変化と進化
(2)

 ころんころんと床に転がったままの鬼栖は、すっと虎紅に抱き上げられ、そのまま華久夜のいるバルコニーへと連れていかれる。
 そしてそこで、華久夜と虎紅が二言三言言葉をかわしたかと思うと、すぐに華久夜のご機嫌は回復してしまっていたようで……。
 今度は、鬼栖を鞠つきの鞠にして、遊びはじめてしまった。
 それを、虎紅はやれやれと見守っている。
 幻撞は幻撞で、世凪たちのすぐ横のソファに腰かけ、「ふぉっふぉっ」と笑い、何がそんなに楽しいのか、にこにこと微笑んでいる。
 くるりとステッキをまわしたりして、一人やっぱり何故だかご機嫌。
 もちろん、梓海道は、世凪のすぐ後ろに控えたままで……。
 莱牙と紗霧羅もばかばかしくなって、世凪たちが座るソファからはなれたところにある、壁際の椅子にどかっと腰かける。
 莱牙は、隣に腰をおろした紗霧羅をちらっと盗み見た。
 そして、はあと面倒くさそうなため息をつく。
 どうにも、横に座る紗霧羅は辛気臭い顔をしているから。
「紗霧羅、気にするな。時にはこういうこともある。今回は……柚巴が無事だったのだから、それでよしとしろ」
 妙に大きな動作で足を組み、そして腕を組み、やけに偉そうにそう言い切る。
 その目は、紗霧羅を見てはいない。
 疲れたように、天井へさまよわせているだけ。
 だけど、それでも紗霧羅には、今の莱牙の言葉は嬉しかったらしい。
 ちらっと莱牙に視線を移し、微苦笑を浮かべる。
「莱牙さま……」
 そんな粗野な態度をとったって、根底にあるその優しさ、思いやりはわかるから。
 これが、莱牙という男を知らない者なら、腹立たしいところだろうけれど……。
 莱牙という男を知る紗霧羅にとっては、ちゃんと励ましに聞こえる。慰めに聞こえる。
 あの時、調子にのって、柚巴を街へ連れ出したりしなければ、あんなことにはならなかったのに。
 あれからずっと、そればかりが頭の中をぐるぐるまわって、気分が落ち込んでいる。
 きっと、どこかに、驕りのようなものがあったのだろう。
 自分ならば、柚巴一人くらいなら守れるという、そんな驕り。
 しかし、実際はあの様。あのていたらく。
 あそこで虎紅がかけつけてくれなかったら……きっと、今頃は――
 そう思うと、悔やまれてならない。
 自分を吐き気がするほど、腹立たしく思う。
 誰も、そのことを責めてくれないから、余計に苦しくなる。
 どうやら、莱牙は、そうやって落ち込む紗霧羅に気づいていたらしい。
 そんな素振りは見せていなかったはずなのに。
 まわりのことなど気にしていないように見えて、実はちゃんとまわりに目をくばることのできる男なのかもしれない。
「それに、あのボケ王子にもいい薬になっただろう。柚巴を放っておくと、どういうことになるかってな?」
 さらりとそんなことを言い捨て、莱牙はようやく紗霧羅に視線を向ける。
 その瞳の奥が、いたずら小僧のように楽しそうにゆらめいている。
 そのような莱牙を見て、紗霧羅はくしゃりと顔の筋肉をゆるめる。
 なんだか、心がくすぐったい。
「……くす。莱牙さまらしいね」
 そうやって、茶化すように言葉を返す。
 案外、この傍流王族さまは、人の気持ちをくむことができる人なのかもしれない。
 そんな思いが、紗霧羅の中にふっとわきあがる。
 ……いや。そんなことは、もうずっと前からわかっていた?
 柚巴に思いを寄せる莱牙を、傍らでずっと見てきたから……。
 そして、素直にその思いを表にだせない、いじらしさも知っていて……。
 憎いなどとは、知るにつれ思うことはなくなった。
 ……いや、もとから思っていなかったはず。
 ただ、やっかいな、面倒くさい奴だな、とは思っていたけれど。
 むしろ、華久夜とともに、この兄妹を微笑ましく思っていたかもしれない。
 あらためて、莱牙に対する自分の思いに気づき、紗霧羅はこっそり苦笑いを浮かべる。
 いつの間に、自分の中に、この傍流王族の存在を認めていたのだろうか。
 こんなにも――
 すると突然、そんな紗霧羅の目の前に、ひょいっと柚巴の顔が現れた。
 それに驚き、柚巴を見つめると、その目の端にとらえてしまった。
 むっつりすねた王子様の顔を。
 どうやら柚巴は、その王子様の腕の中から抜け出し、ここまでやってきてしまったらしい。
 その存在が、王子様にとってどれほどのものか、わかっているはずなのに。
 そして、むっつりすねた時の王子様には、柚巴は欠かせないものだとわかっているはずなのに。
 どうした?と、首をかしげてみせると、柚巴はしゅんとうつむき、申し訳なさそうにちらりと紗霧羅を見つめてきた。
「紗霧羅ちゃん……ごめんね」
 そう、ぽつりとつぶやく。
 悲しそうに、苦しそうに、紗霧羅の姿をその目に映している。
 そのような柚巴を見て、紗霧羅は胸の内でまた苦く笑ってしまう。
 どうやら、柚巴もずっと気にしていたらしい。
 あの時のことを。
 柚巴さえあんなことを言い出さなければ、あんなことにはならなかったから。
 そして、それで紗霧羅が落ち込んでいるのがわかるから……。
「柚巴……!」
 びくびくとおびえる小動物のような柚巴を、紗霧羅は思わず抱き寄せ、抱きしめてしまっていた。
 なんてかわいい子なのだろうと。
 別に、柚巴が気にすることでもないのに……。
 だけど、気にしていてもらえたことが、こんなに嬉しいなんて。
 誰かに気にかけてもらえるということが、こんなに嬉しくなるものだなんて今まで知らなかった。
 それはきっと、その人の中で、ちゃんと自分の存在が認められているということだろう。
 誰かの中に自分がいるなんて……心があたたかくなる。
 抱きしめる柚巴を、これでもかというほど、なでまわす。
 当然、その横の莱牙は、呆れたように肩をすくめていた。
 だけど、その目は優しく、柚巴と紗霧羅を見ている。
 そして、こちら……柚巴に首ったけ王子様は、今にも爆発してしまいそうな勢い。
 梓海道が、かろうじてそれをおさえているようだけれど。
 よりにもよって、自分の腕の中から抜け出した柚巴が、他の者と抱き合っているなんて、王子様にとってはこの上なく腹立たしいことに違いない。
 案外、まわりの者たちに気にかけてもらえているのだなと、紗霧羅はあらためて気づき、胸いっぱいの幸せを感じる。
 こんなささいなことが嬉しいと思える自分は、今まで知らなかった。気づかなかった。
 こんな自分も、案外いいものかもしれない。
 心が、どこか、優しくなれたような気がする。
 柚巴と一緒にいると、新しい気持ちがどんどんわいてくる。生まれてくる。
 こんな生き方も、いいのかもしれない。
 ぬくもりと、優しさに包まれる、こんな生き方も。
 紗霧羅は、この時、柚巴がその生を終えるまで、ずっと柚巴の使い魔であり続けようと、かたく心に誓ったとか誓わなかったとか――


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update:05/06/01