口づけ狂想曲
(1)

「……」
 言葉を失い、昇降口の扉前で呆然と立ちつくす柚巴の姿があった。
 庚子たちの心配をよそに、柚巴はこの大雪の中、外に出るというそんなむちゃはさすがにしていないらしい。
 柚巴にしては、賢明な判断かもしれない。
 しかし、だからといって、問題が解決したことにはならない。
 この大雪の中、どうやって帰宅すればいいのか……。
 前のまったく見えないこの状態で外に出るのは、さすがに自殺行為ということくらい、柚巴にだってわかる。
 きっと、庚子に事情を聞き、柚巴の帰りが遅いことを心配して、使い魔の誰かがむかえにきてくれるだろうと思うから、このまま大人しくここで待っておくのがいちばんだと、そう頭ではわかっている。
 だけど、そうやって、甘えてしまっても良いものだろうか?
 せっかく、最近、使い魔たちに頼ることが少なくなってきたというのに……。
 結局、詰めの甘いところは以前とかわらないままらしい。
 ガラス扉の向こうに広がる吹雪の世界に、ぶるるっと体をふるわせる。
 柚巴が教室に忘れてきてしまったものは、冬休みの課題プリント。
 そんなつまらないもののために引き返し、今のこのような状態におかれている。
 そう思うと、情けなくって仕方がない。
 本当に、なんて柚巴は抜けているのだろう。
「どうしよう? これじゃあ、帰れないよね。みんな待っているのに……」
 白くくもったガラス扉に、そっと手を触れる。
 くもりのとれたその小さな窓から、恨めしそうに、勢いを増す雪を見つめる。
 ホワイトクリスマスだとはしゃいでいた今朝が、今では懐かしい。
 校舎の中は、もうみんな帰宅してしまった後のようで、しんと静まり返っている。
 やっぱり、みんなは賢い。
 こうなることを見越して、放課後のおしゃべりに興じることなく帰っていったのだろうから。
 それが、体だけでなく、心までも寒くしてしまう。
 昇降口のここでは、吐き出す息まで白くなる。
 マフラーに、顔をうずめる。
 次第に、胸が不安と淋しさに侵食されてくる。
 そのうち、使い魔の誰かがむかえにきてくれるとわかっていても、それまでの時間が、とても長く感じる。
 そして、その時間が、どんどん淋しさを運んでくる。
 そう思うと、普段どれだけ、使い魔たちにかこまれ、楽しい時間を過ごしていたのか、それがどれだけ大きなものだったのか、改めてつきつけられるような気がする。
 一人になることがこんなに悲しくて辛いことだったなんて、今まで知らなかった。
 世凪と出会うまでは、それは普通のことで、それが当たり前だと思っていたのに……。
 それが、今ではすっかり普通ではなくなってしまっている。
 いつもそばに、誰かのぬくもりがあることが当たり前になってしまっている。
 一度ぬくもりを知ってしまったら、もうそれなしでは生きていけない。
 そう思うと、使い魔たちに課せられた、あの代償の意味がわかるような気がする。
 一度人間のぬくもりを知ってしまった使い魔が、二度と契約を結ぶことができなくなるというあの代償。
 それが、どれだけ彼らにとって、酷であるかということが。
 頭ではわかっていたけれど、心ではじめてそれを実感したような気がする。
 それが、どれほど大きなものだったかということを。
 人のぬくもりは、時に人を強くしてくれるけれど……それを失った時、とりかえしがつかなくなるほど壊れてしまうのかもしれない。
 だけど、だからって、それを手放したいとはもう思わない。
 いらないとも思えない。
 ……ううん、手放すことなんてできない。
 そんなリスクを負いながらも、やっぱり求めてしまう。
 大切な人の、その優しいぬくもりを。
 人は……人だけでなく限夢人も、きっと誰かのぬくもりなしには生きていけないだろう。
 一人が平気なんて、そんなことは、もう決して思えない――
 こみあげてきた感情を必死におさえるように、柚巴はきゅっと唇をかんだ。
 その時だった。
 ふわりと、柚巴を包み込む、あたたかなものがあった。
「え……?」
 いきなりのその出来事に、柚巴は思考も体もとめてしまった。
 このぬくもりは……知っている。
 だけど、今いちばん欲しいぬくもりではない。
「姫さま。お待たせしました。さあ、帰りましょう」
 コートの上から、ショールがかけられていた。
 そして、見上げると、そこには優しく微笑む由岐耶の顔がある。
 目を見開き、ぼんやりとその優しい顔を見る。
「え? 由岐耶さん……? 由岐耶さんがむかえにきてくれたのですか?」
 かけられたショールにあたたかそうに顔をうずめながら、柚巴が不思議そうに由岐耶を見上げる。
 むかえにくる使い魔は、紗霧羅たち柚巴の使い魔の誰かか、自分がむかえにいくとだだをこねた世凪のどちらかだと思っていた。
 ……いや。どちらかなどではなく、絶対に世凪だと思っていた。
 なのに、今こうやって目の前にいるのは、由岐耶で――


