帰らずの森
(2)

 闇だけが支配する不気味なその森を、七頭の馬が駆けていく。
 正面に大きくそびえたつ、この世界と同じ名の山へ向かって。
 この森は、その山のふもとまで続いている。
 唖呂唖は、あえてこの森の名を、柚巴たちに知らせていないが……。
 この森の名を知る唖呂唖は、一人ぴりりと気をはりつめていた。
 この森は、「帰らずの森」と言われ、比礼界では恐れられている森だから。
 一度この森に足を踏み入れると、帰ることができないという……。そう言われている、いわくのある森。
 しかし、それでも今回、あえてこのルートをとったのは、比礼山へはいちばんの近道だったから。
 「帰らずの森」とはいっても、本当に生きて出られないわけではない。
 そのいわれに翻弄され、誰も足を踏み入れないというだけ。
 誰も足を踏み入れなければ、自然、森は荒れる。
 荒れると、さらに人は足を踏み入れなくなる。
 その悪循環で、この森は、好き放題荒廃していく。
 倒木がいく手を邪魔することなど、当たり前。
 道なき道を、柚巴たちは駆けていく。

 さすがに、この険しい森の中では、お姫様乗りでは落馬しかねない。
 ……にもかかわらず、この王子様ときたら、あくまで柚巴をお姫様乗りさせたまま。
 それは、腕に自信があるのか、それともただ無頓着なだけなのか……。
 微妙なところだけれど、絶対に大丈夫という確信があるからそのままにしているのだろう。
 たしかに、それだけがっちり柚巴を抱きつかせていれば、大丈夫……かもしれない。
 ――絶対に大丈夫というわけがないけれど――
 それに、この激しいゆれにもかかわらず、柚巴も柚巴で、嬉しそうにきゅっと世凪の胸に顔をうずめている。
 ……もう、いい加減にしてくれ、とあちらこちらから聞こえてきそうなほどのいちゃつきっぷりを披露してくれている。
 同様に、二人乗りをしている莱牙と華久夜も、そんなことをしていたら舌をかむぞとつっこみたくなるほど、ずっと兄妹喧嘩を繰り広げているし……。
 幻撞と虎紅の師弟が乗る馬もまた……。
 虎紅が手綱をとり、その後ろに幻撞がのほほんと乗っている。
 時折、ステッキを振りまわし、楽しそうにたれる木の枝をたたいて、音を鳴らして。
 まったくもって、この使い魔たちには、危機感、緊張感といったものが欠落しまくっている。
 すぐ後ろで繰り広げるそんなふざけた様に、唖呂唖は果てしない頭痛を覚える。
 そして、後悔が押し寄せてくる。
 もしかして、もしかしなくても……人選を誤ったのだろうか?
 しかし、今更そんなことを言ってももう遅いので、ここはこのふざけた連中に賭けるしかない。
 自分一人の力では、どうにもならないことを承知しているから。
 そしてまた、噂が間違いでなければ、こんなふざけた奴らでも、とんでもない力を隠し持っているはずだから。
 限夢界の王子といえば、こちらの世界にもその名が伝わるほどの、稀に見る力の持ち主という。
 ……本当に、このいちゃつくだけしか能がないような奴が、それほどの力を持っているのかどうか、はなはだあやしいところだけれど。
 そして、その婚約者だとかいうこの少女は……ただ非力な、そして守ってあげたくなるような少女。
 本当に、このような華奢な少女が、限夢界の危機を救ったというのだろうか?
 たしかに、この少女には不思議な魅力を感じるけれど、それとこれとはまた別。
 ふざけていても、する時はきっちりすることだけは、この短い間にもわかったような気がする。
 今は、好きなようにさせておこう。
 もうすぐ、この森を抜ければ、もう馬上でのお遊びはできなくなるから。
 さすがに、比礼山をのぼるには、馬では無理だろう。
 それこそ、蓄えている力を使わなければ。
 登山道なんてそんな優しいものはない、岩肌がむき出しになった険しい山だから。
 まさか、ロッククライミングなどできるはずがない。
 それこそ、頂上まで瞬間移動しか方法がのこされていない。
 唖呂唖たちが目的とする場所は、比礼山でも、その山頂。
 山頂にぽっかりとあいた、大きな穴。
 暗く険しい森の中を、遠くに見える山目指して駆ける。

