比礼の謎
(1)

 限夢宮、呪術部屋。
 この部屋に、件の薄布が保管されている。
 薄暗く、湿気くさい廊下をずっと奥にいくと、その部屋はある。
 少し開かれた扉の隙間から、ぼんやりと橙色の灯りがもれている。
 ……やはり、あの男は、そこにいるよう。
「幻撞。入るぞ」
 少しの隙間に手をすべりこませ、そのまま乱暴に扉を開け広げる。
 その衝撃で、ぱらぱら……と、数粒、天井が崩れて砂粒が落ちてくる。
 それに一瞬眉をよせ、そのままずかずかと部屋の中へ入っていく。
 その後に、莱牙と紗霧羅も慌てて続く。
 部屋の中では、あやしげな薬品瓶やら古書にうずもれたその机で、幻撞が一人、静かにこちらを見ていた。
「待っていたよ。世凪」
 世凪の乱入と同時に、そう告げて。
 小さく、笑む。
「……ああ。それで、その薄布とやらはどこだ?」
 ほこりとがらくたでうずまるその部屋を、汚らしげに一通り見まわす。
 相変わらず、この部屋はすき放題散らかっている。
 こんなにうずたかくつまれていては、目当てのものがそう簡単には見つかりそうにない。
 やはり、普段から、整理をしろと言っておくべきだったか?
 ここの住人には、言っても無駄だと、見逃してきたが……。
 こういう時に、邪魔になる。
「そう慌てなさんなって。ほれ、そこに」
 器用に背丈ほどに高く積まれた本の向こう側から、虎紅がゆっくりと姿を現してきた。
 その手には、白く、薄い布がもたれている。
 ひらひらふわふわとして、今にもどこかへ飛んでさらわれていきそうなほど、軽く見えるその布。
 事実、その布はとても軽そう。
 まるで壊れ物を持つように、虎紅は持っているから。
「……これは?」
 どこか難しい顔をする虎紅の手から、世凪はその薄布を受け取る。
 そして、まじまじと観察してみる。
 しかし、いたって普通の布のように見える。
 普通の布のはずだが、異様に軽い。
 いや。重さそのものさえ感じない?
 これは、一体、どういうことだろうか?
 難しく眉を寄せる世凪に、莱牙と紗霧羅も近寄ってくる。
 そして、同様に、その布を見つめる。
 やはり、何の変哲もない布のように見える。
 三人は、怪訝に顔をしかめる。
「……比礼(ひれ)
 そのような三人にむけて、ぽつりとつぶやかれた。
 その声のした方を見ると、幻撞が、やぶれかけで、虫くいの黄色くなった書物に目を通している。
 無関心を装ってはいるが、意識は当然、こちらに向けてある。
「比礼?」
 幻撞のその聞きなれぬ言葉に、また世凪たちの顔がしかめられる。
「ほれ。人間界の伝説にあるだろう? 三保の松原(みほのまつばら)で、天に帰れなくなった天女が持っていたという、その羽衣のことだよ。それが、比礼」
 ひらいていた破れかけの本をぱたんと閉じ、幻撞は世凪たちへと視線を向けてくる。
 幻撞の顔の前では、本をとじた時にたったほこりが、ゆっくりと薄れていっている。
 ほこりの向こうから現れた、いつものにこにこ顔が消えた幻撞の顔を、思わず見つめてしまっていた。
「では、これが、それだというのか?」
 手に持つ比礼をぱらりと流し、幻撞に向ける。
 すると幻撞は、ゆっくりと首を縦にふった。
「恐らく。同じもの」
 重く、そう一言つぶやいて。
 何故、どうして、そんなものが、その場に、異変が起こった場にあったのか。
 その理由などわからない。
 いや、理由なんて、この際、どうでもいい。
 ただ、気がかりなことは、これが今、ここにあるということ。
 限夢界には、あってはならないはずのこれが。
 ――オーパーツ。
 どうして、人間界の伝説にでてくるものが、限夢界(ここ) にあるのか……。
 不安そうに、誰もが誰もと視線をからませあう。
 やはり、よくないことが起ころうとしているのだろうか?
「お前たちも、そこで見ていないで、入ってくればいいだろう」
 そんな重くなった空気を払うかのように、いきなり、ぞんざいに世凪が言い放った。
 すると、開かれた扉の向こうから、ゆっくりと人影が一つ現れる。
「……なんだ、気づいていたの?」
 ふわりと、かわいらしいレースのスカートの裾が、顔をのぞかせる。
 それと同時に、ふわふわの金の髪も現れる。
 幼い顔が、どこか得意げに微笑む。
「当たり前だ。……気配を消すつもりもなかったのだろうがな」
 その姿を確認し、世凪は呆れたように小さく息を吐き出した。
 そして、ぽいっと、持っていた比礼を、虎紅に放り返す。
 それを、虎紅は慌てて受け取り、困ったように世凪に視線を向ける。
「こどもは寝ている時間だろう、なんてそんな野暮なことはなしよ」
 こつんと靴のかかとを鳴らし、華久夜はにっこりと微笑む。
 その姿を見て、世凪はさらに呆れてしまった。
 もちろん、その横にいる莱牙もまた、頭痛を覚えたように頭を抱えている。
「……言っても、無駄だろう。お前たちには」
 ふいっと華久夜に背を向け、すぐ近くにある椅子へと体を向ける。
 そして、一気に、その上に積まれていた書物を、払い落とす。
 ばさばさばさっと景気の良い音が、呪術部屋に響いた。
 にぎやかなその音に、使い魔たちは、思わず顔をしかめていた。
「まあ、そうですね」
 華久夜の後から、由岐耶も姿を現した。
 少し、複雑そうに苦笑を浮かべて。
 華久夜は気配を消すつもりもなく、また消してはいなかったけれど……たしかに、由岐耶は消していたはずなのに。
 それでも、この男には、簡単に気づかれてしまうのか。
 気づかれていたということは、人間界から、その後をつけてきていたことも……ばれていたということか。
 その行動を見張っていたはずなのに、逆に見張られ、踊らされていたというのだろうか。
 ……なんだか、やりきれない。
 行動をよんでいたはずの男に、逆に行動をよまれていたなんて……。
 この男の力は、一体どこまで及んでしまっているのだろうか。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:06/02/16