優しく移りゆく
(2)

 私立翔竜崎高等学校。
 校舎の外では、はらはらと雪が降っている。
 それは、昨夜からずっと続いていて、まるで降りやむことを知らないかのよう。
 景色はすでに、雪化粧が施されている。
 木の枝に積もった雪が、その重みにたえ切れなくなり、ばさりと地面に落ちる。
 昨夜から降り続いているこの雪は、どうやら予報通り、大雪をプレゼントしてくれるらしい。
 これでは、のんびりとはしていられない。
 交通が麻痺(まひ)しないうちにと家路を急ぐ生徒たちの姿が、あちこちにある。
 しかし同時に、これから待っている特別なイベントに、心躍らせているのかもしれない。
 何しろ今日は、ホワイトクリスマス……イブ。
 ぽんと傘をひらき、そこで降ってくる雪を遊ばせる。
 そうかと思うと、傘なんて放り出して、その雪の中に身をまかせる生徒もいる。
 それぞれに、珍しく降り積もっているこの大雪を楽しんでいるよう。
「柚巴。このまま行ってもいいのだよね?」
 十二月二十四日。
 終業式を終え、昇降口までやってきた庚子が、柚巴にそう声をかけた。
 のろのろと靴をはきかえる柚巴を、いつものこととながめながら。
「うん。きっと、みんな待っていると思うよ」
 ようやく、片方だけ靴をはきかえて、柚巴は満面の笑みを浮かべる。
 これからの、楽しいパーティーを想像して。
 その微笑みに、庚子は一瞬ぐらりときてしまった。
 いつ見ても、いつ向けられても、柚巴の微笑みは、一撃必殺で庚子を悩殺してしまう。脅威の破壊力。
 近頃、その威力がさらに増してきたように感じるから、不思議で仕方がない。
 もちろん、以前から、柚巴が好きで好きで仕方がなかったけれど……。
 最近のそれは、どうやらまた別の種類になりつつあるような気がする。
 どうして、こんなに愛しいと感じるのだろうか。
「っていうかさあ、柚巴。あんたいいの? どこかのドスケベ王子様と二人きりのクリスマスじゃなくて?」
 下駄箱に背をもたれかけ、いまだ必死に靴をはきかえている柚巴を見下ろす。
 そろそろ退屈しはじめてきたのか、右足がコツコツと床をたたいている。
 柚巴がとろくて鈍くさいのは今にはじまったことではないので、庚子もこれくらいでいらいらしたりはしない。
 けれど、退屈なものは退屈。
「どうして? みんなと過ごす方が楽しいじゃない?」
 ようやく靴をはきかえた柚巴が、すっと立ち上がり、不思議そうに庚子を見つめる。
 それを見て、庚子ははあっと大きくため息をもらしてしまった。
「……もういい。――今回ばかりは、同情するよ」
 そうぽつりとつぶやいて。
 もちろん、誰に同情するかなんて言わなくてもわかる。
 ……いや。言いたくなどない。
 だって、あいつ。あの俺様王子様。
 世凪でなくたって、恋人と名のつく相手がいる者ならば、誰だって、今日のこの日を、その大切な人と二人きりで過ごしたいと思うだろう。
 ……なのに、このにぶちん娘ときたら。
 しかしまあ、あんなケダモノと二人だけのクリスマス……イブを過ごされては、思いっきり望まぬ事態になりそうなので、あえてそれ以上は言及も後押ししたりもしないけれど。
 ……むしろ、すでに、望まぬ事態になっている。どこかの王子様と婚約しちゃったという時点で。
 そう思うと、おもしろくない。
 急に不機嫌になった庚子に、柚巴はやっぱり不思議そうに首をかしげる。
 そんな頼りない柚巴の腕をひき、庚子は昇降口の出口へとずんずんと歩いていく。
 やっぱり、おもしろくない。
「あ。忘れ物しちゃった」
 ぽんと傘を開いた時だった。
 急に動きをとめた柚巴が、そうつぶやいていた。
「とってくるから、庚子ちゃん、先に帰っていて」
 そして、くるんと踵を返し、すでに下駄箱へと引き返している。
「え? でも、待っているよ……」
「いいよ。遅くなりそうだし、先に帰ってみんなと楽しんでいて」
 いそいそと、また靴をはきかえはじめる。
 忙しない。
 たしかに、靴一つはきかえるのにもあんなに時間がかかっていたら、どれだけ待たされることになるかわからない。
「え? ああ、うん……。じゃあ……」
 そう思い、あまりすすまない気持ちで、庚子は流されるように承諾していた。
 たしかに、この大雪では、時間がたてばたつだけ、道は歩きづらくなる。
 柚巴ならば、放っておいても、心配した使い魔の誰かがむかえにくるだろうし、まずは心配ないだろう。
 外は、すっかり吹雪いている。


「庚子さん、いらっしゃい。……あれ? 姫さまはどうされたのですか?」
 御使威邸の玄関に入ると、にこやかに微笑む麻阿佐に出迎えられた。
 しかし、次の瞬間には、そうやって、庚子ではなく柚巴へと、麻阿佐の意識は移っていた。
 庚子は、それに少し苦笑をにじませる。
 わかっていることとはいえ、こうもあからさまにされると、庚子だって少しくらいはおもしろくない。傷つく。
 まあ、それが、この御使威邸の使い魔たちなので、今さらおもしろくなくなっても仕方がないのだけれど。
 そうとわかってはいるけれど、やはり、どうにも、頭と心は、連動してくれないらしい。
 もやもやとした、よいとは思えない感情が胸を侵食していく。
「柚巴は後から帰ってきますよ。忘れ物をしたとかで、取りに戻ったので」
 庚子はそう言うと、自分の体にまとわりついている雪に気づき、困ったように首をかしげる。
 気づかなかったとはいえ、玄関の中まで雪を一緒に連れてきてしまったことに、ちょっぴり罪悪感を抱き。
 入る前に雪を払い落としてくるべきだったと、すいっと一歩後退する。
「そうですか……」
 そのような庚子の前で、麻阿佐ががっくりと肩を落とす。
 それを見た庚子は、少し複雑そうに微笑んでいた。
 本当に、ここの使い魔たちは、柚巴が好きで好きで仕方がないらしい。
 そんな庚子の頭に、いきなり、ふわりとバスタオルがかぶせられた。


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update:06/04/29