禁断の願い
(2)

 夜の御使威邸。
 そこに、いまだ帰らぬ由岐耶の姿がある。
 使い魔たちがリビングを後にした頃、由岐耶は帰ってきていた。
 そして、そのまま、ある一室へと足を向ける。
 今頃、リビングでは、楽しいパーティーが行われているだろうと、そう信じきって。
 御使威家当主、御使威弦樋の書斎の扉が、静かにノックされる。
 するとすぐに、中から誰何の声がかかり、入室の許可も下りた。
「失礼します」
 そう一言断って、由岐耶はその書斎の扉を開ける。
 扉から入ってきた由岐耶は、どこか重々しい空気をまとっていた。
 ……緊張の空気といってもよいかもしれない。
 それに、弦樋は、かすかに眉を寄せる。
 常にない由岐耶のこの緊迫した雰囲気に、訝しく顔をゆがめる。
 一体、何のためにやってきたというのだろう。
 今頃は、みんなでクリスマスパーティーをしている頃だろうに。
 やはり弦樋もまた、そのパーティーが中止されてしまっていることなど知らない。
 ……いや。そうではなく、弦樋には、今この場に由岐耶が現れたその理由(わけ)がわかりかけている?
 だって、その表情は、雰囲気は、とても辛そうで、だけど何かを決意したようなものだから。
 弦樋には、皮肉にも、思い当たる節がある。
「マスター。お話があります」
 扉を閉めると同時に、由岐耶は険しい眼差しで弦樋をまっすぐに見ていた。
 まるで、射抜くように。
 まっすぐとそらすことなく。
 決意の眼差しを向ける。
 ……やはり、やってきた。
 そのことが告げられる時が。
 いつやってくるのかと、ずっとその時を待っていた。
 だけど、それには気づかないようにしていた。
 それが、とうとうやってきた。
「由岐耶……?」
 その並々ならぬ緊迫感に、弦樋は眉をひそめずにはいられなかった。
 もうわかっているのに、弦樋にも、もう決意はできているのに……。
 どうして、心とは裏腹に、表情はこんなに険しいのだろう。
 どうして、こんなに素直に現れてくれるのだろう。
 ……なんて、自らがあさましいのか。憎らしいのか。
 話とは、一体何なのだろうか?
 ほら、そのように、まだ頭のどこかが言っているから。
 本当は、わかっているのに。
 由岐耶から伝わってくるその気は、苦しそうで、切なそうで、だけど確固たる決意も感じる。
 由岐耶は、弦樋に何を伝えるというのだろう?
 ……ただ一つわかることは、それは、彼ら使い魔にとっては、相当の決意がいることだろうということだけ。
 由岐耶の様子から、それだけはわかる。
 そして、弦樋もまた、それを待っていたのかもしれない。


 柚巴も世凪もまた、リビングを後にしていた。
 あんな広い場所で二人きりでいても、何だか落ち着かなくて。
 余計、淋しさや苦しさだけが広がる。
 容量が多い部屋では、それだけ負の感情もあふれてしまう。
 だけど、同じ広いにしても、ここなら、柚巴の私室なら落ち着ける。
 そこは、彼らがいつも、二人きりで優しい時間を過ごすところだから。
 閉められたカーテンの隙間から、白いほのかな光が入ってくる。
 それは、恐らく、わずかな光をうけた、舞い落ちてくる雪の輝きだろう。
 真っ暗な部屋。
 光は、雪降る外から届けられるものだけ。
 ベッドに腰かける世凪。
 その世凪の開いた足の間に、ちょこんと柚巴を座らせている。
 そうして、そんな柚巴を、後ろからぎゅっと抱きしめて。
 ふわりと、世凪の短くなった髪が、柚巴の頬をくすぐる。
 それに、柚巴は、ちょっとすくぐったそうに、だけど気持ちよさそうに目を細める。
 どうして、こんなに優しいのだろう。
 触れる、この血のように赤い髪は。
 もう、昼間のことは忘れるように、気にしないように、体いっぱいで導いて。
