比礼の謎
(2)

 積み上げられた書物を、当たり前のように蹴散らし、椅子にふんぞり返っている世凪に、紗霧羅が声をかけてきた。
 どこかおずおずとして、いつもの紗霧羅らしくない。
 それに、華久夜は違和感を覚え、首をかしげる。
 普段の紗霧羅なら、絶対にありえないその態度。
 どうやら、先ほど世凪に感じてしまった恐怖が、まだぬぐえていないよう。
 それは、何も紗霧羅だけではなく、莱牙もまたそのようで……。
 先ほどから、口数が少ない。
「なあ、世凪。わたし、きいたことがあるのだけれど、比礼ってたしか……」
「あ。天上人(てんじょうじん)!」
 紗霧羅のその言葉に、はじかれたように華久夜が叫ぶ。
 ぽんと手などをうって、妙に納得したように顔をはなやがせる。
「天上人?」
 そのような華久夜を、世凪は訝しげに見る。
 天上人とは、またいきなり、何を言い出すのだと言わんばかりに。
 しかし、それでも、華久夜はそんな世凪を気にすることもなく、得意げに続けていく。
「ええ。あのね、天上人は、好んで比礼をまとうと聞いたことがあるわ。虎紅が今持っているそれ、比礼でしょう?」
 世凪の背後で、比礼をたたみ、保管用の小箱にしまおうとしている虎紅を指差し、華久夜はぴしゃりとそう言い当てる。
 思わず、虎紅などは、作業をする手をとめて、華久夜を見てしまったほど。
 まさか、ここで、その言葉を耳にするなど思ってはいなかった。
 天上人とは、人間界、限夢界、比礼界とは、また違った世界を生きる人々のこと。
 人間界、限夢界、比礼界は、それぞれに、希薄だけれど密接にかかわりあっている。
 しかし、その世界だけは、まったく別の次元を生きている。
 普段、かかわることはない。
 時折、何かの拍子に、その名を聞くという程度の認識しかない。
 それが何故、今、その名がもたらされる?
「お前、どうしてそんなこと……」
 だから当然、ふんぞり返る世凪の怪訝な視線を、おしみなくお見舞いされる。
 それでもやはり、勢いのついた華久夜は、とどまることをしらない。
「華久夜さまを、なめるのじゃないわよ」
 両手を腰にあて、世凪に負けず劣らずふんぞり返ってみせる。
 あまりにも胸をはりすぎたためか、思わず、後ろによろっとよろけてしまっていたけれど。
 それを、半分あきれながら、紗霧羅が支えてやる。
「……まあ、いい。では、これは……」
 虎紅がしまおうとしていた比礼を再び奪い取り、世凪はそれをぐいっとにぎりしめる。
「天上人の……比礼ということか?」
 瞬間、その場が、水を打ったように静まり返ってしまった。
 いちばんそうであってほしくない方向へ、事態がすすんでいるような気がする。
 はっきりいって、天上人……天上界(てんじょうかい)のことは、限夢人は、あまり詳しくない。
 いや、限夢人に限らず、比礼人だってそうだろう。
 人間にいたっては、恐らく、その存在すら知らないはず。
 それは、(いにしえ)より、触れてはならない言葉だから。
 天上という名は、不吉を予感させる名。
 ――タブー。
「どうやら、厄介なことになりそうだな」
 ぎりっと唇をかみしめ、莱牙がはきすてる。
 同時に、舌打ちまでももれていた。
 本当に、なんということになってしまったのだろう。
 たった一枚の薄布が、まさかこんな現実を運んでくるとは。
 それにしても、この比礼の持ち主の天上人は、何のために限夢界へやってきた……?
 そして、何の目的で、東の園を滅した?
 絶えることなく花々が咲く、あの美しい花園を。
 たしか、天上界といえば――
「これってもしかして、タキーシャが言っていたことに……?」
 支える紗霧羅の腕をくいっとつかみ、華久夜は不安そうにそう問いかける。
 先ほどまでの勢いは、もうどこにもない。
 華久夜もまた、天上人というその言葉に、ただならぬものを感じている。
 自ら、口にしておきながら。
「関係ないとも言い切れないな」
 ひょいっと華久夜を起こしながら、紗霧羅があきらめたようにそうつぶやく。
 あきらめているようだけれど、決してあきらめてなどはいない。
 ただ、本当に、莱牙ではないが、厄介なことになったとは思っている。
 厄介な奴を相手にしようというのだから、厄介以外のなにものでもないだろう。
 よりにもよって、どうしてそんな奴が、この世界にちょっかいをかけてくるのか……。
 たしか、天上界といえば、もっと落ち着いた世界のはず。
 それこそ、争いを嫌う。
 しかし、一度動きだしてしまったら、求める結果を得るまでとまらないことも、また本当。
 その世界に生きる者たちは、四つの世界の中で、自分たちの存在が、至高のものだと考えているから。
 ――そう。比礼界と真逆に位置し、すべては自分たちが司っていると考えている。
 比礼界が地獄ならば……。
 天上界は、いわば、その名の通り、天上の世界。至高と信じる者のための世界。
 比礼人たちは、自らを、神の使いとも呼んでいた。
「くそっ。言いたいことだけを言って、消えやがって。使えない神だな」
 再び比礼を虎紅に投げつけ、世凪はいらだたしげに怒鳴り散らす。
 世凪が今抱いている憤り、それがわからないこともないけれど……。
 この王子様は、少々、冷静さを欠いているようにも見える。
 それは、先ほど、莱牙と紗霧羅が感じた恐怖にも、よく現れている……?
