神が告げる凶兆
(2)

「な、な……っ!?」
 紗霧羅は、目を見開き、すぐ横でひらひらと宙に浮くその男を見つめる。
 金のような銀のような不思議な色合いの髪が、さらさらとゆれている。
 やはり、その姿にも、嫌というほど見覚えがある。
「どうしてお前が現れる!?」
 ぎょっとそれを見つめていると、ふいにそんな叫び声が上がった。
 続けて、訝しげな声も聞こえて来る。
「そうよ。柚巴は、今はいないわよ。人間界よ?」
 その声にはっと我に返り、紗霧羅はがばっと立ち上がる。
 そして、目の前のその不思議な姿をした男を、改めてにらみつける。
 この男は、油断ならないと知っているから。
「うん。知っているよ。今日は、柚巴ちゃんじゃなくて、君たちに用があってきたのだよ」
 三者三様の招かざる客を見るような視線をさらっと流し、その男はにっこりと微笑む。
 その姿は、どこからどう見ても、不愉快な男……神、智神・タキーシャ。
 柚巴に加護を与えた、今も柚巴の心にすみ続ける、おもしろくない男。
 それに加え、神出鬼没で、いいとこどりばかりする、にくい奴。
 気づけば、紗霧羅がとめにはいるはいらない以前に、莱牙と華久夜の兄妹喧嘩は終わっていた。
 屋敷の四分の一ほどを破壊して。
 ……そう思うと、この男の存在は、そこにいるだけで、誰もとめられなかった兄妹喧嘩をとめられるのだから、貴重といえるかもしれない。
「……な〜んか、胡散臭い神様だよな。あんた、もう二度と会えないようなことを言っておいて、結局、何度も何度も、うんざりするくらい、柚巴の前に現れるよな」
 けっとはき捨てるように、心からの本音をさしあげる。
「紗霧羅姐さんは、手痛いね」
 しかし、そんなもので、この神様がひるむはずはなく、くすくすと笑いながらそう切りかえしてくる。
 しかもその態度、超特大級にひょうひょう。
 人間であった頃からとまったくかわらない、どこか腹立たしいその態度。
 智神・タキーシャとは、もともとそういう奴らしい。
 智神・タキーシャだと告げられた時もそうだったけれど、どうにもこの男はどこか胡散臭い。
 言っていることが、ころころかわる。
 そして何より……いつも、いいところをもっていかれているような気がしてならない。
 あれだけ柚巴を悲しませておいて、自分は都合のいい時だけ現れて。
 本来、神とは、そう簡単に姿を現すものではないはずなのでは……?
 どうもこの神は、人間くさくて仕方がない。
 いくら、十数年、人間として暮らしていたといっても。
「だって事実だろう?」
 ふわふわと、どこか腹立たしく宙に浮く智神・タキーシャをにらみつける。
 一応神に、そういう態度をとれる紗霧羅は、ある意味つわものかもしれない。
 ……いや。紗霧羅だけでなく――
「う〜ん。俺は、柚巴ちゃんに、加護を与えているからね」
「また、そうやって誤魔化すのか」
 あっけらかんと言い放つ智神・タキーシャを、莱牙もじろりとにらみつける。
 多紀が智神・タキーシャであると知らされた時は、面食らったが……。
 どうにも、その後にも、頻繁に姿を現すこの神には、畏敬の念だとか畏怖の念だとか、そういうものはまったく感じない。
 むしろ、腹立たしい。ムカつく。
 そんなに簡単に人前に現れるのなら、普段から、そこにいればいいのに。
 そうすれば、柚巴があれほど悲しむことは、苦しむことは、なかっただろう。
 二度と会えないようなことをいって、柚巴を悲しませ、気をひいて……。
 自分は、したい放題している。
 こんな自分勝手な神なんて、神だとは認めてやりたくない。
「……くす。どうやら、莱牙さまは誤魔化せないようだね」
 莱牙の言葉に、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに無駄にさわやかな微笑みを浮かべる。
 それが、やはり、胡散臭くてどうにも仕方がない。
 恐らく、紗霧羅や莱牙だけでなく、使い魔の誰もが、この神は油断ならなくて胡散臭いと思っていることだろう。
「やめろ、その呼び方は。虫唾がはしる」
