優しく移りゆく
(3)

「え……?」
 そうやって驚きの言葉をもらした時には、すでにそのままがしがしと頭を拭かれてしまっていた。
「雪がどっさり積もっているじゃないか。ほら、さっさと落として」
 かぶせられたバスタオルの隙間からのぞいてみれば、そこでは、紗霧羅姐さんがにかっと笑っている。
 そして、その言葉通りに、遠慮なく、この場でぱんぱんと服にまとわりつく雪を落としていってくれている。
 それを慌ててとめようとすると、紗霧羅が見事に阻んでくれる。
 床は後で拭いておくから気にするのじゃないよ、とばかりに。
 庚子は、やっぱり驚いたように紗霧羅を見つめてしまう。
 だって、これが柚巴ならわかるけれど、自分は柚巴じゃないのだから。
 柚巴なら、使い魔たちだって、問答無用で甘やかすだろう。大切に扱うだろう。
 しかし、自分は柚巴ではない。
 柚巴ではない庚子にまで、こんなに優しくしてくれている……?
 それも、当たり前のように。
 ぽっと、胸の奥の方があたたかくなる。
 驚く庚子になんてかまわず、紗霧羅姐さんはやっぱり、男前に雪を落とし、ぬれた庚子の髪をわしゃわしゃと拭いていく。
「それにしても、すごい雪ですね。庚子さん、大丈夫でした?」
 ようやくバスタオルから解放された庚子に、由岐耶が心配そうに話しかけてきた。
 柚巴ではなく、庚子を労わってくれている。
 それが、容易に伝わってくる。
 その事実が、庚子の胸を、もうちょっとだけあたたかくしてくれる。
 ……どうやら、庚子もちゃんと、使い魔たちに受け入れられているよう。
 柚巴のおまけとしてではなく。
 それが、つかみどころのない嬉しさを、庚子の胸に広げていく。
 これまで、感じていた疎外感が、すうっと晴れていく。
 同時に、柚巴に感じていた、近いけれど遠い存在……。
 そんな淋しい思いも薄れていく。
 自分もともに、その場を共有してもいいのだと感じ。
 ずっとずっと欲しかったこの場所。
 柚巴と世凪が出会ってから感じていた、とりとめのない淋しさ。
 もう柚巴は庚子のものではなくなった……。
 そして、みんなのものでもなくなった……。
 そう感じていたけれど、それでも別にいいのではないか。
 それが、もう苦痛ではないように感じる。
 だって柚巴は、こうやって、庚子を含めた、みんなのもの、そう思えるようになったから。
 本当は、たった一人の男のものになってしまっているけれど。
 真実と現実は、必ずしも同じとは限らない。同じでなくてもかまわない。
 そう思えるようになったのは、きっと、この使い魔たちが、庚子にも優しさをくれるからだろう。
 柚巴というたった一人の少女が、庚子にこんなにたくさんのぬくもりを運んできてくれる。
「え? ああ。まあ、わたしは大丈夫だったけれど、柚巴はどうかな? だんだん強くなってきているし、何よりも、柚巴は鈍いから」
 頭から除いたバスタオルで顔をふきながら、庚子はあっけらかんとそう言い放った。
 からかうように、試すように。
 瞬間、紗霧羅も由岐耶も麻阿佐も、かちーんとかたまっていた。
 どうやら、庚子の言葉は、嫌というほど、これでもかというほど、的を射抜きまくっていたらしい。
 ……たしかに、柚巴ではとってもとてつもなく心配……。
 そのまま、雪の中に埋まってしまいかねない。
 ころんころんと雪の上をころがり、雪だるまになりかねない。
 使い魔たちの顔から、さあっと色が失せていく。
「あっちゃあ。そうだったよ。あの子は〜……」
 頭を抱えた紗霧羅が、へなへなへな〜とその場にしゃがみこんでしまった。
 このような大雪だというのに、すっかりそのことを失念してしまっていた。
 柚巴は、普通ではなかった。
 普通よりも、鈍かった。
 下手をすれば、この大雪の中、「わあ、雪だあ。すご〜い」とか何とか言って、ぽけらっと観賞してしまいかねない。
 すっかり弱りきってしまった紗霧羅に、庚子は苦笑いを浮かべる。
 なんだか、不思議な気分。
 使い魔に……紗霧羅に、こんなに親近感を抱いてしまうなんて。
 はじめて会った時は、あんなに受け入れ難いと思っていたのに。
 今では、こうやってともにいることが、まるで当たり前のように思えてしまう。
 それにしても……もっと慌てるべきなのに、どうして庚子は、今こんなにも落ち着いていられるのだろうか。
 ……これはもしかすると、使い魔たちに庚子が認められただけではなく、庚子も使い魔たちを認めたということになるのだろうか?
 使い魔たちに、柚巴をとられたような気がして、ずっとずっとおもしろくなかった。
 だけど今は、こうやって柚巴のことを思い、一喜一憂する使い魔たちを、不思議に微笑ましく思えてしまう。
 きっと、同じ思いを抱いている。
 いつの間に、庚子の中で、こんなに抱く思いがかわっていたのだろうか。
「大丈夫ですよ。今から、わたしがむかえに行ってきます」
 弱りきってしまった紗霧羅に、由岐耶が平然とそう言ってきた。
 その手は、もうそれが決まっているとばかりに、玄関扉にかけられている。
 うっすらとあいた扉の隙間から、冷たい空気が流れ込んでくる。
「え? あんたが?」
 頭を抱えしゃがみこんだそのままで、紗霧羅は怪訝な視線を由岐耶に向ける。
「ああ。……わたしでは、何か不都合でも?」
 妙に冷たい視線を由岐耶が流してくる。
 まるで、今開けられたばかりの扉の向こうの景色のように。
 有無を言わせぬ視線を向けてくる。
 その視線に、思わず、一瞬、身震いしてしまう。
「……いや……。そうじゃないけれど……。じゃあ、頼むよ」
 由岐耶の普段とは違うその雰囲気に、紗霧羅はそう答えることしかできなかった。
 どこか釈然としない思いを胸に抱き。
 ……何かが、変わり……狂いはじめようとしている?
 これまで均衡のとれていた、何かが――
 正体不明の不安が、紗霧羅の胸に襲ってくる。
 それは、紗霧羅だけではなかったかもしれない。
 麻阿佐もどこか複雑そうな表情をたたえ、由岐耶を静かに見つめていたから。
「庚子さんは、何かあたたかいものでも飲んで、体をあたためていてくださいね。風邪をひかれると、我々が姫さまに叱られますので」
 由岐耶はそれだけを言い残し、ゆっくりと扉を閉めていった。
 真っ白い景色の中、平然と歩みを進めていく。
 紗霧羅と麻阿佐とは異なり、庚子だけは、そんな由岐耶の言葉に、驚いたように、だけどどこか嬉しそうに、破顔していた。
 ぽっと、心のどこかに、ろうそくの灯がともる。
 柚巴をとりまく空気は、どうしてこんなにもやわらかくてあたたかいのだろう。
 そして、その優しい空気の中に、庚子もいられるというそのことが、何よりも嬉しい。


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update:06/05/07