悲しき定めの恋情
(2)

 もうすっかり、空には太陽がのぼりきっている。
 今日の天気は、にくらしいくらいの快晴。
 彼らが抱く思いは、土砂降りだというのに。
 空はこんなに青いのに、気分は晴れ晴れとしてくれない。
 それは、この男の本当に、触れてしまったから。
 こんなにもろい心の持ち主だなんて、知らなかった。
 この男が、こんなに繊細だとも知らなかった。
 普段、どれだけ虚勢をはっていたのか、今ではよくわかる。
 恐らく、この男の真実に気づけていたのは、今までは、あの少女だけだろう。
 だから、この男は、あんなにも、あの少女を大切にし、愛しているのだろう。
 唯一、自分をわかってくれる存在だから。
 ――いや。それだけではない。
「いいか。柚巴には言うなよ。絶対にだ。……言った奴は、殺す」
 先ほどまで、あんなに素直だった王子様が、ないた烏とばかりに、今ではすっかり、いつもの調子を取り戻している。
 ぞんざいに椅子にふんぞり返り、乱暴にそう言い切る。
 その言葉を言った時の目にこめられた光が、尋常ではなかったから……。
 きっと、本気だろう。
 もし、柚巴に先ほどのことがばれでもしたら、間違いなく、殺される。
 ぞくりと、冷たいものを背筋に感じる。
 やばい。まずい。思い切り、本気。
 この男なら、簡単に、何のためらいもなく、それを実行してしまうだろう。
「言わないわよ。柚巴を苦しめるなんてこと、望んでいないもの」
 そのような世凪に対抗できてしまえるのが、華久夜嬢。
 彼女は、世凪の本当の怖さを知らないのか、それとも鈍いだけなのか……。
 どんな時でも、世凪に喧嘩ごし。
 まあ、先ほどの世凪を見たからって、誰もが、その態度をかえる気なんてさらさらないけれど。
 むしろ、かえればかえたで……間違いなく、この王子から制裁をくらってしまう。
 ……いや。それは、制裁ではなく、虐待に近いものだろうけれど。
 つまりは、乱暴されてしまうということにかわりはない。
「それで、どうするつもりだ? 結局、智神・タキーシャには会えなかったわけだから……事態は、少しも好転していないが?」
 テラスの柱に背をあずけ、腕組みをしながら、莱牙がそうもらす。
 背には、いっぱいに太陽の光を浴びている。
 多少まぶしそうにしながら、世凪はちらっと莱牙に視線を向けた。
「……まあ、あわてることもないだろう。恐らく、また、何かしらしかけてくるだろうからな。その時に、しっぽをつかんでやればいい。相手は、十中八九、天上人だとわかっていることだし」
 ふうっと、一つ細いため息をつく。
 そして、ふいっと莱牙……太陽から視線をはずし、何かを考えこみはじめる。
 じっと、地面を見つめる。
「またしかけられてからでは、遅いのではない?」
 世凪のあげ足をとるように、華久夜がぽつりとつぶやく。
 ちょこちょこと、莱牙に歩み寄りながら。
 そして、莱牙のもとまでくると、両腕をのばし、莱牙に抱っこのおねだりをする。
 それに、莱牙は、少しあきれたように眉をよせる。
 しかし、すぐにあきらめ、ひょいっと華久夜を抱き上げた。
 そして、もたれかかっていた柱のすぐ横のてすりの上に、華久夜を座らせる。
 すると、華久夜は、満足そうに微笑んだ。
 どうやら、抱っこのおねだりではなくて、そこに座らせてのおねだりだったらしい。
 言葉なく、ここまで通じ合えてしまうのだから、この兄妹は、やはり、仲がいいのか悪いのか……。
「仕方がないだろう。こうも訳がわからなければ。とにかく、今は、柚巴を守ることに重点をおく。――比礼に関しては、幻撞たちにまかせておこう」
 そのような兄妹のやりとりを、多少呆れたように横目で見て、世凪はきっぱりとそう言い切る。
