天駆ける一角獣
(3)

 うっすらと視界に入ってくる、ほのかな明かり。
 体のあちこちが、ぎしぎしと痛い。
 何か、冷たくて硬いものの上に寝ているような、そんな感覚。
 あけた目にいちばんはじめに飛び込んできたものは、ゆらゆらとゆれる、炎。
 ろうそく一本が、うごめくように揺れている。
「……?」
 目はひらいているけれど、まだ意識は朦朧(もうろう)としたまま。
 一体、柚巴は今、どうなっているのだろうか?
 それに、この体に感じる痛みは……?
 そんなことをぼんやりと考えていると、視界にふと、この世で最も見たくない男の顔が飛び込んできた。
「ようやく目を覚ましたか」
 そして、多少馬鹿にしたようにもらされるその言葉。
 それで、柚巴はようやく、今の状況を理解する。
 がばっと起き上がり、ざざっと体を後退させる。
 今、目に飛び込んできたこの男から、少しでも遠く逃れるために。
 しかし、それに合わせ、男もゆったりと柚巴に近づいてくる。
 がたがたと、体が勝手にふるえはじめる。
 どうして、何故、この男がそばによるだけで、こんなに体がふるえるのだろう。
 得たいの知れない恐怖を、この男には感じてしまう。
 ぴちょんと、水滴が落ちたような音が、どこかでした。
 それが妙に大きく聞こえる。
 同時に、さらなる恐怖を運んでくる。
「……ここは、死の神殿。またの名を、以前わたしがお前に言った、禁断の部屋……」
 そう言って、後退しつづける柚巴を追いかけてくる。
 神殿といっても、よく見ると、これは、まるで教会の礼拝堂のような造りになっている。
 ちょうど柚巴たちがいるここは、祭壇のようで……。
 両手をつき、柚巴も必死で這うように逃げる。
 その時、ふいにがくんと体が落ちる感覚に襲われた。
 しかし、次の瞬間には、覇夢赦の腕の中に抱きすくめられてしまっていた。
「ほら、危ない。あやうく落ちるところだったぞ」
 妙に艶かしくそう言って、ふわりと柚巴の髪をすいていく。
 ぞくりと、冷たいものが柚巴の中を駆け抜ける。
 見れば、たしかに、すぐ後ろには地面がない。
 というよりは、今、柚巴がいるここが台のようなものになっている。
 石を四角く削りとった、台。祭壇……。
「これは、石の寝台。(にえ)を捧げる台だ」
 その台の正体がわからずおかしな顔をする柚巴の耳元で、そうささやかれた。
「しかし、案ずるな。決して、お前を贄にするつもりはない。――むしろ……」
 再びそうささやき、ふいっと柚巴を抱く腕から力を抜く。
 そして、強引に台に再び柚巴を寝かせる。
 両手をがっちりととらえ、そこにはりつける。
 冷たくて硬い石に、両手がぬいつけられてしまった。
 そして、覆いかぶさるように柚巴を見下ろしてくる。
「……な、何をするつもり!? 覇夢赦王……!」
 がちがちと震える唇で、それだけをどうにか紡ぎ出す。
 一体、覇夢赦は、こんなところへ柚巴をつれてきて、何をするつもりというのだろうか?
 たしか、協力しろ……そのようなことを言っていたけれど……。
 この雰囲気は、どうもそれとは違うような気がする。
 どこか……艶かしい色をたたえるその目を見ていると、絶望の果てのような、そんな恐怖が柚巴に襲い来る。
 そのような柚巴を見て、覇夢赦はふっと目を細め、にやりと微笑む。
「……だから、わたしのものになりなさいと言ったでしょう?」
 そう言って、するりと柚巴の頬に唇を寄せる。
 さらに、柚巴の体は、がくがくと震えだす。
 鈍い柚巴にも、さすがに、また違った恐怖を予感させる。
 息を吹きかけるように、不気味にささやいた。
「……わたしの、后になりなさい」
 そうして、柚巴の首筋に口づけを落としてくる。
 柚巴の顔に、覇夢赦の黒い髪が触れる。
 覇夢赦の目が、あやしく輝く。
 最悪なことに、あの違った恐怖の予感が的中してしまったよう。
 この男は、純粋に、柚巴を利用することだけを目的にしていたのではなかった。
 今はじめてそのことに気づき、再び絶望の果てのような恐怖が襲ってくる。
 瞬間、この部屋一帯に、柚巴の断末魔に似た絶叫がとどろく。
「い、いやあーっ!!」


 闇の空に、薄ぼんやりと浮かび上がる白い陰。
 それが、この神殿の上空を回旋し、降りてくる。
 まるで、光の如く速さで駆け降りてくる。
 その白い光の正体は……?


