鳥かごの姫君
(1)

 柚巴の手に握られたままになっていた弓をするりと抜き取り、多紀はにこりと微笑みを浮かべる。
 そして、そのまま手の中にしまいこむように、すうっと弓は姿を景色にとかしていった。
 それを、首をかしげ、柚巴は不思議そうにながめている。
 もうすっかりいつもの柚巴に戻っている。
 先ほど、あの神々しいまでの雰囲気をまとっていた少女と同一人物だとはとうてい思えない。
 柚巴のこういうところに、使い魔たちは驚きつつもひかれてしまう。
 どんな奇跡を起こしても、決して驕らない、その姿勢に。
「じゃあ、俺はもういくから」
 すっと体をよじり、多紀は柚巴に背を向ける。
「え!? 多紀くん、もう行っちゃうの?」
 その背にすがるように、柚巴は淋しげに多紀を見つめる。
 まだ体の力が抜けたままの柚巴は、世凪に抱かれたまま。
 その腕の中でみじろぎしたものだから、腕の中から落ちかける。
 世凪が、おもしろくなさそうに顔をゆがめる。
 このお子様を落とさないようにと、ひょいっと抱きなおす。
「……うん。もう役目は終わったからね」
 柚巴に背を向けたままで、多紀は静かにそうつぶやいた。
 心なしか、その背もまた淋しそうに見える。
 ――淋しくないはずがない。
 柚巴同様、多紀にだって、柚巴とともに過ごしたあの日々の思い出が残っているのだから。
 まだ覚醒前で、自分が限夢界の神の一人であるということを知らなかったあの日々の記憶が。
 本当は、ほんの少しくらいなら、神であるということを思い出さない方がよかったと思わないこともない。
 思い出さなければ、そのままずっと柚巴とともに、学生生活を楽しめていたはずだから。
 柚巴と庚子とともに過ごした日々は、多紀にとってもとても大切なものだった。
 神に戻ってからも……時折、脳裏をかすめる。
 柚巴の笑顔。庚子のむくれた顔――
 使命とかそんなもの、今すぐにでも放り出したいくらい。
 人間の寿命など所詮知れている。
 その間くらい、神を放棄したって……。
 そう思うものの、やはりできない。
 多紀は、柚巴に加護を与えているから。
 柚巴を見守り続けるために、神に戻ったのだから。
 ……半ば、むりやり強引に、シュテファンにそう仕組まれていたような気もするけれど。
 神にだって、感情はある。
 すべての人に平等に幸いを与えるなんて、そんな聖人君子のようなことができるわけがない。
 本当は、大切な者を守るためにだけ存在していたい。
 大切な者だけに、幸いを与えたい。
 平気なふりをしていたって……別れは、やはり辛いもの。
 今、柚巴の後ろにいる使い魔たちのように、常にそばにいて、ともに笑い合っていたい。
 ……無理だとわかっていても……望まずにはいられない。
「やだ。行かないでよ。もうちょっとだけ……」
 背後で、ひっくと泣いているような音が聞こえた。
 それは間違いなく、柚巴のものだろう。
 ……きっと、泣いている。
 神に戻ってから、これで二度、柚巴の前に現れた。
 普通なら、そこから、これが今生の別れではないということくらいわかるはずなのに……。
 それでも、柚巴は、多紀と別れたくないと泣いてくれるのか?
