希望の矢
(2)

 多紀に支えられ、柚巴は弓を手にしていた。
 多紀の手をとり、引き寄せられると同時に、どこからともなくこの弓が現れていた。
 弓もまた、矢と同様、何の変哲もない。
「……弓は……ひける? ひけないなら、俺が協力するけれど……」
 そう言いながら、多紀はもうそうと決まっているように、柚巴を後ろから抱きしめるように支えなおした。
 それを見た瞬間、とうとう、世凪の理性がぶちっと音を立てて切れてしまった。
 それをしていいのは、柚巴を抱きしめていいのは、世凪だけであると、多紀の腕の中から柚巴を奪い取る。
「俺がする!」
 そして、言葉で言い表せないような恐ろしいにらみを多紀へ入れる。
 相手が神であるということを、世凪はすっかり失念している。
 ……無理もない。
 理性がぶっつんとぶっちぎれた世凪では。
 がるるるう……と、今にも牙をむき、かみついてきそうな世凪を、それでも多紀は妙に涼しい顔でさらっとあしらう。
「……まあ、できるならそれでもいいけれど。だけど、一本だけしか矢はないからね? それをはずせば、もうおしまいだよ? わかっているよね?」
 にっこりと、妙に黒いものを感じさせる笑みを世凪に向ける。
 その微笑みが無駄にさわやかだったりするから……余計に恐ろしくなる。
 柚巴を支える世凪にだけ向けられた、その無駄にさわやかな微笑み。
 その場にいる使い魔たち誰もが、ぞくりと背に冷たいものを感じていた。
 これは、間違いなく、王子様と神様の柚巴の奪い合い。
 しかも、その奪い合われている柚巴はというと、「もうどっちでもいいよ」と、げんなりと肩を落としている。
 まったくもって、彼らが抱く思いに気づいていない。
 改めて、柚巴のにぶさ加減を実感してしまう。
 そして、感動すら覚えてしまう。
「くどい!」
 ぎゅうっと柚巴を抱きしめ、世凪はいらだたしげに怒鳴る。
 それに、多紀は多少呆れたように、くすりと肩をすくめる。
 それは、世凪の目には、「できるものならしてごらんよ」と、挑発されているように映っていた。
 そう。世凪の目にだけ。
 他の者の目には、多紀が呆れてしまっているようにしか見えない。
 まったくもって、本当に世凪ってば、柚巴のこととなるとまわりが見えなくなる。
 本当に、これでうまくいくのだろうかと、一抹の不安が広がる。
 それから、ゆっくりと解放していき、支えるように世凪が柚巴の両腕に手をそえた。
 柚巴は、ぴくりとそれを体で確認し、ちらりと世凪を見る。
 それに答えるように、即座に世凪がうなずく。
 そこには、今の今まで、多紀に対してむきだしだった敵意はない。
 ただ、柚巴の支えだけに専念する……というような眼差し。
 本当に、この王子様は、変わり身がはやい。
「……柚巴。いくぞ」
 そうつっこむ隙すら与えず、世凪の口からそのような言葉がもれた。
 それに、柚巴も慌てて答える。
 まっすぐと、下にあるあの禍々しいものをにらみつけ。
「う、うん!」
 瞬間、ぴりりと、二人のまわりに火花が散ったように見えた。
 それと同時に、不思議に、二人から、ふわりふわりと、やわらかい桃色の気がにじみでてきた。
 それは恐らく、世凪のものではなく、柚巴から発せられているものだろう。
 それに、世凪がシンクロしているのだろう。
 何故だか、そこにいる誰もが、そう思えてしまった。
 世凪がまとう気は、いつも、真っ黒か真っ赤かのどちらかだから。
 こんなにも優しく汚れのないものは、柚巴のものに違いない。
 誰もが息をのむ。
 ただ一人、多紀だけが、妙に得意げに微笑んで。
 ゆっくりと、つるにかけられた矢がひかれていく。
 そして、めいっぱいひかれたかと思うと、ぱっと矢をもつその手が放された。
 柚巴の思い、願いのすべてをのせて。こめて。
 同時に、電光石火の勢いで、下に広がるマグマに矢が吸い込まれていく。
 柚巴と多紀にしか見えない、そのきらりと光る核*レ指して。
 二人以外にはわからないが、間違いなく、矢はそれを目指して進んでいるように思える。
 それは、思えるではなく、確信だったかもしれない。
 何しろ、マグマに向かう矢は、虹色の光を発しているから。
 それが、とても不思議に思える。
 その光は、シュテファンのものだというその矢から放たれているのか……。
 それとも、柚巴の思いがこめられているためか……。
 どちらともつかないが、何故だか、その矢がとても神聖なもののように思える。
 そんな、ふわりとした妙な感覚にとらわれていると、次の瞬間、それは音もなく、すうっと溶け入るようにマグマの中へ入っていった。
 そして、完全にその姿がなくなる。
