ゆらぐ心
(2)

 洞窟の中は、すぐに、何も見えないほど暗くなった。
 そこで、世凪がその手のひらに、炎の玉をつくる。
 松明がわりに、すすんでいこうというのだろう。
 それをまねるように、華久夜もその手に、炎の玉をつくり出す。
 同じ、火を操る莱牙は、華久夜をその両手にかかえているので、火の玉をつくり出すことができない。
 世凪に、由岐耶と虎紅がつき、華久夜のそばには、紗霧羅と幻撞がついて、それぞれ、足元をてらし、歩いていく。
 洞窟の中は、何も見えない世界だというのに、不思議に恐ろしいだとかそういう感情はわいてこない。
 何か、大きなものに守られているような、包まれているような、そんな安らぎさえ運んでくる。
 はやり、それは、ここが、神の祠と呼ばれる場所だからだろうか。
 不思議に、安心して、歩みを進めていける。
 半分あっけにとられたような、驚いたような表情を浮かべる使い魔たちの中、ただ一人、世凪だけが、ぴりぴりとした気を放っていた。
 そして、その表情は、どこか悲痛にゆがんでいる。
 まるで、この心地いい空気が、気分を害しているように。
 ここの空気は、世凪にとってはよくない。
 ここの空気は、あの空気に似ているから。
 だから、意識とは別に、思い出してしまう。
 あのぬくもり。あの優しさ。
 体が、無意識にこがれる。求める。
 その存在を。
 ここの空気は、柚巴のそれと、いやに似ている。
「くす……」
 そんなことを感じつつ、一歩一歩奥へと歩みをすすめていると、ふいに、そのような笑い声が聞こえてきた。
 瞬間、使い魔たちの間に緊張がはしる。
「誰だ!? そこにいるのは!!」
 同時に、世凪の誰何の怒声が響く。
 奥行きはあるけれど、天井の低いこの洞窟では、その声がよく反響する。
 ずっとずっと奥の方まで、小さくなっていく声が感じられる。
 この洞窟は、想像以上に、深いのかもしれない。
「お〜、怖い。血の気の多い王子様だね」
 洞窟の奥を、手の炎でてらす世凪の前に、ふわりと青銀の霧が生まれた。
 そして、それはすぐに、かたちとなり、そこに人影を映し出す。
 青銀に輝く、長くまっすぐな髪を持つ、男の姿が浮かび上がった。
 その姿かたちから、すぐに、普通の限夢人ではないとわかる。
 まとうその衣装が、あの男のものとそっくり。
 これは、ここが神の祠であることを加味しなくとも、すぐにわかる。
 その正体は、間違いなく――
「ここに来たということは、用があるからだろう? 自分たちでやってきておいて、つれない態度だね?」
 ふっと挑発的に微笑み、世凪の短くなった髪をふわりとなでていく。
 瞬間、ぞくりとした嫌悪感が、世凪の体の中をかけぬけていく。
 同時に、ばちんと、その手をたたきはらってしまっていた。
 あまりもの、気持ち悪さのために。
「……それでは、お前は……?」
 しかし、それを悟られないように、平静を装う。
 鋭い光をたたえ、目の前に現れた、この青銀髪の男をにらみつける。
「冥界の神、ヘルネス」
 どこか冷たいものを感じさせる薄い笑みを浮かべ、男は静かにそう名乗った。
 瞬間、その場にまた緊張がはしる。
「ヘルネスだって!?」
 世凪は、多少動揺したように、そう問い返していた。
 よりにもよって、いちばん出会いたくなかった神の名だった。
 何しろ、今告げられたその名は、七人の神々の中で、もっとも恐れ、忌むべき神だから。
 ……ある神と並び。
 その名は、死へと導く神の名――
「おや? そんなに驚くことはないだろう? ここは、最高神・シュテファンをはじめ、その眷属、七人の神と通じているのだから」
 挑発的な笑みを浮かべ、見下すように向けられるその視線に、世凪がぐっと言葉をのむ。
 たしかに、冥界の神・ヘルネスは、最高神・シュテファンに仕える七人の神のうちの一人。
 ここが神の祠ならば、冥界の神・ヘルネスがでてきても、何ら不思議ではない。
 ただ、最も出会いたくなかった神というだけで。
 何故、よりにもよって、最初に出会ってしまったのが、この神なのか……。
「うるさい。そんなことより、お前には用はない。さっさと、智神・タキーシャを出せ」
 使い魔の誰もが、言葉を発することをためらっていたというのに、この王子様はやってくれた。
 よりにもよって、そんな言い方はあるか。
 誰もが、頭を抱えてしまう。
 わかっていたこととはいえ、本当に、この王子様は、トラブルメーカー。
 さすがに、神に、そのようなぞんざいな態度をとっては、逆鱗に触れかねないとも限らない。
 それなのに、この王子様ときたら、そこのところをわかってくれていない。
 喧嘩を売ってどうする。喧嘩を売って……。
 いつでもどこでも、王子様然としすぎ。
 なんだかとっても、嫌〜な予感がする。
 このまま無事に、この洞窟から出られるのかどうかも、これではあやしくなってくる。
 そんな近い未来を予測して、使い魔たちは、世凪と心中を覚悟しなければならなくなってしまった。
 だって相手は、死を司る神なのだから。
 その気になれば、()られる。
 冥界へつれていかれる。
「やれやれ……。本当に、血の気の多い王子様だね」
 心中を覚悟した次の瞬間、そんなひやかすような、おどけたような声がかかっていた。
 にやにやと、どこか楽しそうに微笑む冥界の神・ヘルネスの姿がそこにある。