 やはり、この少女に加護を与えてよかった……。
 多紀は、柚巴に背を向けたまま、はあと大きく一つ息をはきだした。
 そして、肩をすくめ、あきらめたように振り返る。
「泣かないで。俺はいつでも、君を見守っているから」
 そうささやいて、ぽんと柚巴の頭に手をおく。
 そして、にこりと微笑む。
 そのような多紀を、柚巴はやはり、すがるように見つめてくる。うるむその目で。
 まっすぐに、もう少しだけでいいから、お話ししよう?と。
 本当は、もう少しだけでいいはずがないのに。
 ぽろぽろあふれ出してきた柚巴の涙に、多紀は肩をすくめる。
 そうして、頭に手をおいたままのかたちで、智神・タキーシャは姿を消していった。
 この闇の空に溶け込むように。
 瞬間、小さな嗚咽がもれる。
 そして、がばっと世凪の胸に顔をおしつける柚巴。
 ……どうやら、あの時の感情が思い出され、込みあがってきたらしい。
 そう。はじめての多紀との別れ。
 あの時は、本当に、もう二度と会えないと思っていた。
 多紀は異世界の神で、柚巴は普通の人間……。
 見守っているなんてそんな言葉はいらないから、ずっとずっと、可能な限り、そばにいて欲しい。
 大切な友達だから――
 胸で華奢な肩を小さく震わせる柚巴を、世凪はもう少しだけ力をこめ、きゅっと抱きしめる。
「いつも突然現れ、いいところをさらって去っていくな。あいつは」
 そう思いの丈すべてを込め、世凪はにくらしげにはき捨てる。
 別に、それでもかまわない。
 むしろ、二度と柚巴の前に現れてなど欲しくない。
 ……しかし、それでは、柚巴が悲しむから、だから……。
 不本意だけれど、もう少しくらいなら、柚巴とともにいてやって欲しかった。
 もう少しくらいなら、我慢できるから。見逃せるから。
 だけど、相手は、世凪も知っているように、神。
 神は、きまぐれな存在。
 悲しませるとわかっていて、また柚巴の前に現れた。
 なんて憎らしい存在なのだろう。
 苦しそうに顔をゆがめ、世凪は柚巴を抱く腕にもう少しだけ力を加える。
 それを見ていた紗霧羅が、困ったように微笑む。
 莱牙もだけれど……この王子様も、時折、見ていると切なくなる。
 どうしてそうも、悲しいまでに誰かを愛することができるのだろうか。
 苦しいなら、やめてしまえばいいのに。
 それでも、その苦しみを選んでしまう。
 苦しくても、その思いを手放すことは選ばない。
「大丈夫だよ。そうは言っても、柚巴はちゃんと、あんたがいちばん好きだから」
 思わず、心にもないけれど、そうなぐさめてしまう。
 それは、すぐ近くにいる莱牙にとっては、酷な言葉だと承知しているけれど……。
 今は、その莱牙以上に、苦しんでいるように見えるから。
 このムカつく俺様王子様が。
「ふんっ。そんなこと、当然だろう」
 やはり、素直じゃない俺様王子様は、そうはき捨てた。
 その顔が、ほんの少し、てれたように赤くなっていることには……絶対に触れてはいけないだろう。
 地雷を踏んでしまうから。
「それじゃあ、そろそろ戻るか」
 ふんぞり返り、莱牙がそう言った。
 それに、紗霧羅は一瞬驚いたように莱牙を見たけれど、その顔はすぐにほころぶ。
 そして、「そうだね」と言いながら、すっと莱牙へとよっていく。
 莱牙のすぐ下では、莱牙のマントをつかみ、華久夜がじいと紗霧羅を見上げている。
 その頭をくしゃりとひとなでして、ひょいっと抱き上げる。
 それに、当然のことながら、華久夜はじたばたと抵抗するけれど、それはすぐにやみ、きゅっと紗霧羅の首に腕をまわし、抱きついていた。
 華久夜にも、わかっているらしい。ちゃんと。
 今、莱牙が抱くその思い。
 そして、紗霧羅が抱くその思い。
 どうにかしたいけれど、華久夜ではどうにもできなくて……。
 悔しくって、紗霧羅にひっしと抱きつく。
 それから、誰からともなく視線を絡ませあい、この山のふもとへと視線を移す。
 その時だった。
「やはり欲しいです! あなたが! なんという素晴らしい力だ!!」
 (くう)を切るようなそんな叫び声が聞こえたかと思うと、世凪の腕の中から柚巴の姿が消えていた。
 そして、さらに上空を見上げると、そこには、柚巴を抱き寄せる覇夢赦の姿があった。
 覇夢赦の腕の中、柚巴は苦しそうに顔をゆがめている。
 それを見て、世凪は舌打ちする。
 どうやら、油断してしまっていたようである。
 まさか、こんなに簡単に、その腕の中から柚巴を奪われてしまうとは。
 誰でもない、自分に対する怒りがこみ上げてくる。
「柚巴……!!」
 誰ともなく、そこにいる誰もが、柚巴の名を呼び叫んでいた。
 それと同時に、もうそこには、柚巴の姿も覇夢赦の姿もなかった。
 どうやら、してやられてしまったらしい。
 瞬間移動で、柚巴を連れ去られてしまった。
「くそっ……!!」
 はき捨てると同時に、世凪の体からぼわっと炎が立ちのぼっていた。
 ……王子様、完全にぶっち切れ。
「おい! 唖呂唖。お前、覇夢赦の行きそうなと――」
 すぐ近くにいるはずの唖呂唖に向かい、世凪がそう叫ぶ。
 しかし、振り向いたそこには、唖呂唖の姿はなかった。
 続けてあたりを見まわしても……やはり、どこにも唖呂唖の姿はない。
 それに違和感と訝しさを覚え、世凪は顔をゆがめる。
「あいつ……?」
 同時に、誰もが胸に嫌な予感を抱く。
 何故、唖呂唖は何も言わず、消えたのか……?


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update:05/08/20