 それを見届け、柚巴の体は、がくんとくずおれる。
 世凪が慌てて抱きとめる。
「や、やったのか?」
 柚巴と世凪の背後で、そんなため息まじりの声が聞こえた。
 それは、武者震いなのか、がちがちと体を震わせる唖呂唖から、本人が気づかないうちにもれていたらしい。
 また、他の使い魔たちも、何故かいろめきたっている。
 彼らには、言わずとも、矢が見事的を射抜いたことがわかってしまっていた。
 不思議にも、そう確信できる。
 もちろん、多紀のこの得意げに微笑むその顔から、それは間違いないとはっきりと見てとれる。
 たったの一度しかないチャンスを、柚巴は見事つかみとった。
 そして、その後に起こるであろう奇跡を信じ、マグマを見つめ続ける。
「な、何も起こらない?」
 唖呂唖がじれるように、そうつぶやく。
 たしかに、矢は見事核≠ニ呼ばれるそれを射抜いたはずなのに、何の変化も起こらない。
 兆しすらない。
「まあ、見ていて」
 それでも、多紀はまったく動じることなく、相変わらずの得意げな笑みを浮かべている。
 柚巴も、世凪に抱かれたまま、不安そうな表情を浮かべ、今射たばかりのそこを見つめ続ける。
 願いをこめて。祈りをこめて。
 そして、少しの不安を抱き。
 柚巴の中では、めいっぱい願いをこめ放ったはずだけれど……もしかして、それは不十分で、失敗に終わってしまったのだろうか?
 そんな不安が広がっていく。
 妙に多紀は得意げに微笑んでいるけれど、だけど、それでも……。
 怖くなってしまう。
 たった一本しかない矢を、無駄にしてしまった……?
 世凪の胸に、きゅっと顔をおしつける。
 今の今まで、妙に誇らしく凛としていた柚巴が、もうすっかりいつもの柚巴に戻ってしまっていた。
 頼りなく、誰かが守ってあげなければならないような、そんな少女に。
 そのような柚巴を、世凪は優しく見つめる。
 そして、ふわりと髪にキスを落とす。
 たとえ、これが成功していようがいまいが、世凪にはもうどちらでもかまわない。
 この胸に抱く柚巴がいれば、それだけで。
 できるだけのことはしたのだから……もうそれで十分。
 その思いをこめ、世凪は優しく柚巴を抱く。
 そして、くいっと柚巴の顔をあげ、そこにもう一つキスを落とそうとした時だった。
 先ほど矢が吸い込まれたそこから、カッと光があふれ出てきた。
 それに邪魔され、世凪は柚巴に口づけを落とせぬまま、憎らしげに光の先をにらみつける。
 柚巴は世凪の腕の中から、まぶしそうにそこに視線を移す。
 使い魔たちも同様に、驚きをあらわにして、それを見つめていた。
 するとすぐに、その光はすうっと消えていく。
 光が消えると同時に、その中心である矢が放たれた場所がゆっくりと姿を現してくる。
 そして、ようやく光から目が回復して、そこを見ると――
「き、奇跡が起こった!!」
 誰よりも早く、唖呂唖がそう叫び、この一帯に響き渡った。
 その言葉通りに、たしかに今、目の前で奇跡が起こっている。
 矢を射込んだそこから、すさまじい勢いで、ばきばきばきと、マグマが真っ黒くかたまっていく。最後まで。
 それはすなわち、この噴火の終息を意味する。
 禍々しいものを封じ込めたことになる。
 はは……ははははっ……と、誰ともなしに、気が抜けたような乾いた笑い声がもれてくる。
 誰もが、この光景に圧倒されているようである。
 誰も手出しできなかったあの意思を持った不気味なマグマが、こうも簡単におさえこまれてしまうとは。
 しかもそれは、華奢な少女が放った、たった一本の矢だけで。
 その矢が、たとえ神の矢だとしても――
「あんた、たいしたお姫さんだよ」
 ふわりとめまいを覚える唖呂唖の口から、気力を奪われたような言葉がもれた。
 そんなことはわざわざ言われなくてもわかっていると言いたげに、使い魔たちも苦笑いを浮かべている。
 まさか、またしても、この目で奇跡を見ることができるなんて。
 たとえその矢がシュテファンのもので、シュテファンの力による奇跡だとしても……。
 世凪の腕をふりほどくことすらかなわず、その腕に大人しく抱かれているこの非力な少女がなしえたことだとは、どうしても信じがたい。
 しかし、それが現実なのだろう。
 あどけない顔で、首をかしげるその少女が、誇らしく思える。
 この少女がいれば、どんな奇跡だって起こせるような気がしてくる。
 神に加護を与えられたたった一人の少女が、また一つの世界を救った。
 それだけが、ここに居合わせた彼らに与えられた、事実――


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update:05/08/16