動き出した絶望
(3)

「そうじゃなくて……。あのね、多紀くん」
 そのような多紀に、何のためらいもなくつっこみを入れられるのもまた、柚巴だけ。
 はあとため息をもらす。
 今の今まではりつめていたその重い空気が、払拭されていく。
 多紀の登場それだけで、こうもあっさり緊張感がなくなるとは。
 世凪の腕の中から、ひょいっと上体を出し、多紀に迫る。
 そして、ふざけていないでちゃんと答えてよ〜という、いかにも柚巴らしい、ぷうと頬をふくらませた抗議の表情をしてみせる。
 すると、そのような柚巴に、多紀はにこっと微笑む。
 そして、ぷうとふくらんだその頬を、つんつんとつついてみせる。
 当然、そんなことをすれば、王子様が黙ってはいない。
 ばしっと払いのける……ことはしなかったけれど、ぎろりと怒りのこもったにらみを多紀に入れる。
 やはり、それでもひょうひょうとした態度を多紀は崩すことはない。
 こういうところは、相変わらず。
 柚巴の頬で遊ぶその手を、すっとひき、人差し指をぴんと立てた。
 どこか得意げに。
「あのね、柚巴ちゃん。本来、神という存在はね、形がないようなものなのだよ? それが、どういう意味かわかる?」
 ぴんと立てた指を、すうっと柚巴の顔の前にもっていき、にっこりと微笑む。
 すると、柚巴は、その指をきゅっとつかんだ。
 そして、うつむき加減に、多紀の顔色をうかがうようにつぶやく。
 その答えを口に出すことは、あまり気がすすまないように見える。
「……人の心が……生み出すもの?」
 片手でつかむ多紀の指を、今度は両手でぎゅうと握りしめる。
 その手から、多紀の指がのがれられないように。
 しかし、さすがは神。
 あっさりとその手の中から指を抜き取り、そのままふわりと柚巴の頬に触れる。
 多紀の柚巴を見る目はとても優しい。
 それが、世凪をいらだたせるということを、多紀はもちろん心得ている。
 何しろ、こうやって柚巴に――世凪が言うところの――なれなれしくするのだって、わざとなのだから。
 世凪をからかって遊ぶため。
 もともといい性格をしている多紀だけれど、神に戻ってからは、さらにたちが悪くなったらしい。
 ……世凪限定で。
 柚巴に接するその態度は、変わらずに優しいまま。
 本当は、純粋に、柚巴を大切に思っているだけなのだろうけれど。
 それを素直に表に出せないのが、また多紀らしいところだろう。
「ご名答。だから、そこに信じてくれる人がいれば、俺はどこにだって現れるよ? それに、俺は、柚巴ちゃんに加護を与えているしね?」
 柚巴の頬をなで、するっと手を戻していく。
 もちろん、その手を、今にも吹き飛ばしてしまいそうなほど、憎らしげに世凪がにらみつけている。
 相手が多紀でなければ、間違いなく世凪の制裁が下っていることだろう。
 一応は、相手が神≠ニいう分別は、世凪でもあるらしい。
 ……どうにも、これが神とは思えないけれど。
 いろんな意味で。
「……くすっ。多紀くんらしい」
 多紀のその答えに、柚巴はくすくすと楽しそうに笑う。
 思い出してしまったから。
 まだ、多紀が、柚巴の友達、そして庚子のおさななじみであった頃のことを。
 人間と思っていた頃の多紀を。
 あの時は、とても楽しかった。
 淋しかった柚巴の日々に、光をもたらしてくれたのが、庚子と多紀。
 大切な大切な、無二の友人。
 彼らがいたから、柚巴は笑うことができた。
 とても、柚巴を大切にしてくれた友達。
 ……だけど、今はもういない。そばには。
 心の中には、今も住んでいるけれど……。
 そして、こうやって、時折現れてくれるけれど……。
 だけどそれは、柚巴のそばで、いたずらな笑みを浮かべる人間の多紀ではない。
 もう、この世には、人間の多紀は存在しない。
 ここにいるのは……神になってしまった多紀。
 最初の頃は、それがとても辛く悲しく思ったけれど……。
 今は大丈夫。
 あの頃の思い出を胸に、こうやって、ちゃんと神の多紀を見ることができるから。
 あの頃と変わらずに、意地悪な笑みを浮かべる多紀がいるから。
 今は、違う存在に戻ってしまった多紀を、まっすぐに見ることができる。
 神様だけれど……多紀は、変わらず柚巴の友達だから。
 多紀も、変わらずにそう思っているだろう。
 柚巴を見る、そのあたたかな眼差しから。
 もちろん、そのような柚巴を見て、おもしろくないのはこの王子様。
 ばさりとわざとらしくマントをひるがえし、すっぽりと柚巴を覆ってしまう。
 しかし、多紀はそんな世凪をさらりと無視する。
 ぱちんと、多紀の指が鳴ったかと思えば、柚巴は世凪のマントから解放されていた。
 それを悔しそうに、世凪が舌打ちする。
 どうやら、多紀によって、あっさりと、そのマントの拘束がとかれてしまったらしい。
 さすがは、まがりなりにも神。
 世凪など、恐るるに足りないらしい。
 ……まあ、多紀の場合、人間の時から、世凪など恐れてはいなかったようだけれど。
「それで、柚巴ちゃんは、これをどうにかしたいのだよね?」
 多紀は、いきなり話を切りかえて、真下に広がる赤い海を示す。
 そういえば、今は、こうやってほのぼのと語らっている場合ではなかった。
 事態は急を要する。
 一刻も早く、この流れ出るマグマをどうにかしなければならなかった。
 それに気づき、柚巴の顔がさあっと青くなっていく。
 一時でも、このことを忘れてしまうなんて。
 いくら多紀と再会できたことが嬉しかったからといって……。
 不謹慎だった。
「う、うん。このままだと、この世界が……」
 ぎゅっと抱きしめる世凪の腕をにぎり、柚巴はぐいっと多紀に体を突き出す。
 そして、まっすぐに多紀を見つめる。
 その目には、多紀くんがやってきたということは、何かいい方法を知っているのだよね?と、藁にもすがっている。
 もちろん、それは間違いではない。
 多紀は、天空楼でそうであったように、今回もまた、柚巴を助けるために現れたのだろう。
 柚巴は、智神・タキーシャに加護を与えられた者だから。


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update:05/07/31