「……神のドームへ、行ってみますか?」
 ふいに、何かを思案するように、由岐耶がそう提案した。
 それに、ぎすぎすしはじめたこの場の空気が、一瞬ぴたりととまる。
 しかし、それを、この王子様がまたぶっ壊してくれた。
「あそこへ行っても、タキーシャには会えんだろう」
 由岐耶が何を言いたいのか悟った世凪は、即座にそう切り捨ててしまった。
 使えない神なら、自分の方から行って使ってやればいい。
 ようするに、今から智神・タキーシャに会いにいき、その言葉の真意を聞きだせばいい。
 そういうことだろう。
 由岐耶にしては荒々しい発想だけれど、それはこの場合、最善の方と思えてならない。
 わからないなら、わかる者に聞けば、てっとり早いのだから。
 ためらっている時間も、猶予もない。
「それじゃあ、やっぱりあそこへ……?」
「ああ。神の祠へ行くしかないな」
 ふんぞりかえっていた椅子からすくっと立ち上がり、世凪は、まっすぐに扉へと視線を向ける。
 もう、世凪の中では、それが決定してしまっているように。
 今から、智神・タキーシャに、なぐりこみにいく。
 言いたいことだけ言って消えた、混乱させるだけ混乱させて帰っていった、あのムカつく神に。
 こうなれば、力ずくでも、その言葉の意味するところを聞き出してやらなければ気がおさまらない。
 特に、事が柚巴にかかわるとあっては。
 この比礼のことも、東の園のことも、気になりはするけれど、それよりも今は、柚巴のことが、最も大切だから。
 悠長になんてしていられない。
「行っても、会えるとは限りませんけれどね」
 なぐりこむ気満々の世凪に、由岐耶の冷たい一言がぶつけられた。
 しかし、それは、世凪にとっては、いたくもかゆくもなく、むしろやる気を出させるものとなってしまったよう。
「あの男は、ひねくれているからな」
 そう、得意げに微笑んだから。
 それを見て、使い魔たちにも、やる気と勇気がわいてくる。
 不思議なことに、この王子様が得意げに微笑めば、不可能なことも可能に思えてくる。
 きっと、彼らがこれから知ることになる真実、そして対峙することになる現実に不安はあるけれど、だけど、できるとそう信じられる。
 ……いや。何がなんでも、しなければならない。
 彼らの、大切な姫君のために。
 彼らの、意地とプライドのために。
「あんたに言われたら、お仕舞いよ」
 紗霧羅の腕にしがみつき、そこから、華久夜がそうにくまれ口をたたく。
 先は不透明なままだけれど、動き出したこの一歩が、きっと良い方向へ事をすすめてくれる。
 とりとめなく、そう思えてくる。
 世凪が、床をしっかりとふみしめ、廊下へと歩いていく。
 その背を、何故だか、誇らしく見送ってしまう。
 いつの間に、この男を、こんなに認めて……頼りにするようになっていたのだろうか。
 あんなに憎い男のはずだったのに。
 その世凪の後を、紗霧羅からはなれ、華久夜が小走りでついていく。
 それに気づき、使い魔たちも、慌てて後に続く。
 華久夜に遅れをとってなるものかと。
「華久夜。お前、大丈夫か?」
 華久夜の隣に並んだ莱牙が、ふいにそう耳打ちした。
 それに、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、華久夜は得意げに微笑む。
「お兄様? 大丈夫よ。大切な場所だけれど……悲しんでばかりいられないでしょう。それよりも、今はこっちの方が大切だわ」
「そうですよ。きっと、あの花園も、いつか必ず再生しますよ。自然の力は、わたしたちが及ばないところにありますからね」
 ぽんと華久夜の肩をたたき、紗霧羅も得意げにそう微笑んでみせる。
 今言った言葉に確証はないけれど、きっとそうだと思える。
 たとえ今は枯れてしまっていても、いつかきっと、再び、あの美しかった景色は戻ってくるだろう。
 あの花園は、華久夜だけでなく、紗霧羅にとっても、大切な場所になりつつあるから。
 そう信じたい。
 それに、得たいの知れないものに、ふみにじられたまま、黙ってなどいられない。
 枯れてしまっても、まだ、すべてが死んだわけではないのだから。
「だといいわね」
 紗霧羅の言葉に、華久夜は苦く笑う。
 本当は、とても苦しい。
 とても不安。
 あの花園が、枯れてしまったとそう知った時から。
 あの花園を枯らした奴を、こてんぱんにのしてやりたいとも思う。
 どうして、あんなに美しいものを、簡単に奪えてしまえるのか。
 その心がわからない。
 それが、人為的になされたものだと、わかっているだけに。
 そこに残された、一つの比礼が、それを物語っている。
 悪意が、限夢界にやってきたと。
「案ずるな。事がすべてすめば、俺がもとに戻してやる」
 ふっとかげりを見せた華久夜の頭を、くしゃりとひとなでして、世凪が得意げに微笑んでいた。
 見つめる方向は、まっすぐ前にあるのに、その手は優しく華久夜の頭をなでる。
「世凪……?」
 思わず、世凪を見つめてしまった。
 まさか、この男から、そんな言葉を聞けるなんて……。
 たとえそれが気休めだとしても、今はなんだか嬉しい。
 きっと、この男に、この優しさをくれたのは、あの少女だろう。
 一体どこまで、あの少女は、人を変えることができるのだろうか。
 あの少女の優しさが、ぬくもりが、こんなところにまで及んできている。
 ゆっくりと、着実に、波及している。
 嘘でもいいから、誰かに、そう言ってほしかった。


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update:06/02/24