 すると、華久夜は、どこか不満そうに……いや、複雑そうに顔をくもらせる。
 座ったてすりの上で、ぶらんぶらんと、不満げに両足を交互にゆらして。
「……では、茅や嚇鳴たちにも協力を要請しましょうか? ……まあ、しなくても、茅ならば、首をつっこんでくるでしょうが」
 由岐耶が、口元に、ゆるくにぎった右手をもってきて、考えるような仕草をする。
 ちらっと、世凪の様子をさぐるように見て。
 こうなれば、人海戦術にでもでるしかないか……?と、ふと由岐耶の頭の中にそのようなものが浮かんできた。
 そして、そのまま、それが口をついてしまっていた。
 口をついたすぐ後に、少々、失言だったかとも思ったけれど。
 しかし、このままではどうにもならないのならば、とれる手段は、すべてとってもよいのではないだろうか。
 今回相手にしている敵が、敵なだけに。
 天上人など、限夢人にとっては、未知の存在に等しいのだから。
「ああ。奴らにも伝えておけ。限夢界で少しでも異変を感じれば、すぐに俺に報告しろと」
「はい」
 どうやら、世凪も同意見だったらしい。
 珍しく、却下されずに、採用されてしまった。
 そこに、少しの安心感と、満足感が生まれる。
 この男のことだから、たとえそれが正しいと思っていても、由岐耶の意見には異をとなえかねないだけに。
 まあ、そんなこどもっぽいことをする余裕は、今はないだろうけれど。
「それと……この限夢界の異変についても、柚巴の耳には絶対に入れるな。……知れば、暴走しかねないからな。これ以上、柚巴を危険にさらすわけにはいかない」
 ぐるりと使い魔たちをみまわし、有無を言わせぬ口調で、緘口令をしく。
 たしかに、柚巴のことだから、限夢界で異変が起こっている……ときけば、飛んでくるだろう。
 そして、パルバラ病の時のように、無茶をしかねない。
 あんなにひやひやする思いをさせられるのは、もう二度とごめんだ。
 そう思っているのは、何も世凪だけではない。
 それに関しては、みな同意見。
 やはり、異論をとなえる者はいない。
「……ねえ、それで、柚巴の護衛につくのは、誰?」
 相変わらず、ぶ〜らぶ〜らと両足をぶらつかせ、華久夜は首をかしげる。
 緘口令については、それ以上触れる必要はないと思ったのだろう。
 たしかに、触れる必要はないけれど。
 誰もが、同じことを考えているのだから。
「まあ、とりあえず、俺と梓海道……。あとは、柚巴の使い魔たちといったところだな。使い魔なら、たまには役に立ってもらわねばな」
 世凪は華久夜に合わせ、次の話題へと移っていく。
 どうやら、世凪もまた、その話題に彼らが触れないことを、訝しくは思わないらしい。
 ……誰にも、柚巴の行動をよまれてしまっているらしい。
 世凪の含みのあるこの言葉に、紗霧羅の頬が反応していた。
 ひくりとひきつる。
 そして、その反応通りに、世凪に仕返しをお見舞いする。
「もともとは、誰かさんから柚巴を守るために、使い魔になったようなものだからねえ。その脅威がなくなった今、役に立つも何もねえ〜……」
 たっぷりと嫌味をこめて。
 たしかにそう。
 紗霧羅たちが柚巴の使い魔になったもともとの理由は、この王子様から柚巴を守るため。
 あの頃は、世凪の目的がわからず、世凪の魔手から柚巴を守るために……。
 結局、この王子様が、その暑苦しい思いのために、柚巴を独り占めしたかっただけだったけれど。
 本当に、どうしてこう、人騒がせな王子様なのだろう。
 それならばそうと、はじめからそう言っていれば、あんなにややこしいことになったりはしなかったのに。
 ……まあ、それがなければ、紗霧羅も、柚巴に出会っていなかったわけだから、あながち、世凪を責めはできないのだけれど。