 御使威邸。
 すっかりクリスマスにそまったそのリビングで、どこかの王子様が、落ち着きなく、行ったりきたりしている。
 それはどうしてなのか……なんて、言わずと知れたこと。
 もちろん、この王子様は、愛しの柚巴の帰りを、いまかいまかと待っている。
 そんな王子様を、呆れ顔で、傍流王族さまは見ている。
 どすんとソファに身を沈め。
 こういう世凪を見ていると、ぶっ飛ばしてやりたくなるが……。
 だからって、それは八つ当たりだとよーくわかっているので、そんな格好悪いことはしない。
 これ以上、無様に、情けなくなりたくはないから。
 このムカつく王子に、柚巴をとられてしまった……というだけで、こんなに腹が立つのだから。むしゃくしゃするのだから。
 これ以上、怒りをあおいでくれるな。
「……あらら〜。やっぱり、こうなっていたか」
 庚子を連れて、紗霧羅と麻阿佐がリビングへとやってきた。
 そして、いちばんはじめに目にしてしまったものが、それ。
 いちばん見たくなかったけれど、しかし嫌というほど想像できてしまっていたこの光景。
 リビングところ狭しと、そわそわと歩きまわる王子様の姿。
「紗霧羅! 柚巴が帰ってきたのか!?」
 紗霧羅の気配を感じるとすぐに、王子様は目を輝かせ、扉へと振り向いた。
 しかし、すぐにその顔は、むっつりと不機嫌になっていく。
 おまけに、けっとはき捨ててくれる。
 ……まったく、失礼王子様。
「なんだ。庚子だけか。柚巴がいないのに、どうしてお前がここにいる」
 さらに、そんな悪態まで遠慮なくつく始末。
 もちろん、瞬間、庚子はぶっつりと額の青筋をぶっち切っていた。
「あんたがそんなのだから、柚巴は愛想をつかしたのだよ」
 そして、鼻で笑うように、そうはき捨てる。
 わかっていたこととはいえ、柚巴しか見えていないこの王子様の言動は、ムカつく。ムカつきまくる。
「……庚子……。貴様、死にたいか?」
 瞬間、世凪は手の中に炎の玉をつくっていた。
 相手が人間だろうが何だろうが、地雷を踏んでしまった奴には容赦はない。
 そう。たとえそれが、柚巴の大切な人であろうと……。
 ――って、え……?
「嗚呼、もう。落ち着けって、世凪。柚巴は、まだ学校だよ。今、由岐耶がむかえに行っているから、すぐに帰ってくるよ」
 ぎんぎんと喧嘩をふっかける庚子を自分の陰に隠し、紗霧羅は疲れたようにそうこぼす。
 本当に、そろそろまた頭が痛くなってきた。
 どうしてこの王子様は、こうなのだろうか。
 柚巴しかその目に入っていないにもほどがある。
 ……まあ、それが世凪なのだから、今さらとりたてて何かを言おうとは思わないけれど。
 それにしても、もう少しくらい、穏便にできないものだろうか。
「……何だと!?」
 紗霧羅のその言葉がもたらされた瞬間、世凪を覆っていた気が張り詰めた。
 そして、ぼんと炎を上げる。
「もうっ。世凪! こんなところで火なんて出さないでよ。火事になるでしょう!」
 それに、華久夜がすかさず怒鳴り声をあげるが、世凪の耳にはすでに何も入らなくなっている。
 ぎりりっと奥歯を砕けんばかりにかみしめ、憎らしげに(くう)をにらみつけている。
 そして、次の瞬間には、世凪の姿がその場から消えていた。
「……あははっ。やっちゃった……?」
 それを見て、紗霧羅がぽりぽりと頭をかく。
 つうっと額から、一筋の冷や汗が流れる。
 使い魔たちは、はあっと大きくため息をもらし、紗霧羅のその言葉を肯定する。
 「やってしまいました……」と。
 どうやら、地雷どころの問題ではなくなってしまったらしい。
 暴走した世凪の姿が、嫌というほど目に浮かぶ。
 たしかに、今のは思いっきり失言だった。
 何しろ、由岐耶が柚巴をむかえにいったということは……それはすなわち、柚巴と由岐耶は、今、二人きりでいるということだから。
 やきもちやき独占欲のかたまり王子様が、放っておくはずがない。


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update:06/05/16