怪しい男
(2)

「はあ……。もう、こりゃだめだわ」
 ぽりぽりと頭をかきながら、ぼすんと、世凪の前のソファに座り込む。
 どうやら、本気で諦めて……呆れてしまったようである。
 本当に、この王子様は、俺様だけでなく頑固なのだから。
 紗霧羅の戦線離脱につられるように、他の使い魔たちも、はあとため息をもらす。
 そして、こうなってしまった時の世凪を、唯一口説き落とせるのは、もうあの人しかいないと、すっとバルコニーへ視線を移した。
 そこには、この世でたった一人、どうしようもないこの俺様王子様をどうにかできる少女がいるから。
 傍らに従魔を従え、漆黒の闇を眺める少女。
 バルコニーの柚巴に視線を移した時だった。
 いきなり柚巴の体が大きくゆれた。
 それと同時に、鬼栖の気配がぴんとはりつめる。
 見れば、柚巴の足元に、きらきらと光る銀色の物体がささっていた。
 それは、銀色に輝く矢だった。
「……!?」
 誰もが、その状況を即座に理解することができず、それでも、それが普通ではないということを悟り、ぴんと気をはりめぐらせる。
 すると、その時だった。
 今度は、そのきらきらが、無数に柚巴へ向かって降り注いでくる。
 それでも、柚巴は、先ほどのように体をゆらさない。
 いや、ゆらさないのではなく、身動きができない。
 声も出ず、ただじっと、自分へと降り注いでくる無数のきらきらを凝視していた。
 体が硬直してしまっている。
 さすがにここまでくると、状況がのみこめてくる。
 そこでいちはやく、我に返ったのが世凪だった。
 蒼白な顔で、ばっと柚巴へ駆け寄る。
 今の今まで、俺様な態度でふんぞりかえっていた男とは思えないほどの俊敏さで。
「柚巴……!!」
 悲鳴に似た叫びを上げながら、世凪がバルコニーにやってくると……もうそこは、きらきらの銀色の矢の海となっていた。
 ところせましと、矢がつきささっている。
 その現実をつきつけられ、膝からがくんと力が抜ける。
 間一髪、間に合うことができなかった。
 ……油断した。
 一時だって、柚巴を自分のそばからはなすのではなかった……。
 世凪の胸に、後悔が押し寄せてくる。
「柚……巴……?」
 がくがくと震えだした体が、がくりとくずおれていく。
 その目はもううつろで、焦点が定まっていない。
 その存在なくしては、もう生きていけない……。
 そうとすら確信していたこの世で最も愛しい少女が……。
 世凪の思考がストップする。
 その時だった。
 世凪に続け、慌てて駆けつけた莱牙が、座り込む世凪の背中をどんと蹴り飛ばした。
「おい、世凪! 見ろ。柚巴がいない!」
 そう。まさしく、そうである。
 世凪がここに駆けつけた時には、そこには柚巴の姿はなく、ただひしめきあうささった銀色の矢があるだけだった。
 何故、その事実に気づかなかったのか。
 その事実に気づけないほど、取り乱してしまっていた?
「……!?」
 莱牙の言葉に触発されるように、世凪は瞬時に我に返る。
 そして、今の今まで、柚巴がいた場所を見つめる。
 相変わらず、的外れな行動をとる世凪を、莱牙はげしげしとけり続ける。
 莱牙は莱牙なりに、世凪を正気にもどそうとしているのだろうけれど、これは……。
 世凪が正気を取り戻した頃、血の海を見そうでならない。
「おい。あんたら。お姫さんは無事だぞ」
 そのような二人に、突如、そんな言葉が降ってきた。
 二人は、慌てて声のした方へばっと顔を向ける。
 するとそこでは、闇の空の中、ぶるぶると震える柚巴を抱えた一人の男がいた。
 そして、すうっと世凪たちの前に降り立ってくる。
「お前は……?」
 にらみつける世凪と莱牙の気が、ぴんと棘を帯びる。
「そうにらむなよ。俺は、いわば、お姫さんの命の恩人なのだから」
 苦笑まじりにそう言うと、抱く柚巴を世凪にさしだしてきた。
 もちろん、見事な早業で、世凪は柚巴を男の腕の中から奪い取る。
 そして、そのまますっぽりと自分の胸の中におさめてしまった。
 それと同時に、今までどこにいたのか、鬼栖がさっと世凪の肩にのってきた。
「お前は、一体……?」
 変わらず厳しい視線を投げつける世凪に、男はふっと笑みを浮かべる。
「俺は、唖呂唖(あろあ)
 そう言ってにこっと微笑み、すぐ後ろのてすりにふわりとすわる。
 すっと足を組み、ななめ下から世凪を見上げるように視線を送る。
「そうか……。俺は世凪だ。……柚巴を救ってくれて感謝する」
 まだ疑心に満ちた目をしながら、世凪は一応はそう礼をとる。
 明らかに、口先だけだとわかるその言葉に、唖呂唖はまた、にこっと微笑む。
 そして、世凪の胸の中にいる柚巴を、すっと指差す。
「そのお姫さんは、あんたの女か? 限夢界の王子さん?」
「……」
 試すように見てくる唖呂唖に、世凪は無言で視線を送る。
 それはまるで、余計なことは言うな、とでも言っているようである。
 唖呂唖は、わざとらしく困ったように肩をすくめてみせる。
「だから、そうにらむなってのに……。まあ、いいけれどね。――ひとつ、いいことを教えておいてやるよ」
 そう言って、にやりと笑う。
「いいこと?」
 その言葉に、世凪は怪訝に顔をゆがめる。
「ああ。――少しでも油断すると、()られる。それが、この世界の掟だ。覚えておけ」
 自分の首の辺りで、腕を真横にすっと引き、じっと世凪を見つめる。
 その言葉と行動に、世凪の眉間のしわがさらに深くなる。
 それを確認すると、唖呂唖はまたにこっと笑い、すうとその姿を薄れさせていく。
「ま、待て! お前は、一体何者だ!?」
 消えていく唖呂唖に、世凪はそう問いかけた。
 すると唖呂唖は、不気味な笑みをたたえ、すいっと視線を世凪からそらす。
「慌てるな。そのうちわかるって」
 その言葉だけを残し、完全に姿を消していった。
 そこに残された世凪は、ぎりっと奥歯をかみしめる。
 もちろん、すぐ横で、そのやりとりを見ていた莱牙も、怪訝に唖呂唖が消えた場所を見つめていた。
 他の使い魔たちも同様に、バルコニーにこそ出ていないが、そのすぐ内で、じっと闇の空を見つめている。


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update:05/03/20