思いの力
(2)

 ばたばたと、慌しく数人の兵がかけていく。
 ここ数日、城の内外と問わず、よく見かけるようになった光景。
 ざわざわとざわついて、落ち着きがない。
 しかし、それを責められないことを、柚巴たちは知っている。
 何しろ、この世界は、危機に瀕しているから。
 ……だけど、たしか……覇夢赦はまだ、そのことには気づいていないと、唖呂唖は言っていたような気が……?

「よっ。お姫さん!」
 廊下を歩いていると、突如、柚巴は呼びとめられた。
 それと同時に、半ば反射的に振り向き、今声のした方を確認する。
 するとそこには、窓枠に器用にしゃがみ込む唖呂唖の姿があった。
 右手を少し上げ、ひらひらとふっている。
 その顔は、どこかにへらとした軟派な笑みを浮かべて。
 そのような唖呂唖を見て、柚巴と一緒に歩いていた華久夜と紗霧羅は、うっとうしげな視線を送る。
 うっとうしいというか、邪魔。
 明らかにそう言っている。
「唖呂唖さん? 危ないよ」
 それにもかかわらず、そんな二人には気づいていないのか、柚巴はちょこちょこと唖呂唖のもとへ歩いていき、そう首をかしげる。
 もちろん、そんな柚巴を、華久夜も紗霧羅も、呆れたように見ている。
 どうして柚巴は、こんなに警戒心のかけらもないのか。
 まあ、敵ではない、とそう一応は位置づけしている男だけれど……。
 だからって、警戒しなければならないのはそれだけではない。
 別のところに、もっともっと重要なことが……。
 鈍い柚巴だから、その重要なことに気づくとは思えないけれど。
 華久夜と紗霧羅が最も懸念しているのは、その思い。
 唖呂唖が柚巴に抱く思い。
 柚巴は、そんなことはあり得ないけれど……。
 唖呂唖は、におう。
 柚巴を見る目が、妙に優しいから。
 莱牙が柚巴を見る目に似ている。
 それが、とてつもない不安を運んでくる。
「大丈夫だって。お忘れのようだけれど、飛べるから」
 にっこりと微笑み、ひらりと柚巴の前に降り立つ。
 その一つも無駄のない唖呂唖の動きに、柚巴は納得したようにうなずく。
 どうやら、本当に忘れていたらしい。
 限夢人がそうであるように、比礼人も飛べるということを。
「……でも、やっぱり危ないものは危ないもん」
 それを誤魔化すためか、柚巴は今にも消え入りそうな声でそうくいさがる。
 少し頬がふくれているあたりは、きっと気のせいなどではないだろう。
 そのような柚巴の反論を見て、唖呂唖はくくっと笑いをもらしていた。
 それで柚巴の顔が、ぼんと真っ赤になる。
 そして、悔しそうに唖呂唖をにらみつける。
 その様子を見て、華久夜と紗霧羅は顔を険しくしていく。
 仲がいいことは、決して悪いことではない。
 しかし、だからといって、いいこととも限らない。
 それ以上仲良くなり、その気持ちが変化した時……とんでもないことが起こるから。
 それだけは、絶対にさけなければならない。
 別に、柚巴の気持ちを心配しているわけではない。
 二人が懸念しているのは……唖呂唖の気持ち。
 どう転ぶかわからないだけに。
「はいはい。そうだな。今度からは、気をつけるよ」
 むうと唖呂唖を見つめる柚巴の頭を、ぽんぽんと軽くなでる。
 そして、続けて、くしゃりとなでてみた。
 同時に、柚巴の髪から、いい香りが漂ってきて……。
 その後続けて、それとは違った香りも香ってきて……。
 唖呂唖は、胸がぎゅっとしめつけられるような思いに襲われた。
 今、柚巴から香ってきたそれは……移り香。
 間違いなく、その香りをさせているもとの者は……あの男。
 限夢界の王子、世凪。
 香りが移ってしまうくらい、二人はいつも……。
 それは、もう何度も目にしている光景のはずなのに、何故、今さらこんなに胸が?
 柚巴の髪に触れている手を、すっと引き戻す。
「もう。髪の毛、くしゃくしゃになっちゃったじゃない」
 今度は、ぷんぷんと怒りながら、柚巴は手櫛で髪をととのえはじめる。
 今、唖呂唖にくしゃっとなでられたそこを。
 それはまるで、唖呂唖にそんなことをされても、まったく気にしたふうではなく……。
 唖呂唖に触られたのに、まったく意識などしていないというようで……。
 思わず、ぎゅっと拳をにぎりしめてしまった。
 それではまるで、唖呂唖など、男としてすら見られていないように思えるから。
 そこまで考えがいたり、唖呂唖ははっとした。
 何故、どうして、自分がそう思うのか。
 その理由がわからない。
 柚巴は、協力者にすぎないはずだから。
「柚巴!」
 ようやく髪を整えなおし、一息つくと、ふいに紗霧羅に呼ばれた。
 それで、慌てて振り返る。
「なあに? 紗霧羅ちゃん」
「いくよ。おいで」
 どこかぴりっとした空気をまとい、紗霧羅は柚巴に手をさし出してくる。
 紗霧羅にぴとっと寄り添い、華久夜も険しい顔でじっと柚巴を見ている。
 そのような、いつもと違う二人に、柚巴はたじろいでしまった。
 一歩、後退する。
 すると、肩が、何かに触れた。
 触れたと思ったら、「おっと……」とつぶやく声が耳元でして、柚巴の両肩にあたたかなものが触れていた。
 それは、後退した柚巴をとっさに支えた唖呂唖の手。
 瞬間、紗霧羅の足元に、円を描くようにして、小さな砂煙が上がっていた。
 それを、華久夜が慌ててとめる。
「紗霧羅っ」
 ぐいっと紗霧羅の腕をひき、訴えるような華久夜の視線が注がれる。
 それでようやく紗霧羅は、今、自分がしでかしてしまっていることに気づき、慌てて気持ちを落ち着かせる。
 無意識とはいえ、怒りのために、気を暴走させてしまっていた。
 気をコントロールできないくらい、怒りを覚えてしまったということだろうか。
 つくづく、最近の自分は何をしているのかと思う。
 どうしてこんなに、自分で自分を制御できなくなってしまっているのか……。
 自らの失態に、苦笑いを浮かべる。
 それに華久夜は、「もう、紗霧羅ったら、お馬鹿さん」と、肩をすくめる。
 しかし、たしかに、紗霧羅ではないが、今の唖呂唖の行動には、華久夜だって怒りを覚えずにはいられない。
 ただでさえ、世凪だけでも腹立たしいのに、他の男が柚巴に触れるなんて。
 しかも、それは、一人増えたまずいの=B
 これ以上、頭痛の種を増やしたくないというのに……。
 どうしてこうも、うまくいかないことばかりが続くのだろうか。
 まるで、何かの因縁のように。


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update:05/06/11