 今では、柚巴と出会えなかった紗霧羅など、紗霧羅の中ではあり得ないのだから。
「うるさいぞ。紗霧羅」
 もちろん、紗霧羅の嫌味の応酬に、王子様も即座に反応する。
 じろりと、とっても鋭いにらみをお見舞いしてくれる。
 どうやら、この王子様も馬鹿ではなかったらしい。
 ちゃんと、自分に対する嫌味だとわかってくれたらしい。
 そして、かつての自分の行いを恥じるといい。
 ――そんな高等な能力など、持ち合わせていないだろうけれど――
 本当に、こどもっぽい独占欲のために、あんなに大層なことをしてくれたのだから。
 ……しかも、柚巴を苦しめてまで。
 そう思うと、もっともっとたくさん、いじめてやらねば気がすまない。
「おや? ちゃんとわかっているじゃないですか。王子様は」
 くすりと、たっぷりに皮肉をこめて笑ってあげる。
 もちろん、そうすると、王子様はご立腹。
「殺すっ!」
 何とも簡単に怒ってくれるものである。
 予想通りの反応を返してくれる。
 やはり、王子様は、こうでなければおもしろくない。
 そんな憤る王子様に、こともなげにさらっと、横槍を入れるのは、このお姫様。
「ねえ、本当に、お兄様たちだけで、柚巴は守れるのかしら?」
 うーんと首をかしげ、思いっきり不服そうにそうつぶやく。
「華久夜〜。言うじゃないか」
 今度は、こちら傍流王族さまが、ご立腹らしい。
 横にいる華久夜に、ひきつり笑いをお見舞いしてくれる。
 華久夜にいたっては、まったく悪気はないらしく、そんな莱牙を不思議そうに見上げる。
「だって、本当のことでしょう? 柚巴を守るには、頼りなさすぎるわ」
 そしてまた、そうやって、思ったままを口にしてしまう。
 さすがに、それには、柚巴の使い魔であるところの紗霧羅姐さんも黙っていられず、わなわなと、その体をふるわせている。
 本当に、ざっくりと、切って捨ててくれるものである。
 これだけの限夢人がそろっていて、それでも頼りないとは、よく言ってくれる。
 さりげなく、ばっさりと、彼らの使い魔としてのプライドが傷つけられてしまった。
 そして、もちろん……。
 こちら、王子様のプライドだって。
 しかし、王子様は、何故だかそれには怒った様子はなく、嫌味に口のはしをあげ、笑みさえ浮かべている。
 どうやら、華久夜のその言葉に自分は含まれていないと、なんとも都合のいい考えにいたってしまったらしい。
 ……まあ、たしかに、王子様は、柚巴の使い魔ではないけれど。
「そういわれれば、そのような気もしますね。……わたしも、比礼の調査より、どちらかというと……」
 それまで黙って使い魔たちの会話をきいていた虎紅まで、そんなことを言い出していた。
 どこか悩むように、難しい顔をして。
 華久夜だけならいつもの憎まれ口とわり切れるが、さすがに、虎紅にまで言われてしまったら、使い魔のみなさんは、たまったものではない。立つ瀬がない。
 しかも、自らの師匠を前にして、その言いよう。
 虎紅の師匠である幻撞翁だって、柚巴の使い魔だというのに。
 それを忘れるほど、虎紅は間抜けではないだろう。
 しかし、幻撞は、さすがといおうか、そんなことは気にもとめていない。
 何やら、愉快そうに、微笑を浮かべている。
 ただ、莱牙と紗霧羅が、いらだたしげに、舌打ちを繰り返している。
 その横で、やはり、一人、華久夜は考えこんでいて……。
 ふいに、ぽつりとつぶやいた。
「……決めたわ」
 それにはじかれるようにして、虎紅が華久夜を凝視する。
 そしてすぐに、虎紅も一言、つぶやいていた。
「わたしも、決めました」


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update:06/03/23