怪しい男
(4)

「え!?」
 もちろん、世凪の言葉に、柚巴たちが驚かないわけがない。
 何しろ、つい先ほど、気になることがあるといって、半ば強引に滞在を決めたばかりなのだから。
 それが、泣いた烏がもう笑ったとばかりに、一八〇度方向転換してしまった。
「え!?≠ナはないだろう! お前たちは気づいていないのか!? 柚巴はさっき、命を狙われたのだぞ。それなのに、馬鹿みたいにこのままここにいられるか!」
 驚く使い魔たちを、馬鹿にしたように世凪は怒鳴りつける。
 もちろん、その言葉をきいて、使い魔たちがあっけにとられないはずがない。
 これもまた、先ほどとは正反対の言葉なのだから。
 本当にこの世凪という男は、自分の思うがままに、ころころと意見を変えてくれる。
 まあ、それはすべて、柚巴を中心に考えてなされていることだと思うと……余計に疲れてくる。
 そして、反論できない。
 よくもここまで、馬鹿みたいに、柚巴本位になれるものである。
 まあ、しかし、それでこそ、世凪というべきなのだろうけれど。
 呆れる使い魔たちなどかまわず、世凪は舌打ちする。
「……それに、訳のわからん奴が、ちょろちょろしはじめたようだからな」
 おもしろくなさそうに、そうはき捨てた。
 どうやら、結局は、そこにあったらしい。
 突然の帰還宣言は。
 訳のわからない男に、柚巴にちょっかいをかけられる前に、さっさとこんなところは去る。
 まったくもって、世凪という王子様は、わかりやすい。
「そうはいかない。あんたたちには、このままここにとどまってもらうよ」
 柚巴を抱き、世凪が立ち上がると同時に、どこからともなくそんな声が聞こえてきた。
 その場の空気が、ぴりっと張りつめる。
 瞬間、世凪が、バルコニーをにらみつけ、叫んだ。
「誰だ!?」
 それと同時に、使い魔たちもバルコニーへと視線を移す。
 世凪に一足遅れ、声……気配のもとをつきとめたらしい。
 視線が注がれるそこに、すうと男の姿が浮かび上がってきた。
 それは、つい先ほど、ふってわいて、そして消えていったあの男、唖呂唖だった。
「また……お前か」
 世凪がこれみよがしの舌打ちとともに、憎らしげにはき捨てる。
「そんな迷惑そうな顔しなさんなって」
 しかし、世凪のそのような態度にもまったく動じた様子なく、唖呂唖はひょうひょうとあしらう。
「これが、迷惑以外の何ものであってたまるか」
 さらに、思い切り嫌そうな顔をして、思い切り毒づく。
 本当に、この王子様は、大人げない。
 何しろ、唖呂唖から隠すように、柚巴をマントの中にすっぽりとおさめてしまっているのだから。
 瞬時に。即座に。
 そのような世凪の態度を、唖呂唖は目を見開きおかしそうに見て、そしてにやりと微笑んだ。
「……まあ、聞けって。まさか、こんなに早く話すことになるとは思ってもいなかったが……。仕方ないからな。あんたたちに帰られては困るのでな」
 ひらひらと右手をふり、のっそりと歩み寄ってくる。
 それと同時に、使い魔たちがまとう気が、またぴりっと険しくなった。
 それに気づいた唖呂唖は、一瞬眉をひそめたけれど……やはり、気にしたふうなく、けろりとした表情を浮かべる。
「……それで、話とは何だ?」
「ふーん。聞いてくれるのか?」
 今にも射殺さんばかりのにらみを入れ、世凪がそう問う。
 しかし、さらりとかわされてしまった。
 やはり、どこかのほほんとした様子で、唖呂唖がさらっとそう問い返していたから。
「聞いて欲しいのだろう?」
 それに、世凪がすかさずそう言い返す。
 すると、一瞬驚いたような表情を見せ、すぐににやりと微笑んだ。
「……まあな。――あんたらがさっき話していた危機っての、実は笑い事ではすまなくなってきているんだ」
 それまでのどこかひょうひょうとした様子はなく、険しい顔で世凪を見つめる。
「……?」
 それに、世凪は眉根を寄せる。
 首をかしげずにはいられない。
 まったく話がみえないのだから。
「あんたらも、数時間前に目にしただろう? 王宮でのあの異常な騒ぎぶり」
 そのような世凪の様子に、肩をすくめてみせる。
「あれが、どうかしたのか?」
 しかし、世凪の警戒が緩まることはなかった。
 むしろ、さらに怪訝に唖呂唖をにらみつける。
 唖呂唖の顔色が、暗くなる。
 そして、重たそうに口を開く。
「ああ。あれはな、実は――」


 比礼界。
 闇の中。闇の世界。
 王宮詰めの兵たちの宿舎。
 石と土だけでできた、簡素な建物。
 あちらこちらが、ほころび、欠け落ちている。
 いつ崩れても不思議でない、その建物。
 その宿舎の前には、手入れの行き届いていない庭のような広場がある。
 崩れ落ちたベンチに、すき放題にのびきった雑草。
 いつからそうやって、放置されたままなのか……。
 ざわりと、何かと草がすれるような音が小さく鳴る。
 音が聞こえてきたその場所には、一人の兵が立っていた。
 その兵には、見覚えがある。
 たしか、昼間――といっても、あの時も今のような闇に支配されていたけれど――莱牙につかまったあの兵のようである。
 人待ち顔で、きょろりと辺りを眺める。
 その時だった。音もなく、兵の目の前に、すうと人影が現れた。
 それを確認すると、兵は慌ててその場に跪く。
 また、かさりと雑草が鳴く。
「お召しでしょうか。王……」
「ああ……」
 頭を垂れる兵に、静かな答えがかえってくる。
 重く、低い声。
 冷ややかな眼差し。
 兵は頭を上げることなく、続ける。
「それで、あの……ご用とは?」
 その言葉に、人影の口元が不気味にぎらりと光る。
「お前、あの時、あの者たちに何を言おうとした? ……簡単な命令にすら従えないような役立たずは、必要ない」
 そう冷たく言い放った瞬間、人影の目が妖しく光った。
 まるで、妖しく赤い月の夜、迷い出てきた魔物ののように。
 その瞬間、闇をも引きさかんばかりの男の断末魔が轟いた。
 そして、先ほどまでたしかに兵が跪いていたその場所には、どこからか流れてきた松明の灯りに照らされ、きらきらと光る水たまりのようなものがひとつできていた。
 ほのかな灯りでゆらゆらゆれる、どろりとした、赤黒い水たまりが――


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update:05/04/02