姫君のための術師
(3)

 二人の姫君をすっと両腕に抱き寄せ、紗霧羅は苦笑いを浮かべる。
 そこに、鬼栖もぴょんとはりついてきて……。
 これで、瞬間移動の準備は整う。
「じゃあ、帰るよ」
 そうつぶやいた時だった。
 ふいに、紗霧羅の腕の中から、柚巴の姿が消えてしまった。
 もちろん、紗霧羅も華久夜も鬼栖も、自分の目を疑う。
 まさか、今の今までここにいた柚巴が消えるなんて……。
 柚巴には、そのような芸当はできないはず。
 首をかしげる紗霧羅たちは、次の瞬間、柚巴の叫びによって、その姿を確認することになった。
「きゃあ……」
 と、苦しそうな叫び。
 がばっと顔を上げ、汚れた建物の間に少し空をのぞかせるそこに視線を移す。
 そこから、その声が聞こえてきたから。
 すると、闇の空に浮かぶ、巨大な影。
 うねうねとうねるつたのようなものに、がんじがらめにされた柚巴の姿。
 腕にも足にも、お腹にも……くいこむようにからまっている。
 華久夜の顔からも、紗霧羅の顔からも色が失せた。
 鬼栖にいたっては、目を真丸く見開き、動きをとめてしまっている。
 突然のその理解不能のできごとに、誰もが思考をとめずにはいられなかった。
 どうすればいいのかわからず、そこに呆然と立ちつくす。
 華久夜は、両手で口をおさえ、がたがたと体を震わせはじめた。
 そのまま、柚巴がどうにかなってしまうのではないかという不安に襲われ。
 紗霧羅はそれとは違い、さすがは守備隊。
 手に氷の塊をつくり、それを飛ばそうとかまえる。
 しかし、かまえただけ。
 それを下手に放っては、間違って柚巴にあたり、傷つけてしまう恐れがあるから。
 ……いや。恐らく、傷つけるだけではすまないだろう。
 相手は、限夢人よりはるかにもろい人間なのだから。
 それが枷となり、手が出せず、苦渋の表情を浮かべる。
 どうすればよいのかわからず、自分にいらだちを覚える。
 そして、怒涛のように押し寄せてくる後悔。
 ……つれてくるのじゃなかった……。
 つい、調子にのり、こんなところまでのこのことやってきてしまったけれど……。
 世凪の命令通り、あの部屋でおとなしくしていれば……。
 きっと、「自分なら柚巴を守りきれる」なんてそんな驕りが、どこかにあったのだろう。
 実際、柚巴が危険にさらされたら、この様。
 悔しくて悔しくてたまらない。
 そして、自分を激しく嫌悪する。
 空の上からは、苦しそうな柚巴の声が聞こえてくる。
 ……これは、一刻を争う事態。
 それなのに、手も足も出ないなんて――
 その時、ぽんと紗霧羅の肩がたたかれた。
「わたしに任せてください」
 同時に、そんな落ち着いた声が聞こえてくる。
 慌てて振り向くと……そこには、空をきっとにらみつける虎紅の姿があった。
 一体、いつの間に、ここへやって来ていたのだろうか。
 紗霧羅はそう思いつつも、それを問うことができなかった。
 そんなことよりも、今はこちらの方が大切だから。
 少しでも早く、柚巴をあの訳のわからない化け物のようなものから救い、楽にしてあげる。安心させてあげる。
 それだけが重要だから。
 腕の中の、がたがたと震える華久夜を、もう少しだけ抱き寄せてやる。
 今はせめて、この姫君の不安だけでも、少しでもやわらげることができれば。
 もう大丈夫だよ、と華久夜を抱き寄せる。
 今の紗霧羅には、それだけが精一杯。
「……これは、術です。……わたしの専門分野です」
 そうぽつりとつぶやき、虎紅は胸の前で両手を組む。
 すっと目をとじていく。
 そして、ぶつぶつと、くぐもった声で、意味不明の言葉をつむぎはじめる。
 そのような虎紅を、紗霧羅はごくりとつばをのみ見守る。
 そう聞いては、紗霧羅には手も足も出せないから。
 そういうことならば、ここは虎紅にまかせることがいちばんだと思うから。
 まさか、あんな得たいの知れないものがそれだとは……。
 ふいに、虎紅のつぶやく言葉がとぎれた。
 それと同時に、かっとその目が見開かれる。
 瞬間、うねうねと不気味にうごめくその大きな物体から、柚巴の体が勢いよく落ちてきた。
 紗霧羅は、受けとめようと、華久夜を放り出し、その下へ慌てて駆け寄る。
 その時、目の前を真っ赤なものが駆け抜けて行った。
 それに目を奪われ、一瞬動きをとめてしまったその隙に……。
 空に舞う、赤と黒の波。
 そしてそれは、ゆっくりと優雅に紗霧羅の前に降り立ってくる。
 大切そうに、その中に柚巴をおさめて。
 そして、呆然とそれを見る紗霧羅に、その赤と黒の物体は、じろりと一度にらみを入れてきた。
「せ、世凪……。すまない」
 その赤と黒の物体に、紗霧羅は半ば呆然と、力なくつぶやく。
 当然のことながら、世凪にはふんと鼻であしらわれてしまった。
 紗霧羅には、それに気分を害する権利はない。
 世凪は、自分の腕の中で気を失っている柚巴の頬に、そっと口づけを落とす。
 とても愛しそうに見つめて。
 そのような世凪のすぐそばで、虎紅があっけらかんと言う。
 まるでそれは、世凪の幸せのその時を、わざと邪魔するかのように。
 ……この虎紅も、ある意味、いい性格をしているのかもしれない。
「あ。そうそう……」
 ぱちんと指をならす。
 指がなると同時に、二つほど小路をいったその建物の陰から、ぐらりと一人の男が倒れ出てきた。
 同時に、吐血。
 そしてそのまま、ばたんと地面に倒れこんだ。
 頭からすっぽりと黒い布をまとい、いかにも胡散臭い。
 かろうじて虫の息程度に、体が上下している。
 その男の姿を冷たい眼差しで確認すると、虎紅はにっこりと微笑む。
 ぴんと右手人差し指をたてて。
「ついでに、術……呪詛返しもおまけしておきました」
 その言葉と表情を受け、紗霧羅も華久夜も鬼栖も、そして世凪までも絶句してしまった。
 何しろ、つまりは、それは……。
 虎紅って、こういう奴だったか?と、探るような眼差しが、一斉に虎紅に向けられる。
「間に合ってよかったです。あちらの通りから、あなた方の姿を見かけて……」
 さらにそう続けようとしたけれど、そこで言葉をとめた。
 目の前のこの三人と一匹の、まるで異端者でも見るようなその眼差しに気づいて。
 むうと不愉快に、その表情が変化していく。
 おもしろいと思ったのに、その視線はひどい。
 そ、それにしても……この男、もしかして、ある意味、幻撞並みに恐ろしいのでは?
 さすがは、にこにこ顔、だけどその下では何を考えているかわからない、あの幻撞の愛弟子である。
 ……いやいや、そうじゃなくて……。
 世凪に抱かれる柚巴を見る、その安堵したような眼差しから……柚巴をこんな危険にさらされたことに、たんに切れているだけ?
 もちろん、それは、華久夜にでも、紗霧羅にでも、鬼栖にでもなく……執拗に狙ってくる、あの男に。
 だとしても……恐ろしい。
 普段冷静な者ほど、切れると何をするかわからない。