 智神・タキーシャは、莱牙のその言葉にも、にこにこと、まるで嘲笑らわれているように相手に思わせる笑みをうかべる。
「柚巴ちゃんの真似をしてみただけなのにな〜」
 やっぱり相手を馬鹿にしているとしか思えない、そんな言葉をそえて。
 瞬間、ぶっちんととてもすてきな音が響いたことには、触れてはいけないだろう。
「貴様! 喧嘩を売りにきたのか!? ならば、買ってやらんこともないがな」
 へらっと笑う智神・タキーシャの胸倉をぐいっとつかみ、目線より少し上のそこからひきずりおろしてくる。
 普通ならば、神を神とも思わぬこのような所業をしては、神罰が下ろうものだけれど……。
 どうやら、この神は、神罰を下す気などさらさらないらしい。
 それよりも、もっと楽しいことを知っているから。
 何がそんなにおかしいのか、くすくすと楽しそうに笑い声をあげる。
 やはり、もと≠ェ、あのつかみどころのない多紀である。
 ……いや。そうではなくて、智神・タキーシャがもともとこういう性格だから、人間の多紀にもその影響がでていたといったところだろうか。
 とにかく、どちらがどちらでもそんなことはかまわない。
 この男が、とてつもなく腹立たしいという事実にかわりはないから。
 智神・タキーシャの胸倉をつかむ手に、ぎゅうっと力がこもる。無意識のうちに。
「もう。ちょっと落ち着きなさいよ、二人とも。……それで、智神・タキーシャ。わたしたちに用とは何なのかしら?」
 莱牙と智神・タキーシャの間に、ぐいっとわり込み、つんとあごをあげてみせる。
 さすがは、怖いもの知らずのお姫様、華久夜。
 相手が神であろうが何であろうがおかまいなし。
 ……まあ、それは華久夜だけではないようだけれど。
 例えば、胸倉をつかんじゃう莱牙とか、嫌味を言っちゃう紗霧羅とか。
 莱牙につかまれ少し乱れた胸元を整えながら、それでもやっぱりひょうひょうと智神・タキーシャは振る舞う。
 ちらり……と、多少嫌味っぽく莱牙に視線を流しつつ。
 その目は、「せっかくの衣装が、くしゃくしゃになっちゃったじゃないか」と、どこか論点のずれたことを訴えていることは、あえて流しておいた方がいいはず。
 どうにもこの神は、あくまで神らしくない。
 とりあえず胸元を整え終わり、智神・タキーシャは、それまでとは異なり、ふっと険しい表情を浮かべた。
 同時に、ぴりっと、その場の空気にまでも緊張がはしる。
 それに気づいた莱牙も華久夜も紗霧羅も、それまでの冗談半分おふざけモードから、緊迫モードに切りかえる。
 彼らにも、そういう分別くらいはある。
 じいっとまっすぐに、智神・タキーシャを見つめる。
 すると、智神・タキーシャも、三人を見つめ返した。
 妙に真剣な眼差しで。
「……ああ。実は――」


「あの男、一体、何をたくらんでいるのだ?」
 智神・タキーシャが消えた半壊の部屋で、莱牙が苦々しげにそうつぶやいた。
 その横には、眉根を寄せ、何かを難しそうに考え込む紗霧羅がいる。
 無残に破壊された窓で、ひらひらとゆれるレースのカーテンを見つめている。
「たくらんでいる、というよりは、何かを隠している、という感じだな」
 目の前でうっとうしくゆれているカーテンを、はしっとつかむ。
 そして、一気にひっぱりとる。
 カーテンのなくなった窓の外は、もうすっかり暗くなっていた。
 空には、ぽっかりと赤い月が浮かんでいる。
「ねえ。これから、どうなっちゃうのかしら?」
 そんな紗霧羅の服のそでをきゅっとつかみ、華久夜は不安げにつぶやいた。
 夜風が、紗霧羅の手の中から、カーテンをさらっていく。
 浮かぶこの赤い月が、とりとめのない恐怖をはこんでくる。
 それは、凶兆のような気がして。
 得たいの知れない不安が、押し寄せてくる。
 先ほど、智神・タキーシャに告げられたその事実が、余計にそう思わせる。
 智神・タキーシャが、莱牙たち三人に告げたそれは――


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update:05/11/26