兆しの音色
(2)

 ざわざわと、ざわつく学校。
 ここ、私立翔竜崎高校は、二学期末テスト最終日を終えたばかりのよう。
 あちらこちらで、テストの重圧から解放された生徒たちが、楽しそうにはしゃいでいる。
 これから待っているテスト休みもそうだけれど、冬休みというとっておきのイベントを前にして。
 冬休みには、クリスマスもあれば、お正月もある。
 イベント目白押しのこの季節、自然、心もはずむというもの。
 ……その前に待っている、通知表という、とっておきに憂鬱なものは、あえて考えないことにして。
 最後のテスト、日本史を終え、柚巴も、いそいそと鞄に筆記用具をつめこむ。
 今日はこれから、家に直帰して、待っているはずの世凪の胸に飛び込んで……。
 そして、一緒にお昼をとる約束をしているから。
 近頃、世凪ではないけれど、柚巴もなんだか、一緒にいたくて仕方がない。
 ただ、そこに一緒にいるだけで、それだけでいい。
 常に、そこに、世凪を感じていないと、なんだか不安になってくる。
 その不安の原因にも、薄々気づいているから、その衝動はとめられない。
 ずっとずっと、一緒にいたいと願う。
 いつの間に、こんなに世凪を求めるようになっていたのだろうか。
 今では、世凪がそばにいないと不安になる。
 ずっとずっと、ともに生きよう。
 それだけを願い、望み、柚巴は世凪の胸の中へと飛び込んでいく。
「柚巴さん。期末テスト、どうでした?」
 筆記用具をつめこみ、鞄を持ち上げた時だった。
 ふいに、にこやかに微笑む甲斐に声をかけられた。
 そういえば、この甲斐というクラスメイトも、最近、何かといってはよく話しかけてくるようになった。
 なぜなのか……?と、不思議に思わないこともないけれど、それもクラスメイトなら普通のことかもしれない。
 庚子と多紀とだけ仲良くしていたあの頃とは違い……。
 多紀のその存在がすべての記憶から消されてより、柚巴への風あたりがやわらかくなったと感じるのは、気のせいだろうか?
 それは、それほどまでに、多紀の存在が大きかった……ということになるのだろうか?
 こんなことで、それを改めてつきつけられるとは、なんと皮肉なことなのだろう。
「――あ。あなたには、聞いていませんからね。松原さん。……聞かなくたって、わかりきっていますから」
 一緒に帰ろうと、帰り支度をすませた庚子が柚巴のもとまでやってくると、甲斐は早々に、そう言い捨てた。
「……ぶっつぶすっ」
 もちろん、庚子は机の陰で、握り拳をつくる。
 やってきて早々この言葉の攻撃とは、まったくもって甲斐もなめたまねをしてくれる。
 柚巴は、甲斐なんかより、庚子と一緒にいる方が、ずっといいに決まっているのに。
 ……と、そんなことを考えつつ、甲斐におしみないにらみを捧げてくれる。
「え? 別に、普通だよ?」
 柚巴も、庚子と甲斐の、そんな静かなるバトルに気づいているけれど、あえて気づいていないふりをして、平静を装う。
 内心は、間違いなく、いつバトルが激化するか、ひやひやなのだろうけれど。
 とりあえず、ここは、何事もなかったように流してしまうのがいちばんだと考えたのだろう。
 めらめらと闘志をたぎらせる庚子にさらっと背を向け、甲斐が柚巴に微笑みかけてきた。
「そういえば、終業式の日は、雪が降るそうですね。なんだかロマンチックだと思いませんか? ホワイトクリスマス……イブですね」
 その光景を思い浮かべるように、どこかトリップしたように言葉をつむぐ。
 そのような甲斐に、柚巴は、まるで珍しいものを見たかのように、まん丸と目を見開いてしまった。
 まさか、甲斐の口から、そのような言葉を聞くとは思ってもいなかったよう。
 それは、柚巴だけではなかった。
 ふいっと顔をそらしたそこで、庚子が、
