悲しき定めの恋情
(1)

 神の祠から戻ってきた世凪たちは、いつもの場所、王宮の中庭にいた。
 暁の頃にここをたち、そして次の暁の頃、再びここへ戻ってきた。
 東の空から、今日もまた、いつものように太陽がのぼってくる。
 うっすらと、空が明るくなる。
 テラスの椅子に、いつもとは違い、苦しそうな表情を浮かべ、世凪が遠慮がちに腰かけている。
 その様子からも、世凪が普通でないことくらい、誰の目にもわかる。
「世凪。寿命を短くするとは、どういうことですか?」
 その世凪に、無遠慮にも、由岐耶がそう問いかけてきた。
 それは、神の祠の中で、冥界の神・ヘルネスが世凪に耳打ったこと。
 やはり由岐耶は、あのささやきを聞いていたよう。
「由岐耶……!?」
 当然、自分しかその言葉をきいていなかったと思っている世凪は、驚きの顔を由岐耶へ向ける。
 それと同時に、悔しそうに舌打ちをする。
 今、自分がしてしまった、その反応に。
 そのような反応さえしなければ、いくらでも誤魔化せただろうに。
 これでは、自分でそれを認めているも同じではないか。
 ぎりっと、奥歯がなる。
「悪いですが、聞こえていました。すぐ横にいましたからね。……それで、寿命を短くするとは……」
 妙に落ち着き、そして冷たく、由岐耶はさらに問いかける。
 世凪が動揺しているのも、混乱しているのも、見ていればすぐにわかる。
 だからって、黙ってもいられない。
 明らかに動揺する世凪など、普通ではないのだから。
 別に、世何を気にかけているわけではない。
 世凪の動揺から生まれる、望まぬ事態を懸念しているだけ。
 この男がしっかりしてくれなければ、これからの事態の好転は望めない。
 認めたくないけれど、この男の存在は、今では、それほどまでに重要なものとなっている。
 そして、認めたくないけれど、この男には、それほどの力が宿っている。
 恐らく、この男の力なくしては、この事態の解決は導き出せないだろう。
 とりとめなく、だけどはっきりと、そう思えてしまう。
 腹立たしいことに。
「黙れ」
 言葉に困ったのか、苦し紛れに、世凪はそうはき捨てる。
 そして、ふいっと顔をそむけた。
 世凪には、由岐耶のその言葉をどう回避すればいいのか、わからないらしい。
 それを考えられるほどの余裕も、今はないらしい。
 そこから、世凪が今かかえている動揺の大きさも、おしはかれる。
 この男がここまで動揺するとは、やはり普通じゃない。
「黙りません。どういうことです? ……だいたいの察しはつきますが。これは、姫さまにも関係することでしょう? ならば、なおさら、黙れない」
 顔をそむける世凪の肩を乱暴につかみ、由岐耶は自分の方へとその顔をむけさせようとする。
 しかし、世凪も、執拗に、それに従おうとはしない。
 天の邪鬼王子様だけれど、今は、そんなもののために、由岐耶に顔をそむけているわけではない。
 顔を合わせたが最後、見破られてしまうから。
 今、世凪がかかえる苦しみを。
 それだけは、できない。
 恐らく、それくらい、表情にでてしまっていることくらい、世凪にだってわかる。
 もう、表情をつくることすらできないくらい、心がゆれていることが、自分でもわかるから。
「おい。柚巴に関係することって、まさか……」
 由岐耶の言葉にはじかれたように、莱牙もそう口をはさんできた。
 事が柚巴にも及ぶとなれば、莱牙だって黙ってなどいられない。
 そして、柚巴に関係し、そこに寿命というキーワードを与えられては、いやでも想像がつく。
 きっと、この二人は、あのことを言っているに違いないのだと。
 そしてそれは、常々、莱牙も懸念していたこと。
 また、莱牙だけではなく、ここにいる、華久夜や紗霧羅、幻撞、虎紅にも容易にわかってしまった。
 きっと世凪は、あの祠の中、冥界の神・ヘルネスにそのことを言われたのだろうと。
 そして、そのために、このように動揺しているのだろうと。
 智神・タキーシャに会いにいったはずが、結局、彼には会えず、そればかりか、余計なおみやげまでもらってしまったような気分になる。
 あのヘルネスという神は、まったくもって余分なことを世凪に告げてくれたものである。
 よりにもよって、こんな時に。
 いちばん、王子様にしっかりしてもらわなければならないというのに……。
 その王子を、こんなに動揺させてくれるなんて。
「うるさい。別に、今にはじまったことではないだろう。――柚巴を選んだ時から、わかっていたことだ」
 もう誤魔化せないと悟ったのか、妙に素直に答えた。
 苦しそうに、悔しそうに、頭を抱え込む。
「それじゃあ、世凪。あんたは、ずっとそれを悩んでいたの……?」
 おずおずと、華久夜が世凪に問いかける。
 普段、ムカつく腹立つ、仕返ししたいと思っている世凪だけれど……。
 さすがに、このような世凪を見せられると、華久夜だって、心配せずにはいられない。
 ……華久夜だって、そこまで鬼ではない。
