思いの力
(3)

 「ありがとう」と言いながら、唖呂唖から、柚巴がはなれていく。
 それを見はからって、紗霧羅は、ついっと唖呂唖に歩み寄った。
 そして、おもむろにぐいっと胸倉をつかむ。
 それを見た柚巴がぎょっと目を見開いたけれど、それにはかまわず言葉を発する。
「ちょっと話があるんだけれど。こっちへ来てくれない?」
 有無を言わせぬ鋭い眼差しで、唖呂唖をにらみつける。
 そう言って紗霧羅が示した先では、紗霧羅同様に、鋭い眼差しで唖呂唖をにらむ華久夜がいた。
 それで、唖呂唖は、この後自分に待ち受けているものを、悟ってしまったような気がした。
 はは〜んと首を動かしながら、「なんだ?」と素直に紗霧羅についていく。
 もちろん、胸倉をつかむ紗霧羅の手を、ゆっくりとはなしながら。
 それに慌てて柚巴がついていこうとしたけれど、「柚巴はそこでお留守番」と言い渡されてしまい、仕方なくそこにとどまることになってしまった。
 不安げに、三人を見つめる。
 一体、これから、紗霧羅たちは、唖呂唖に何を言おうとしているのだろうか。
 不安が、押し寄せてくる。
 みんな、唖呂唖をよく思っていないことを、柚巴は知っているから。
 ここで喧嘩などはじまったら……柚巴ではとめられない。
 思わず、ふっと視線をそらしてしまった。
 すると、目の端に、あるものが飛び込んできてしまった。
 それは、今のこの険悪な雰囲気の三人なんてどうでもよくなってしまうもの。
「世凪!」
 先ほど唖呂唖が現れた窓の外をのぞき込み、柚巴はそう叫んでいた。
 今の今まで、不安をにじませていたなどとは思えない、満面の笑みを浮かべて。
 どうやら、王子様だけでなく、柚巴も、その姿を目にするだけでご機嫌になれてしまうらしい。
 ……憎らしいことに。
「莱牙さまや、鬼栖ちゃんたちも!」
 さらに嬉しそうにそう言って、もう少しだけぐいっと身をのりだす。
 ……それにしても……それだけで、簡単に目の前のまずそうなものをころっと見捨てることができてしまう柚巴って……。
 ある意味、いちばん大物かもしれない。
 紗霧羅たちも紗霧羅たちで、何やら真剣に話し込んでいるようで、柚巴のこの行動には気づいていない。

「柚巴!?」
 今、どこからか聞こえてきたとても心地よいその声に、世凪はがばっと上を見上げた。
 他の者たちも、当然、その声は柚巴のものだとわかっているけれど、それが発せられた場所までは特定できずにいるというのに、いとも簡単につきとめてくれるものである。
 これがもしかして、愛の力というもの?
 ……なんだかとっても不気味だけれど。
「うん。ねえ、何しているの?」
 先ほどよりもまた少し身をのりだし、柚巴はひらひらと手をふる。
 それにしても……この緊迫感のかけらもないお姫様は……。
「柚巴! おい。そんなに身をのりだすと、危ないぞ」
 そのような柚巴に、さすがの世凪でも呆れてしまうらしい。
 はあとため息をもらし、こめかみをおさえる。
 無邪気なのは知っていたけれど……これでは、無防備すぎる。
 この時ほど、世凪は、そばに華久夜と紗霧羅をつけておいてよかったと思ったことはないだろう。
 世凪だけでなく、そこにいる虎紅や由岐耶たちまで、柚巴のそのあどけない姿に、ぽかんと口をあけてしまっている。
 敵地のど真ん中にいるようなものなのに、これでは、さすがに呆れずにはいられないだろう。
 それでも、そんな柚巴がかわいいとか思ってしまっているのが、こちらの方々。
 世凪と莱牙。
 肩をすくめつつも、優しい微笑みを柚巴に向ける。
 ……これでは、手に負えない。
 世凪の言葉に、柚巴はむうと頬をふくらませた。
 世凪に言われなくてもわかっているよーだと、言うように。
 そして、それは、口からも出てきて……。
「わかっている……」
 そう言おうとした瞬間、柚巴の体がぐらりとゆれた。
 同時に、どんと大きな音が、紗霧羅たちの耳に入っていた。
 それにはっと気づき、慌てて音がした方を見ると……何故だか、窓のすぐ下でしりもちをついている比礼兵が一人。
 そして、今窓から飛び出して行った柚巴の姿が目に飛び込んできた。
 瞬間、頭の中が真っ白になる。
 この事態を悟ってしまって。
「……!?」
 言葉にならない驚きを発し、慌てて柚巴のもとへと駆けていく。
 しかし、間一髪間に合わず、柚巴の体は、紗霧羅の手をするりとすり抜けていった。
 まるで、ひゅーという擬態語が聞こえてきそうな勢いで、柚巴の体は急降下していく。
 その瞬間を目撃してしまっていたのは、紗霧羅たちだけではない。
 当然、今の今まで柚巴と会話をしていた世凪たちも、目にしてしまっていた。
「あの馬鹿……!」
 やっぱりやったか!と言わんばかりに、舌打ちをする。
 そして、こちらは妙に落ち着いた様子でいる。
 ばさりと黒マントをひるがえし、柚巴を助けるべく飛び上がろうとする。
 その時、世凪の目のはしに、黒いものが飛び込んできた。
 かと思うと、それはどんどんと面積を広げていって……彼らを押しのけるようなかたちで、そこに姿を現した。
 やけにふわふわでもこもこな、真っ黒い毛のかたまり。
 瞬間、それのために、世凪たちの思考はとまってしまった。
 柚巴が窓から落ちても、妙に冷静だったあの世凪たちの思考が。
 そして、次の瞬間、はっと我に返ってみると……その真っ黒の物体の上で、ぽよんぽよんとはねる柚巴の姿があった。
「……」
 それにも、やはり、世凪たちは言葉を失ってしまう。
 もう少し上に視線を移していくと……窓からこちらをのぞきこむ紗霧羅たちが、同様に言葉を失っていた。
 ただ、その黒く大きな物体と、その上で執拗にはね続ける柚巴を見ている。
「……やれやれ……」
 言葉を失いつつも、さすがはこれでも王子様といおうか、世凪がいちばんはじめにこの状況をのみこみ、そうつぶやいていた。
 そして、先ほどしようとしていたように、すうと上へと飛んでいく。
 それから、黒い物体の上ではねる柚巴をすいっと抱き寄せる。
 その胸にしっかりとおさめたことを確認すると、再びすうと降り立ってきた。
 柚巴は、世凪の腕の中、完全に目をまわしている。
 無理もない。
 窓から落ちて、黒い物体の上で、何度も何度もぽよんぽよんとはねていては。


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update:05/06/16