「……役立たずめ……っ」
 ぐしゃりと紙を握りつぶし、汚らわしそうにはき捨てる。
 そして、その握りつぶした紙を、今度は両手でぐしゃぐしゃと丸める。
 それから、前に立つ黒いフードの男めがけて投げつける。
 それは見事、男の胸に命中し、そのまま床に落下していく。
 ごつごつの石でできた床の上を、数度ころころと転がり、そこで止まった。
「――一体、どのくらいの危機感を覚えると、あの娘の本来の力が発揮されるのか……!」
 そういらだたしげに舌打ちし、だんと目の前の机を叩きつける。
 その横で、フードの男が、床に転がる先ほどの紙を拾い上げる。
 かがんだその時、フードの隙間から、さらりと一筋の黒髪が流れ落ちてきた。
 それを、うっとうしそうに、またフードの中にしまっていく。
 拾い上げたぐしゃぐしゃの紙を開き、丁寧にしわをのばしていく。
 たしかその紙は、フードの男の記憶が間違っていなければ……限夢界の王からの親書だったはず。
 現在、こちらの世界の城で、王子たちが世話になっている、その礼の手紙……。
 多少、皮肉めいているけれど。
 男は何も言おうとはせず、ただ自分がすべきことだけをこなす。
 手紙を乱雑に扱った当の本人は、そんなことは気にとめていない。
 ただ、だんだんと、繰り返し机を叩きつけている。
「この面倒なことになりつつある時に……!」
 苦々しげにそう叫ぶと、くるりと身をひるがえした。
 そして、すぐ後ろの窓の外の景色に視線を移す。
 窓の外は、やはり、相変わらずの闇の世界。
 何かはわからないが、不気味なものが頭をたれているようで……。
 この世が、絶望にのみこまれたような感覚に襲われる。
「ブラオローゼ……。早々に手をうたねば……」
 そして、闇の一点を憎らしげににらみつけ、そうはき捨てる。
 その後ろには、しわをのばし終わった親書を机の上におく、フードの男の姿がある。
 すっぽりとかぶったそのフードの下の、澄んだブルーの瞳がゆらめく。
 じっと、覇夢赦の背を見つめ。


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update:05/05/24