告げられる危機
(2)

「……それはわかったが、それで、何故、俺たちに帰られては困るのだ?」
 梓海道に柚巴をあずけ、世凪が唖呂唖につめ寄る。
 柚巴はぽすんと梓海道の胸にうまってしまい、眉尻を下げ梓海道を見上げる。
 梓海道も、少し困ったように肩をすくめてしまう。
 この二人には、これから世凪がとるであろう行動が、手にとるようにわかってしまっているらしい。
 そしてそれは、もちろん裏切られることはない。
 ぐいっと胸倉をつかみあげ、喧嘩を売る……挑発する。
 そのような世凪を、柚巴も梓海道も、はらはらとした思いで見守る。
 わかってはいたけれど……さすがに、手を上げるのはよくない。
 この短気で直情的な男なら……やりかねない。
 しかも、有無を言わせず、問答無用で。
 それをわかっているだけに、はらはらとした思いが余計に広がっていく。
 他の使い魔たちといえば、「またはじまった」程度にしか考えていないようだけれど……。
 「またはじまった」が通用するのは、限夢界だけということを失念しているように思える。
 敵地のど真ん中にいるようなこの状況で、こちらの方から喧嘩をふっかけていくのは得策ではない。
 ……そうはいっても、この王子様には無駄だろうけれど。
「そんなの、もちろん決まっているだろ。あんたたちに協力してもらいたいからだよ」
 しかし、唖呂唖は、世凪のそのような挑発にのらず、両手をあげ、はあと肩を落とす。
 それはもちろん、呆れを体現している。
 予想外に、冷静な判断をとれる男らしい。
 しかし、それでおもしろくないのがこの王子様。
 世凪の眉が、ぴくりと反応する。
 一瞬、悔しそうな表情を浮かべ、がばっとつかんでいた腕を引き戻す。
 そして、この上なくおもしろくなさそうに唖呂唖をにらみつける。
 期待通りの反応が返ってこなくて、世凪はいらだちを募らせているらしい。
 その期待通りの反応というのが、世凪が売った喧嘩を相手が買う……というのだから、血の気が多いにも程がある。
 一度、大量に献血でもして、その血を抜いてもらう必要があるかもしれない。
 一人で、ゆうに五十人分くらいは採れそうな気がする。
 これだけ、喧嘩早ければ。
「何故、俺たちが手助けしてやらねばならん」
 そして、悔しまぎれにそう言い捨てる。
 くるりと唖呂唖に背を向け、梓海道の腕の中から強引に柚巴を奪いとる。
 さすがに、自分の血の気の多さに気づいているらしい。
 世凪にしては、やはり上出来。
 恐らく、そこまで自覚できるようになったのは……いつも傍らにおく、一人の少女のためだろうけれど。
 横にいて、「世凪、だめっ!」と、何かと言ってはとめられているような気がするから。
 それがまた嬉しくて、ついつい言うことをきき、ほいほいとその後をついていってしまう……。
 よく考えれば、まるで本能のままに生きる動物かもしれない。
 それでも、嬉しいから、幸せと思えるから、世凪は満足しているけれど。
 ……でも、やはり、このような状況で、腕に取り戻した柚巴をいじりまわすのはどうかと思うけれど。
「いいのかい? そんなことを言って。あんたなら、当然知っているだろう? この世界とあんたたちの世界は、二つで一つなのだってこと。こっちの世界に何かあれば、あんたたちの世界もただではすまされないだろう?」
 むっつりと不機嫌に柚巴をなでまわす世凪に、にやりと試すそうな視線を流す。
 それに、もちろん、世凪が何も反応しないわけがない。
 再び、血がぐぐんと上昇してくる。
 そんなこと、あらためて言われなくたって、当然承知している。
 承知していてなお、世凪が出した答えは、先ほどのそれなのに……。
 そんなものは、世凪にとってはどうでもいい。
 世凪にとって重要なものは、たった一つだから。
 だから、反応してもなお、世凪は無視を決め込む。
 腕に抱く少女をひょいっと抱き上げ、血をぐんと下降させる。
 柚巴に触っていれば、不思議と落ち着けるから。
 世凪にとっては、ある意味、柚巴は安定剤的な存在なのかもしれない。
 柚巴がそこにいて、触れているだけで……煮えたぎるはらわたも、不思議に凪ぐ。
 唖呂唖に背を向けたまま、すっと手をあげ、梓海道をはじめとする使い魔たちへ合図を送る。
「このまま、限夢界に帰るぞ」と――
 その合図を受け、使い魔たちは困ったように顔を見合わせる。
 そして、誰からともなく、首を縦にふり、渋々承知する。
 誰もが、ここは王子様に従うのがいちばんと思ったのだろう。
 これ以上この王子様を怒らせたって、何もいいことなどないのだから。
 思うままにさせておくのがいちばん。
 命にかかわらないことなら。