「柚巴、大丈夫か?」
 胸に感じる力が先ほどよりも弱まったことを感じ、世凪はすっと視線を自分の胸元へと落とす。
 そこには、柚巴がいるから。
 この獣道では、いくら世凪といえど、よそ見などする余裕はないはずなのに。
 どうにも柚巴にかかわると、不可能なことも可能になってしまうらしい。
「……うん。大丈夫」
 心配そうな世凪の眼差しを受け、柚巴はにっこりと微笑んでみせる。
 本当は、あまり大丈夫ではないけれど。
 この道を、もうどのくらい走っているだろう。
 さすがに、そろそろ体力がもたなくなってきた。
 限夢人の体力はけたはずれ。
 まだみんなぴんぴんしているのに、柚巴だけ泣き言など言えない。
「そうか。ならいいが……」
 そのような柚巴の思いなど、当然世凪がわからないはずがない。
 口ではわかったようなことを言いつつ、手綱を持つ左手をはなし、ばさりと風になびくマントをとった。
 そして、それをぐるっと柚巴の体にまわし、ぼそぼそと二言三言何かをつぶやいた。
 すると、そのマントは、世凪の体に柚巴の体を固定してしまった。
 まるで、意思を持つ生き物のように。
 これで、柚巴が懸命に世凪に抱きつかなくてもよくなる。
 いわば、互いの体は密着し、二人で一人。
 そんなことができるなら、はじめからそうしておけばよかったのに……と思わないことはないけれど、それは王子様のある欲のために、あえてしなかった。
 こんな小細工なしに……柚巴に、柚巴から抱きついて欲しかったから。
 こういう時でもない限り、柚巴から抱きついてくる……など、とうてい望めない。
 世凪は、そこをちゃっかり利用させてもらった。
 しかし、さすがに、疲れの色を見せる柚巴に、これ以上無理をさせるわけにはいかないから、仕方なく小細工をすることにした。
 本当は、もう少しだけ、その幸せをかみしめていたかったけれど、柚巴にはかえられない。
 世凪のその行動に驚き、柚巴は世凪を見つめる。
 だけど、もうすでに、世凪の視線はまっすぐと前をとらえ、柚巴を見てはいなかった。
 涼しい顔で、それが当たり前のように馬を走らせている。
 口ではあんなことを言ったくせに、どうやら見透かされてしまっていたよう。
 その事実に気づき、柚巴は複雑に微笑む。
 そして、ほうと小さなため息をもらし、安堵したように世凪の胸に体をあずける。
 胸からのリズムよい鼓動の動きと、馬からの振動を受け、柚巴の意識は次第に薄くなっていく。
 どうやら、安心して、ここまで走ってきた疲れが出たらしい。
 うとうととしはじめた柚巴を、世凪はその体いっぱいで感じる。

 シャランラン……。

 馬の呼吸や、踏みつける葉や小枝の音の合間に、かすかにそんな音が聞こえてきた。
 鈴のような、錫丈のような、不思議な音。
 それが、ずしんと柚巴の頭の中に入ってきた。
 瞬間、それまでの眠気が一気にさめ、つむりかけていた目をぱっと開く。
「え……?」
 そして、きょろきょろとあたりを見まわしていた。
 何しろ、そのような音、この深い森の中で聞こえるはずなどないから。
 突然目を覚まし、きょろきょろとしはじめた柚巴に、世凪は首をかしげる。
「どうした? 柚巴」
「え? あ……うん。今の、聞こえた?」
 ひょいっと顔を上げ、世凪を見つめる。
 しかし、世凪は、何のことだかいまいちわかっていないようで、難しい顔をしている。
 そこで、後ろをついてくる他の使い魔たちを見てみた。
 しかし、彼らにもどこも変わった様子はなく、それまで同様、無表情に馬を走らせている。
 ――みんなには、聞こえていない?
 そのような考えが、柚巴の頭の中をめぐった。
 ならば、そこから導き出されるものは、もう決まっている。
「ううん。なんでもない。ごめんね」
 ふるふると首をふり、また世凪の胸に頭をもたれかける。
 その柚巴のおかしな行動に、世凪はやはり首をかしげたけれど、たいして気にしたふうもなく、手綱をとりなおす。
 そして、唖呂唖の後をついていく。
 たしかに今、不思議な音が聞こえた。
 しかし、それは柚巴以外は気づいた様子はなく……。
 それじゃあ、気のせい?
 どこか、気持ちの悪い感覚に襲われたけれど、柚巴はそれ以上は考えないことにした。
 それよりも今は、こうやって世凪の胸の鼓動を聞いていたい。
 ――どうやら、柚巴も、すっかり本来の目的を忘れてしまっているらしい。
 本来の目的は、震源地へ行き、崩壊に向かいつつあるこの世界を救うことのはずなのに。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:05/07/18