「けっ。てめえが、ロマンチックだとかそんなキャラかよっ」
そう悪態をついている。
 それに、もちろん、甲斐も気づいたけれど、あっさりと、無視。
 庚子の存在すらも認めてやらないとばかりに、無視。
「……それで……柚巴さん。終業式の後、お暇ですか?」
 多少上目遣いに柚巴を見つめ、少してれたふうにそう聞いてきた。
 頬がほんのりと紅づいている。
「え?」
 しかし、柚巴は、甲斐のそんな控えめな態度の変化に気づいていない。
 どうしてそんなことを聞いてくるのか?と、まったくわかっていないように、首を大きくかしげる。
 ……まあ、柚巴はもともと、その日はお暇などではないけれど。
 だって、終業式といえば、クリスマスイブなのだから。
 それに、その日、雪が降るというのなら、楽しい予定があふれ出してくる。
 もし雪が積もれば、世凪と一緒に雪だるまをつくれる。
 もし雪が積もれば、使い魔たちと雪合戦ができる。
 もし雪が積もらなかったとしても……。
 ぱらぱらと落ちてくる雪を、みんなで眺めながら、お茶の時間……というのも、なんだか楽しそう。
 そして、その夜には、パーティーを開く。
 もちろん、そこには、世凪だけでなく、使い魔たちも、そして庚子もいて。
 一人、そんな楽しいことを考え、柚巴は思いをどこか遠くへとばしていく。
 それに気づいた甲斐が、控えめに、だけど頬をひきつらせつつ、問いかけてくる。
 きっとそれは、聞いてはいけないことだろうということは、なんとなくわかるけれど。
「だから、その〜……。あれなのですけれど? デートのおさそ――」
「あ……。また。……鈴……?」
 甲斐の二度目のチャレンジも、柚巴のそのつぶやきで、あっさりと打ち捨てられてしまった。
 二度目は、最後まで言わせてもらえず、遮られるかたちで終わってしまった。
 それに、がくんと肩を落とす。
 ……甲斐も、常々、柚巴は、どこかぼけっとしたところがあると思っていたけれど……まさか、ここまでとは思っていなかったらしい。
 まるで、その哀愁漂う背中が、そういっているようにも見える。
 どうやら、想像通り、柚巴は、その方面には、めっぽう弱いらしい。
 それが、まあ、かわいいとか思えてしまうのだけれど。
「どうした? 柚巴」
 そんなぼけっぷりを発揮し、無意識のうちに甲斐をうちのめしてくれた柚巴に、嬉しさと笑いをこらえつつ、庚子は問いかける。
 さすがの庚子だって、こんなに人のことをそっちのけにする柚巴は、あまり見たことがない。
 それに、その「また」という言葉のわけも気になる。
「あ? ううん。なんでもないの。庚子ちゃん」
 はっと我に返ったように庚子を見つめ、柚巴は苦笑まじりにそう答えた。
「そう?」
 だから、庚子も、何事もなかったように、とりあえずはそう答えておく。
 柚巴のその言葉、その反応、気にならないわけがないけれど、何ともないというのなら、無理に聞く必要もないだろう。
 柚巴には、庚子の想像も及ばないことがあると、庚子はいたいほど知っているから。
 限夢界と密にかかわるようになってから、柚巴はいろいろと変わってしまったから。
 それを、苦しいまでに知っている。
 本当に、限夢界なんかとかかわらないままの柚巴でいてほしかったけれど……だけど、きっと、それは、かなわぬ望みだとわかっている。
 あの男と出会い、そして心かよわせてしまったその時から。
 ……そろそろ、わりきらなければならないともわかっている。
 たとえ、あの男のものになったとしても、柚巴は柚巴のままだから。
 こうやって、今のように、庚子の友達をしている時の柚巴は、かわらず柚巴のままだから。
 柚巴が、どこか遠くへ行ってしまうということでもない。
 おさななじみの、あの男のように。
「ごめん。庚子ちゃん、甲斐くん。わたし、もう行くね。世凪が待っていると思うし」