 使い魔たちは、もうすっかり、そう学習してしまっている。
 しかし、そんな流れにまったく気づけないのが、この少女。
「……覇夢赦王も、そのようなことを言っていたけれど……。でも、わたしたちが協力したところで、どうにかなるものなの?」
 半ば強引に片づけたその話題を、またむし返す。
 本当に、そんなことを言わなければ、このまま帰れたところを……。
 がっくりと、使い魔たちの肩がおちる。
 この後起こるであろうことを予想して。
 ……ただですむはずがない。こうなってしまっては。
「柚巴!」
 それは、世凪とて例外ではなかったよう。
 慌てて柚巴をとめようとする。
 けれど、やはりそれは遅かった。
「……はっきり言って、それはわからない。だけど、一人でも多くの力を貸してもらいたい。あの王は、あてにならないから」
 一足先に、唖呂唖がそう答えてしまった。
 世凪の肩越しに唖呂唖を見る柚巴に、苦しそうな笑みを浮かべる。
 それは、その言葉が、決して嘘ではないということを物語っているようで……。
 柚巴の胸の中を、すっと冷たいものが通りすぎていく。
「え? でも、覇夢赦王が気づいているってことは……」
 ぐいっと身をのりだし、唖呂唖を見つめる。
 それを、必死で制そうと、世凪が柚巴の頭に手をおくけれど、その手に込める力は、決して本気ではなかった。
 ……もとより、力をこめて柚巴をおさえられるはすが、世凪にはないけれど。
 そんな乱暴なことはできない。
 柚巴は大切に扱うということが、もうすっかり当たり前になっている。
「あのボンクラ王は、気づいていないよ。このことには。……いや、気づかないようにしている……?」
 自嘲気味の笑みを浮かべる。
 まるで、そんな奴をこの世界の王にしてしまった、自分たちが悪いのだというように。
 それを受け、柚巴はするりと世凪の腕の中から抜け出した。
 そして、たたっと唖呂唖の前まで歩み寄り、じっと唖呂唖を見上げる。
「どういうこと?」
 どうやら、世凪の腕の中から抜け出すなど、本気になれば、柚巴には造作ないことらしい。
 普段は、柚巴もそうして欲しいから、おとなしく抱かれているだけ……?
 世凪が本気で柚巴に逆らえないことなど、もうすっかりお見通しなのだろう。
 世凪は、悔しそうに舌打ちをする。
「……あいつは、もう駄目なんだよ」
 ふっと遠い目をし、唖呂唖は静かにそう答える。
 それが、どこか淋しげに柚巴の目には映る。
 そして、ふわりと柚巴の髪にその手をからませる。
 あんたは……わかってくれるよな?と、確かめるように。
 柚巴は、その手を振りはらうことなく、ただじっと唖呂唖を見つめるだけだった。
 それが、柚巴の答え。
 すぐ後ろで、やきもちをやいた王子様が、今にも爆発してしまいそうなのには気づかず。
 そのまわりで、使い魔たちが、ひやひやと王子様の様子を見守っていることにも気づかず。
 ただ、鬼栖だけが、「けけけけけっ」と、意地の悪い笑いをして、あっさりと世凪に床に埋め込まれてしまったことにも……当然気づかず。
 そこに、重い空気が流れる。
 何故だかわからないけれど、柚巴と唖呂唖が言葉をかわしたその瞬間、もうすべてが決定されていたような気がする。
 望まずとも、世凪たちは、唖呂唖に協力しなければならない。
 そんな不本意なことが。
 何のために、あそこで世凪が冷たく突き放しておいたのか、わかったものじゃない。
 この世界に長居をすればするだけ、柚巴が危険にさらされる。
 そう思い、柚巴のことだけを思い、帰ると決めたのに……。
 これでは、意味がない。
 当の本人が、妙に残る気になってしまっているのだから。
 世界の危機なんて、世界が崩壊しようと、世界がどうなろうと、そんなものはどうでもいい。
 この世界につられ、限夢界も崩壊したって、それだってどうでもいい。
 ただ、世凪にとって、大切なことは……。
 もっとも重要なことは……。
 それは、柚巴。柚巴だけ。
 柚巴さえ無事でいてくれるのなら、世界の一つや二つ、どうなったってかまわない。
 柚巴が望むなら、自らの手で破壊してやってもいいくらい……柚巴だけが、大切。
 柚巴以上に大切なものなどない。
 それなのに、この愛しい少女は、世凪のそんな思いにこれっぽっちも気づかず、自ら危険に身をおき続けようというのだろうか。
 本当に、なんておひとよしな少女なのだろう。
 そして、残酷な少女なのだろう。
 だからこそ、こんなにも愛しいのかもしれないけれど。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:05/04/12