忍び寄る異変
(1)

 空には、ぽっかりと月が浮かんでいる。
 もうすぐクリスマス前のこの時期。
 そろそろ、ちらちらと雪が降ってきてもおかしくない。
 雲ひとつない、冬の夜空。
 その空の(もと)、あたたかにあわい光を放つこの屋敷。
「え? どうして、ここに莱牙さまと紗霧羅ちゃんがきているの?」
 今ぬいだばかりのコートを、竜桐と取り合いながら、柚巴がきょとんと首をかしげる。
 自分で自分のコートくらいハンガーにかけられると言っているにもかかわらず、竜桐はどうにも柚巴の世話をやきたいらしい。
 柚巴の目の前には、ソファにふんぞりかえる莱牙と、その横でコーヒーをすすっている紗霧羅がいる。
 もうずいぶん前から、そこでそうして待っているのか、莱牙にいたっては、少し不機嫌そうでもある。
 ――まあ、普段から、不機嫌そうじゃないのか?と聞かれれば、否定はできないけれど――
 そんな莱牙と紗霧羅に気をとられた瞬間、柚巴の手の中から、すっぽりとコートが奪い取られてしまった。
 どうやら、今回も、柚巴の敗北が決定してしまったよう。
 満足げに、竜桐が笑む。
 近頃、何かといっては、竜桐は柚巴の世話をやきたがる。
 過保護といっても過言ではないほど。
 きっとそれは、多分に、このすぐ横にいる王子様が影響しているのだろうけれど。
 この分だと、永遠に、王子様は、柚巴のお相手として、認めてはもらえない恐れがあるかもしれない。
 本当に柚巴には、お父さん≠ェたくさんいて困る。
 そんなお父さんから、柚巴のコートを、不機嫌に世凪が奪い取る。
 すると、お父さんは、静かな怒りのオーラを発し、「これは、わたしの仕事です」と、一体、いつそんな仕事ができたのか、そう言って、世凪の手から柚巴のコートを取り返す。
 そうかと思うと、また世凪が……。
 と、永遠に終わりそうにないその何の実りもない奪い合いを、さっさと放置して、柚巴は、とてとてと莱牙と紗霧羅のもとまで歩いていく。
 この二人にかかわっていては、日が暮れて、また日が昇ってきてしまいかねないから。
 そうやって、柚巴にふられたにもかかわらず、やっぱり二人は、必死にコートの奪い合いを繰り返している。
 それを、呆れたように眺めているのは、由岐耶で……。
 この王子様一人いるだけで、すべての者の調子が狂わされてしまいそう。
 やってきた柚巴をひょいっと抱き寄せ、紗霧羅はその腕の中におさめる。
 ここしばらく、どこかの王子様に独り占めされて、ぬくもりを堪能できなかったから、その時間をうめるように。
 そんな紗霧羅を、少しうらやましそうにちらりと見て、莱牙は不遜に答える。
「実は、今朝、我々のところに、智神・タキーシャが現れてな……」
「多紀くんが!?」
 莱牙のその唐突な言葉を聞いた瞬間、柚巴は、抱きしめる紗霧羅をぐいっとおしのけ、莱牙に身をのりだしていた。
 それに、とってもおもしろくない表情を浮かべる紗霧羅姐さん。
 ……無理もない。
 ようやく、世凪から柚巴を奪い返したというのに、その瞬間、その柚巴にふられてしまったのだから。
 まったくもって、莱牙もなんてタイミング悪く、唐突なことを言ってくれたのだろう。
「でも、どうして?」
 紗霧羅がふられたのを見て、莱牙は内心、ちょっぴり意地悪く笑む。
 莱牙はこんなに我慢しているのに、紗霧羅一人おいしい思いをしているのが、やはりおもしろくなかったよう。
 本当に、どうして、こうもそろいもそろって、みんな柚巴に目がないのだろうか。
「柚巴、落ち着いて」
 身をのりだす柚巴を、紗霧羅は再びぐいっと抱き寄せ、膝の上に座らせる。
 まるで、こどもをあやすように。
 それに、柚巴も、少しおもしろくなさそうに頬をふくらませる。
 しかし、今は、そんなことにかまっていられないと思ったのか、すぐに莱牙へと真剣な眼差しを向けた。
 それにこたえるように、莱牙もまた、まっすぐに柚巴を見つめてくる。
 別に急ぐ必要もないけれど、しかし、本題をはやくすませてしまいたい。
 その後に、久しぶりの柚巴と、何気ない世間話をして、くつろぎたいから。
 そんなことを、心のすみっこの方で思いながら。
 ――しかし、本当にそう上手くいくかどうかはなはだあやしいと、莱牙はまだ気づいていない。
 急に雰囲気をころっと変えてしまった三人に、そこにいた使い魔たちも、意識を向ける。
 無意味なコート奪い合いを繰り広げていた世凪と竜桐も同様に。
 使い魔たちの視線が、莱牙に集中する。
「柚巴に……危険が迫っているから気をつけろと、忠告していった」
 ふうっと大きく息をはき、おもしろくなさそうに言い捨てる。
 あの男が告げたことを、わざわざ伝えてやる義理はないとも思ったけれど……。
 事が柚巴にかかわるというので、仕方なく伝えにやってきた。
 なんだか、あの男の言葉に動かされているのが、とてもおもしろくないけれど。
 それでもやはり、柚巴の安全にはかえられない。
 そして、こうやって、理由をつけて、柚巴に堂々と会いに来れる。
 柚巴の使い魔だっていうのに、どこかの王子様に邪魔されて、まったくそれらしいことをさせてもらえない。
 常にそばにいて、見守っていたいのに……。
 そんな使い魔らしいことを、あの王子様は許してくれない。
 何やかやと、柚巴の使い魔たちを遠ざけたがる。
 もともとは、この王子様から柚巴を守るために、使い魔になったはずなのに……。
 一体、どこをどう間違って、その王子様に独り占めされてしまっているのか。
 本当、人生ってものは、どうころぶかわからない。
 少し目をはなしたすきに、油断したすきに、一八〇度、まったく違うことになってしまっているのだから。
「危険? 何、それ?」
「それはわからん。あの男、それだけを言って、消えやがったのだ」
 難しそうに顔を曇らせ、柚巴が首をかしげてくる。
 ちょこんと紗霧羅の膝の上にすわらされ、視線は莱牙に向けられて。
 その仕草が、かわいいと思う。
 同時に、柚巴を抱き寄せたい衝動にかられてしまう。
 しかし、そんなことは、おくびにも出さず、莱牙はいたってぞんざいに振る舞う。
 そうしなければ、柚巴のすぐ近くのこの場所まで、奪われてしまいかねないから。
 ……ほら。目の前で、やきもちオーラをびんびんに放っている、王子様がいるから。
 どうしてこの男は、柚巴を自分だけのものと決めて、疑わないのだろう。
 その自信、もっと別のところに使えば、より平和になるだろうに。
 ――それにしても、柚巴も、ここまで束縛されて、疲れはしないのだろうか?
 それは、無駄な心配なのだろうけれど。


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update:06/01/26