 がばっと鞄を持ち上げ、柚巴はそう言うと、そそくさと扉の方へと走っていく。
 庚子と甲斐の返事も待たずに。
 まるで、何かに気をとられているように。
 そして、何かを追いかけるように。
「おい、こら。柚巴! ちょっと……」
 そのような柚巴に、庚子が慌てて声をかける。
 しかし、柚巴は、立ち止まるそぶりも、振り向くそぶりさえも見せない。
 そのまま、廊下の向こうへと走っていってしまった。
 それを見届け、庚子は呆れたように、諦めたように、額に手をあてる。
「ったく、あの小娘は。とうとう、そっちへはしりやがったか」
 そうぼやきつつ。
 そして、次の瞬間、とっても楽しいものを目のはしにとらえてしまった。
 庚子のすぐ横で、直立不動になっている、その男。
 甲斐が、柚巴が去って行った方をまっすぐに見つめ、微動だにしていない。
 それを見て、にや〜りと、顔がとっても愉快にゆがむ。
「ん? 何? 甲斐、あんた、もしかしなくても、相当ショックを受けている? ……くすくす。いいことを教えてやるよ。柚巴を待っているという奴はな、柚巴のいい人だよ。い・い・ひ・と」
 勝ち誇ったように、ここぞとばかりに、そう言ってみせる。
 それにも反応を示さない甲斐を見て、庚子は得意げに微笑む。
 それから、甲斐の前をわざと横切り、柚巴が出て行ったその扉を抜けて、廊下の向こうの方へと歩いていった。
 ゆっくりと、嬉しそうに。
 どうやら、甲斐に勝てたと思って、満足しているらしい。
 足取り軽く――むしろ、スキップまでしてしまいそうな勢いで――歩き去る庚子を見送りながら、甲斐が口のはしに笑みを浮かべていたことなど、当然、庚子は知らない。
「……そんなことくらい、言われなくてもわかっていますよ。松原さん」
 そうつぶやき、意味深長に微笑む。
 そして、甲斐も、ゆっくりと教室を後にしていく。


 ぱたぱたと廊下をかけ、昇降口から飛び出した時だった。
 ふいに、それまで聞こえていた音色が、ぴたっとやんだ。
 同時に、かけていた柚巴の足も、ぴたっととまる。
「……やんだ?」
 多少息をあらげながら、そうつぶやく。
 そして、不思議そうに空を見上げる。
 空は、青く高く広がっている。
 先ほどから、ずっと続いていた、あの不思議な音。
 はじめて聞いたのは、たしか、比礼界の森の中、馬上だった。
 あの時も、そうだった。
 今のように、それは柚巴にしか聞こえていなかったようで……。
 今回もまた、そうだろう。
 あんなにはっきりと聞こえていたのに、一緒にいた庚子も甲斐も、それには気づいていなかったようだから。
 そして、教室を飛び出し、ここまでやってくる間も、それに誰一人として気づいていなかったよう。
 ――幻聴?
 ……いや。あれは、やはり、柚巴にしか聞こえていなかった?
 何しろ、その音色は、こんなにかけても、大きさがかわることがなかったから。
 一定の音量を保ち、ずっと頭の中で響いていた。
「あの鈴のような音。一体、何なの? ここのところ、ずっと聞こえるあの音色……」
 そこまで思いがいたり、ぞくりと体がふるえた。
 一気に、恐怖に似た寒気が襲ってくる。
 正体不明の不安が押し寄せてくる。
 本当に、訳がわからない。
 どうして、こんな音色が聞こえるようになってしまったのか。
 あの日から、ずっと続いている、この不可解な音色。
 あの鈴のような、錫丈のような音色は、柚巴に何かを伝えようとでもしているのだろうか?
 それとも、考えすぎ?
 わからない。
 音色の正体がわからないことには、身動きすらとれない。
 あの音色は、何かの吉兆? それとも……凶兆?


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update:06/04/04