 それを見て、使い魔たちは、ぽかんと口をあけてしまう。
 どうやら、この冥界の神・ヘルネスも、その名から想像していたより、もっとくだけた、ざっくばらんな神なのかもしれない。
 どこかの智神のように……。
 どうして、この世界の神々は、こんなのばかりなのだろう……?
 もっと、まじめにしてくれないだろうか?
 もっと、神々しさというものを感じさせてくれないだろうか?
 と、違うところで、頭を抱えてしまいそうになる。
 当然、冥界の神・ヘルネスのひやかしに、世凪の地雷が反応する。
 ぎろりと、憎らしげに冥界の神・ヘルネスをにらみつける。
「へえ〜。実に、かわいらしいことでお悩みだね?」
 しかし、冥界の神・ヘルネスは、やはり、世凪のそんなにらみなど、たかるハエでもおいはらうように、さっさと蹴散らしてしまった。
 しかも、そんな脈絡のない言葉とともに。
 だけど、世凪には、思いっきり通じてしまったよう。
 さらに、憎らしげにその顔がゆがむ。
「喧嘩を売っているのか」
 低くどすのきいた声で、静かにそう問う。
 すると、冥界の神・ヘルネスは、嬉々とした表情を浮かべた。
 しかし、すぐにそれをおさめ、やはり挑発的な嫌味な笑みをつくる。
「別に。ただ、お悩みのようだったからね?」
「……何故、そうだと言い切れる?」
 ぐいっと冥界の神・ヘルネスの胸倉をつかみ、今にも襲いかかりそうな勢いでにらみつける。
 憎らしげに、苦しげに、その表情がゆがんでいる。
 それを見て、冥界の神・ヘルネスは、さらに得意げに微笑む。
 ぽんと、自らの胸倉をつかむ世凪の手に、手をかぶせ。
「俺は、神だよ? しかも、冥界の神・ヘルネス。何だってわかるよ。……特に、その類のことならね」
 瞬間、世凪の体が、大きくゆれた。
 同時に、胸倉をつかむその手を、乱暴にふりほどく。
 両手をにぎりしめ、悔しそうにその場にたちつくす。
 どうやら、世凪にとって、触れられたくないところに触れられてしまったらしい。
 ひたかくしていた、そこに……。
 そして、図星をさされてしまった?
 そのように、あきらかに動揺の色を見せる世凪に、冥界の神・ヘルネスは楽しそうにたたみかけていく。
「そんな悩める王子に、ひとつ、いいことを教えてあげよう」
 にやっと微笑み、また、短くなったその赤い髪にふれようと手をのばしていく。
 しかし、その手は、今度は、寸前ではらいのけられてしまった。
 ぱちんと、乾いた音が、洞窟に響く。
「いらん」
 使い魔たちは、ただ、この場の成り行きを見守ることしかできない。
 世凪が、窮地においこまれていることは、見ていてなんとなくわかる。
 しかし、何故、窮地においこまれているのかというその理由がわからない。
 また、冥界の神・ヘルネスの、この近づきがたい気にもおされてしまっている。
 つまりは、動きたくても、身動きがとれない。
 この二人の会話に、横槍を入れる余地すら与えられていないようで……。
 言葉はそんなに刺々しいものではないけれど、何か、入り込めないものを感じる。
 今かわされている会話は、恐らく、彼らにとっては、とても重要なものなのだろう。
 今は、ただ、こうやって、見守ることしかできない。
「あーあ〜……。かわいくないねえ〜……」
 冥界の神・ヘルネスは、はらわれた手をあてつけがましくさすりながら、すねてみせる。
 しかし、その口のはしが、やはりいたずらに笑みをそえていることにかわりはない。
 この神は、どうやら、世凪の反応を見て楽しんでいるよう。
 いや、楽しんでいるようではなく、間違いなく、楽しんでいるのだろう。
 あの世凪をもてあそぶことができるなんて、やはり、ただものではない。
 七人の神のうち、最もたちの悪い神とは、よく言ったものである。
 智神・タキーシャもたちが悪いが、ここまで意地が悪くはないだろう。
 さすがは、死を司る神、というべきなのだろうか。
 悔しそうに唇をかむ世凪の耳元に、冥界の神・ヘルネスは、そっと顔を近づけていく。
 そして、そこで、にっこりと微笑み、ぽそりとつぶやいた。
「人間の寿命をのばすことはできないけれど、限夢人の寿命を人間並みに短くすることはできるよ」
 冥界の神・ヘルネスにそう告げられた瞬間、あきらかに、世凪の様子が変わった。
 あの世凪が、たじろぎ、一歩後退した。
 そして、がくんと、膝がおれる。
 しかし、さすがは世凪というべきか、そのまま倒れてしまうのではなく、どうにかとどまる。
 ただ、全身が、誰もがわかってしまうほど、震えている。
 今、世凪に告げられたそれは、それほどまでに、衝撃的なものだったのだろう。
 そのような世凪を見て、冥界の神・ヘルネスは、楽しそうにその身を闇へとかしていった。
「……また会おう。悲しき定めの、我が同胞(はらから)よ――」
 音にならない声で、そうつぶやきながら。
 世凪は、何もできず、ただそこに立ちつくすだけだった。
 使い魔たちもまた、同様だった。
 世凪の横で、由岐耶が険しく複雑な表情で、ぽつりとつぶやいていた。
「寿命を短くする……?」
 その意味は、由岐耶には、まだわからないでいる。

 それが、世凪が悩み、望むこと――


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update:06/03/08