 今、覇夢赦のその目に映るものは、あらわになった白い肌。
 先ほど、血まみれになった男を抱きしめ、その血で汚れていたけれど、どうやらそれは、覇夢赦によってきれいにぬぐわれていたらしい。
 ぬぐうというよりは、その力をもって、汚れる前の状態に戻したといった方が正しいかもしれないけれど。
 限夢人もそうであるように、比礼人も、一体どこまでその不思議を柚巴に見せつけてくれるのだろう。
「……きれいですね。一目見た時から……触ってみたいと思っていたのですよ」
 そうささやき、首から鎖骨にかけて、その手がいやらしくなでていく。
 同時に、柚巴の体は、びくんびくんと反応し、体いっぱいで嫌悪感を表現する。
 それにかまわず、覇夢赦は執拗に柚巴の髪を指にからませたり、頬をなでたりと……世凪が見れば、血眼になって、即刻地獄に落とすようなことをしている。
 柚巴は、恐怖のあまり、もう声が出ない。
 シャツのボタンは二つ目まではずされ、好き放題覇夢赦に触られている。
 微々たる抵抗すらできず、ただただ泣くだけ。
 こんな自分、知らない。
 こんなこと、知らない。
 柚巴の頭の中が、ぐるぐると恐怖でうずまく。
 そして、もう一つ、ボタンにその手がかけられた。
 それ以上されては、さすがに……気を失ってしまうかもしれない。
 もう抑えきれない恐怖と戦っているというのに、それ以上の恐怖をさらに与えるというのか?
 その時だった。
 リン……と、どこからともなく、鈴の音のようなものが聞こえてきた。
 それと同時に、柚巴と、柚巴に触れる覇夢赦に、星屑のような光が降り注ぐ。
 そうかと思うと、今度は、真っ赤に燃える炎が、覇夢赦めがけて飛んできた。
 よく見れば、それは松明。
 それにはっと気づき、乱暴にはらいのける。
 ごろんと、床に松明が転がり落ちた。
「出て来い!!」
 それに気を払う様子すらなく、憎らしげに天井に向かって叫ぶ。
 すると、また、リン……という音色がして、神殿の天井に真っ白い動物が現れた。
 闇に、白い光が、ぼんやりと浮かび上がる。
 その光に照らされ、天井のフレスコ画がその姿を現した。
 今まで気づかなかった、その不気味な絵。
 それは恐らく……この世界の神でも描いているのだろうか?
 人を食らう獣が描かれている。
 ……そういえば、ここは、死の神殿≠ニ、そう呼ばれていた……。
 では、それは、死の神?
「お望み通り、出てきてやったよ。その汚い手を柚巴からはなすのだな」
 真っ白く浮かび上がる動物から、聞きなれた声が聞こえてきた。
 その声に、ぴくりと柚巴が反応する。
 当然、覇夢赦も顔をゆがめることになる。
 何しろ、その声は……あの憎らしい男。
 今、腕に抱く少女の移り香の相手。
「世凪……!!」
 奥歯をかみくだかんばかりの勢いで、覇夢赦がにくらしげに叫ぶ。
 それと同時に、天井付近にとどまっていたその白い動物が、柚巴と覇夢赦の前へすうっと降り立ってきた。
 よく見れば、その白い動物の上に、世凪が乗っている。
 真っ赤な髪と真っ黒いマントをなびかせて。
 そして、その白い動物は……一角獣。
 その目は、深く深く澄んだ海の色。
 母親のように慈悲深い、優しい牝馬。
 ゆれるそのたてがみから、星屑が流れて美しく輝いている。
 その星屑が、互いにぶつかり合い、リン……という音を奏でてくる。
 どうやら、先ほどからしているあの鈴のような音色は、これだったらしい。
 これが、あの時、世凪と紗霧羅が言っていた、世凪の愛馬、ユニコーン……。
 覇夢赦にとらえられたままの柚巴をその目にし、世凪は小さく舌打ちをした。
 そして、すうっとその手に氷の刃をつくる。
 それで、覇夢赦と闘おうというのか?
 と思い、怪訝に見ていると……残されたもう一方の手で、おもむろに、自らの真っ赤な髪を一つに束ねつかみとった。
 そして、ざしゅっと一気にその髪の束を切り落とした。
 一体、何事かと目を見張っていると、今度は手に持つその髪に、ふうと息を吹きかける。
 瞬間、その髪は姿を変えた。
 赤く燃える火の鳥となり、覇夢赦めがけて飛んでいく。
 さすがに、それには覇夢赦もたじろいでしまったのか、思わず、柚巴を抱き寄せるその腕をはなしてしまった。
 そして、両手で、火の鳥をはらいのけようともがく。
 それでも、火の鳥はひるまずに、覇夢赦へと攻撃をしかけていく。
「柚巴、来い!!」
 その隙をつき、一角獣の上から、世凪が柚巴に手をさしのべてくる。
 それにはじかれるように、柚巴も世凪へと手をのばす。
 そして、二人の手が重ねられると同時に、柚巴の体は宙を舞い、まっすぐに世凪の腕の中へと落ちていった。
「世凪……!!」
 ぎゅうと、世凪の胸に柚巴が抱きつく。
 そしてそこで、ぐすぐすと泣きはじめてしまった。
 懸命にこらえていたものが、一気に駆け上ってきたようである。
 まるで、堰が崩れたように。
 この最も安心できる場所を、再び取り戻して。
 そのような柚巴の背を一度かるくさすり、世凪は一角獣の名を呼ぶ。
「グローリア!」
 鳴き声も上げず、一角獣は首を一度縦にゆすった。
 ――グローリア。
 それは、勝利の女神の名。
 うなずくと同時に、一角獣は、ふぁさりとたてがみをゆらし、すうっと舞い上がる。
 そして、不気味なフレスコ画を背にし、いまだ放った火の鳥と攻防戦を繰り広げている覇夢赦を、世凪は冷たい眼差しで見下ろす。
「世凪! 世凪、世凪〜……」
 しかしすぐに、柚巴のすがるように世凪の名を呼ぶその声に、視線をそらされることになってしまった。
 世凪の胸の中で、変わらず柚巴はその小さな体をふるわせ、泣いている。
 そのような柚巴に、世凪は眉尻を下げ、ふわりと優しい微笑みを落とす。
 くいっと柚巴の顔をあげ、そこに求めるように唇を重ねた。
 もう、大丈夫だ……と。
 そして再び、絶対零度のにらみを覇夢赦へと入れる。
 覇夢赦のまわりには、世凪の切られた真っ赤な髪が、無残に散らばっていた。
 どうやら、世凪のかけた幻惑の術は、破られてしまったらしい。
 世凪はまた、舌打ちをした。


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update:05/09/14