鳥かごの姫君
(3)

 柚巴の頭の中は、真っ白になる。
 同時に、この部屋一帯に、ばちんと大きな音が鳴り響く。
 それのためか、きーんと耳鳴りがしたかと思うと、気づけば、覇夢赦は、柚巴を解放し、床にひざまずいていた。
 そこを負傷しているのか、今まで柚巴を抱いていた左腕をおさえている。
 それに気づいた柚巴に、覇夢赦はにやりと不気味な笑みを浮かべる。
「どうやら、わたしは完全に嫌われてしまったようですね」
 その笑みを受け、柚巴の体が余計にがくがくと震えだしてしまった。
 とても恐ろしく、おぞましく、見えてしまったから。
 得たいの知れない恐怖が、柚巴に押し寄せてくる。
 しかし、次の瞬間、再び柚巴の目に、息絶え絶えに床に転がる唖呂唖の姿が飛び込んできた。
 瀕死のその状態で、唖呂唖は自分を貫き、ひっかかったままの楔を引き抜いている。
 引き抜くと同時に、勢いよく真っ赤な液体があふれ出してきた。
 それを目撃してしまい、柚巴は一瞬気を失う。
 ぐらりと、体がよろける。
 それでも次の瞬間には、もう気を取り戻していて、果敢にも、おびただしい赤い海へと歩み寄り、そしてしゃがみこんだ。
 ふわりと、真っ赤に染まる唖呂唖を抱きしめる。
 そして、ようやく立ち上がってきた覇夢赦をきっとにらみつける。
「あなたの思い通りになんてならない。……そして、彼も死なない。――それが、わたしの答えよ」
 きっぱりとそう言い放った。
 その時だった。
 なだれ込むように、この部屋に世凪たちが姿を現した。
 それにはっとなり、覇夢赦は憎らしげに舌打ちする。
 さすがに、こんな大人数を相手にしては、この瀕死の唖呂唖のようにはいかない。
 ましてや、そこに世凪がいては。
 やってきた世凪に、一瞬驚きの色を見せ、しかしそのまま柚巴はすいっと視線をそらした。
 そして、唖呂唖に視線を移す。
 世凪たちも、さすがに、今柚巴が抱きしめるその男を見て、絶句してしまった。
 それではもう助からないということを、瞬時に悟ってしまったから。
 よくこの状況で、そんな男を抱きしめられるものだと、柚巴のその強靭な精神力にも絶句していたかもしれない。
 一体、どこに、この状況をたえられるだけの気力が眠っていたのだろうか。
 その小さな体には、心には、負担が大きすぎる。
 一つ間違えば、正気を失いすらしそうなものなのに……。
 華久夜などは、それを見た瞬間、ふらりと気を失ってしまったというのに。
 かろうじて紗霧羅に支えられて。
「ゆ、柚……巴……」
 めまいを覚えるその頭で、世凪は柚巴の名を呼ぶ。
 今柚巴が抱いているであろう苦しみを思うと、世凪とて普通ではいられなくなる。
 世凪だって、暴れん坊だけれど、決して血が好きなわけではない。
 しかし、柚巴はそれに答えようとはせず、ただひたすらに唖呂唖を抱きしめている。
 ……壊れてしまった?
 ふっと、頭にそんな言葉がよぎった。
 恐らく、柚巴は、唖呂唖がこのような状態に陥るまでのその過程を目にしているはずだ。
 それがどれほど凄惨なものだったか……。
 想像に易い。
 なんということになってしまったのか。
 強靭な精神力などでなく、きっと……耐え切れなく、壊れてしまった。
 そうに違いない。
 そう思った瞬間、世凪の頭は真っ白になる。
 使い魔たちも、目の当たりにしてしまったその光景に、思わずすっと視線をそらしてしまう。
 その時だった。
 唖呂唖を抱きしめる柚巴の体全てから、また、あの桃色の優しい光があふれだしてきた。
 そして、それが、柚巴から唖呂唖へと伝わり、包み込んでいく。
 そこから、光の粒が飛び散り、柚巴と唖呂唖の中へと再び戻ってくる。
 とても綺麗なもののように見えた。
 まるで、夜空に輝く大輪の花のように、広がり、消えていくような……。
 しばらくの間、我を忘れ、その光景に見入ってしまった。
 そして、次第に柚巴と唖呂唖を包み込んでいた優しい光は消えていき、そこには、柚巴と柚巴に抱きしめられる唖呂唖だけが残っていた。
 とじられていた唖呂唖の目が、ふっと開く。
 そのままその目は、すぐに柚巴の姿をとらえた。
「お……姫さん……?」
 目を開き、いちばんはじめにとびこんできたその少女の呼び名をつぶやく。
 瞬間、唖呂唖を抱く柚巴が、がくんとくずれるようにたおれていく。
 それを、慌てて体をよじり、唖呂唖はどうにか抱きとめる。
「え? ちょっ……お姫さん!?」
 辛うじて抱きとめた自分の中の柚巴に向かい、唖呂唖はしきりに首をかしげる。
 一体、何がどうなっているのかわからない。
 そう思った次の瞬間、唖呂唖の腕の中から、柚巴の姿がかき消えた。
 ふと思い当たり、ゆっくりと顔を上げていくと……そこには、愛しそうに柚巴を抱く世凪の姿があった。
 世凪の腕の中、柚巴は気を失っているように見える。
 その光景を、唖呂唖はぽかんと見つめる。
 やはり、何がどうなっているのか……わからない。
「……まったく、むちゃをするからだ。疲れて寝ている」
 はあと呆れたようなため息をもらし、世凪は優しく目を細めていく。
 愛しそうに、きゅっと柚巴を抱きしめて。
 柚巴を見つめるその目は、とてもまぶしいものを見るようだった。
 その横では、紗霧羅が、気を失ったままの華久夜を抱え、「柚巴らしいな」とくすくすと笑っている。
 もちろん、囲むように、使い魔たちも、妙に優しげに微笑み、眠る柚巴を見つめている。
 やってきた莱牙に華久夜を渡しながら、紗霧羅は莱牙の肩に肘を置き、やはりくすくすと笑っている。
 それで、何故だか、唖呂唖には、すべてがわかってしまったような気がした。
 恐らく、この眠れる姫君が、唖呂唖を救ってくれたのだろう。
 たしかに、意識があった少し前までは、不覚にも覇夢赦にやられ、死にかけていたはずだから……。
 これが、噂の、少女が起こす奇跡というもの……?
 あの、矢を放った時に少女に感じた神々しさは、気のせいなどではなかった。
 この少女は、その小さな体に、一体、どれだけの不思議を隠し持っているのだろう。
 ――誰もが、欲しがるはずだ。その少女を……。
 愛されるはずだ。その少女は……。
 何しろ、その体中から、愛があふれ出しているようだから。
 ふうと小さく息をもらし、唖呂唖はふいっと一度首を横にふった。
 それはまるで、何かを吹っ切るように。


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update:05/08/29