして、そのまま、その場からすっと姿を消していく。
 それを、世凪は憎らしげに見送る。
 今は、覇夢赦の相手をしている時ではないと、世凪でもちゃんとわかっているらしい。
 今は、そんなことよりも、腕の中で震えるこの小さな少女をなぐさめることが大切。
「せ、世凪……」
 無言で、ぎゅっと抱きしめると、その胸の中で、ぽつりとつぶやく柚巴の声があった。
 か細く、今にも消え入りそうだけれど、そのかわいらしい声は、たしかに柚巴のもの。
 それを実感するように、かみしめるように、世凪は抱く腕にさらに力をこめる。
「ごめん……。怖かっただろう?」
 ふわりと柚巴の頭をなで、そのままその手を頬へと移していく。
 そして、じっと柚巴を見つめる。
 深い深い優しさをこめたその目で。
「世凪〜……」
 触れる世凪の手に、柚巴は頬をすり寄せ、きゅっと目をつむる。
 そこへ、ぞろぞろと、世凪を追ってきた使い魔たちが姿を見せはじめた。
「……よかった。柚巴、無事だったのだね?」
 そして、最初にやってきた紗霧羅が、世凪に抱かれる柚巴を見て、ほっと胸をなでおろした。
 そのすぐ後ろでは、床にくたばっている鬼栖を見つけた莱牙が、むっつりとした顔でそれを拾い上げている。
 そして、ぶ〜らぶ〜らと、まるで八つ当たるかのようにゆすぶる。
 もちろん、精魂つきてしまっている鬼栖は、いつものように、ぎゃあぎゃあわめくことができない。
 その様子に、莱牙もさすがにまずいと思ったのか、横にいる由岐耶にすっと鬼栖を差し出した。
 すると由岐耶もすぐに納得したのか、莱牙の手でぶらぶらゆれる鬼栖に、淡い光を放つ。
 それは、由岐耶が最も得意とする、癒しの力。
 かつて、柚巴に大切にしてといわれたその力である。
 気を失っていた鬼栖が、ふっと目を開いた。
 その様子を、そこにいた誰もが見守っていた。
 さすがに、柚巴のためにここまでぼろぼろになった鬼栖を、今はからかって遊ぶ気にはなれない。
 むしろ、よくやったと誉めてやらなければならないだろう。
 ……と思いきや、そんな活躍をした鬼栖などさらっと無視して、わが道を行く男がいた。
 鬼栖を癒すその横で、世凪が、ここぞとばかりに、いけしゃあしゃあと柚巴の唇を奪っていた。
 それに、柚巴も素直にこたえている。
 恐らく、今の今まで瀕していたその恐怖に、まだ正常に頭を働かせることができていないのだろう。
 まったく……。このドスケベ俺様王子様はっ。
 そうやって、おだやかで優しい空気が戻りはじめた時だった。
 再び、その場に緊張が走る。
 気づけば、螺旋階段のすぐ下に、黒いフードを被った男が立っていた。
 それは、世凪たちがここへやってきた時、応接間へ案内したあの男。
 誰もが、固唾をのむ。


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update:05/02/26