 華久夜には、まだぴんとこないけれど、きっと、誰よりも柚巴を愛する世凪は、負いきれないほどの苦しみを、抱えてしまっているのだろう。
 誰の目から見ても、明らかだから。
 世凪がどれほど、柚巴を大切に思っているか。
 そして、恐らく……。
 柚巴を失っては、世凪は正気をたもてないだろうことも。
 この数ヶ月見ていて、それがわかるようになってしまった。
 そして、その柚巴のために、世凪がよい方向へかわってきたことも。
 それを、今、そんなことのために、ぶち壊されようとしているのだろうか?
 これまで積み上げてきたものが、音を立てて崩れていくような感覚に襲われる。
「俺だけじゃない。……柚巴も、気にしている。だから、俺は……俺たちは、ずっと気にしないようにしていたというのに……。あいつは、あのどくされ神は……っ!!」
 これまで、必死にこらえていたものを吐き出すように、世凪は叫ぶ。
 誰にも気づかれないように隠していた、それが王子の真意だというのだろうか。
 普段、怖いものなしに不遜に振る舞うあの王子が……。
 抱える不安は、こんなにも繊細で、もろいものだったのか。
 ……今、ようやくわかったような気がする。
 柚巴が、世凪を選んだ理由(わけ)が。
 こんなに危なげな世凪を、一人、放ってはおけなかったのだろう。
 華久夜は、ふと思い出す。
 あの日のことを。
 あかずの間へかけこんだ時、そこにはおだやかな表情を浮かべる柚巴と、彼女に守られるように世凪がいた。
 恐らく、あの光景が、すべてを物語っていたのだろう。
 あの時から、すべてがはじまっていたのだろう。
 世凪のもろい心を守れるのは、柚巴だけ。
 そして、世凪を壊せてしまうのも、柚巴だけ。
 大切であればあるほど、失った時の衝撃も、大きい。
 それは、簡単に、人一人を壊せてしまえるほどに。
 そのことに気づき、華久夜は、恐ろしくなってしまった。
 急に、寒気が押し寄せてくる。
 世凪は、柚巴を失っては、生きていけない。
「俺たちに残された時間は、違いすぎる! 人間の寿命など、たかが知れている。それなのに、何故、俺たちには、気が遠くなるほどの時間が残されているのだ!? 柚巴を失ってから……俺は一体、どうやって生きていけばいいのか……」
 嗚咽に似た叫びが、世凪から上がる。
 それは、間違いなく、心からの叫び。
 こんなに弱い世凪は、はじめて見た。
 そして、世凪も、はじめて使い魔たちに見せてくれたのだろう。
 その、もろい心の内を。
 ……危なげなこの王子を、なんとかしてやりたい。
「世……凪……」
 ゆっくりと世凪に歩み寄り、華久夜は、ぽんとその背をさすってやる。
 今の華久夜には、それしかしてやれることが思いつかなかった。
 世凪もまた、いつもならその手をふりはらっているだろうが、今は素直に華久夜に背をさすらせている。
 ここからも、もう、世凪の心がもろくなっていることがよくわかる。
 限界まできていることがわかる。
 柚巴の手前、必死に虚勢をはってきたが……。
 柚巴がいないと、こんなにももろくなってしまう。
 柚巴を思い、弱い自分を見せようとはしてこなかったのだろう。
 同じことで、柚巴も悩んでいると、苦しんでいると知っているから。
 どうして、こんなにも愛しいのに、こんなにも重い十字架を背負わされてしまったのだろうか。
 どうにもならない、その十字架を……。
 これが、寿命の違う者を伴侶に選んでしまった、定め……?
 なんと悲しい定めなのだろうか。
 世凪ではないが、望まずにはいられない。
 二人、ともに幸せに生きていける、そんな方法を。未来を――
「俺はただ……柚巴とともに、同じ時間の流れの中、生きたいだけなのに……。俺が望むものは、それだけなのに……。それを、寿命の壁が許してくれない」
 欲張りすぎなのだろうか?
 柚巴と心通じ合っただけで、それだけで満足しなければならないのだろうか?
 世凪が望むものは、そんなに無謀なものなのだろうか。
 望むものは、たった一つなのに。
 大切なその人と、ともに、同じ時間の中、生きていきたいというだけなのに。
 そんなささいな願いなのに。
 だけどその願いは、何よりも大きな願い。
 願いは、一つ。
 ずっとずっと終わることなく続く、大切な者たちにかこまれた、平和な時間。穏やかな時間。
 それさえも、世凪に与えられた運命は、許してくれないのだろうか。
 悲しき定めを持つ、烙印を押された王子には――

 たった一つ。
 ほしいものは、穏やかでささやかなぬくもりなのに。

 華久夜は、もう一度、世凪の背をさすってやる。
 いつもはあんなに大きな態度をとり、不遜な奴だけれど……今は、こんなにも小さく見えてしまう。
 かなうことのない、手に入ることのない、ささやかな願いを求める、そんな小さな存在に。


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update:06/03/17