 もちろん、世凪だって、昼間のことを思い出しただけで腹が立つ。由岐耶を殺してしまいたい衝動にかられる。
 だって、それくらい、赦せないものだから。
 だけど、それでも、いちばん辛いのは柚巴だとわかっているから、だから、今は柚巴の心を守ることだけを考える。
 それに、こうして柚巴に触れているだけで、世凪も心が満たされるから。
 柚巴以外は、どうでもよく思えてしまうほど。
 ただ、この愛しい少女を失ったら、世凪は普通でいられなくなるというだけ。
 だから、失わずにすむのなら、世凪は、あんなことくらい、犬にかまれたようなものと思い、我慢することができる。
 ……いや。我慢しなければならない。柚巴を失わないためにも。
 ただ……やっぱり、柚巴はそうはいかないかもしれないけれど。
 頬に触れるその髪に、柚巴はそっと触れてみる。
 気づいていたけれど、気づかなかった、その優しい感触を楽しむように。
 世凪の髪が優しいことも、くすぐったいことも、柚巴はずっとずっと知っていた。
 だけど、知っていたのに、今この時まで、それに気づかなかった。
 それが、当たり前だったから。
 このあたたかな腕に抱かれ、ぬくもりを伝えられることが当たり前だったから。
 ふわりと触れる柚巴の手をとり、世凪はどこか意地悪っぽく微笑んでみせる。
 少しでも、柚巴にいつもの調子を取り戻してもらいたくて。
 だから、あえて、からかいがちに振る舞ってみせる。
 それがきっと、今の世凪にできる、精一杯のなぐさめなのだろう。
 世凪もまた、不器用にしか恋ができないから。
 不器用にしか、誰かを大切にできないから。
「柚巴。一体、誰のために、俺の髪がこんなに短くなったと思う?」
 きゅっとにぎりしめた手にキスを落とし、必要以上に艶かしい視線を送ってみる。
 世凪に、こんな芸当ができたのかと思うほど、それは自然にやってのけられてしまう。
 そんないつもとはちょっと違う――本当に?――世凪に、柚巴はどきんと胸を高鳴らせてしまった。
 由岐耶のことで、悩んでいるはずなのに。
 それなのに、なんて不謹慎なのか。
 でも、そんなことが吹き飛んでしまうくらい、今の世凪の視線は柚巴をとらえてしまう。
 キスされた手が、妙に熱を感じてしまう。
 もっと、そうして触れていて欲しいと。
「え? でも、あれは……」
 どきまぎと、どうにかそう言葉をつむぐ。
 世凪の振る舞いにも、そして柚巴の抱いてしまった感情にも。
 だけど、このまま世凪に流されていては、いけないような気がして。
 それは、直感的に察知した、危険信号。
 身の危険を感じる。そういう意味で。
「お前を助けるために、俺の髪が……」
 にやりと微笑み、もう一度にぎったままの柚巴の手にキスを落とす。
 するともちろん、柚巴はかあっと顔を真っ赤にして、ぷいっと顔をそらしてしまった。
 嬉しいはずなのに。もう一度と望んだはずなのに。
 ……いや、だからこそ?
 にぎられた手を、ふりほどこうとしなくて。
 それどころか、世凪の胸の中から逃げ出そうともしていない。
 世凪がこれからしようとしていることを、もうわかってしまっているのに。
「どうして今頃、そんなことを言うの?」
 悔しそうに、じいっと世凪を見つめる。
 逃げられないから。
 そして、次の瞬間、何かに気づいたように、世凪を凝視していた。
「あ! もしかして、使う機会をうかがっていたとか!?」
 その言葉と同時に、世凪の顔は、無駄にさわやかな微笑みを浮かべていた。
 ということは、やはり……。
「世凪のばかあっ!」
 悔しそうに、柚巴はそう叫ぶ。
 柚巴の予想は、間違っていなかったらしい。
 間違いなく、図星だったらしい。
 的のど真ん中を射抜いてしまった。
 ……悲惨なことに。
 それが、どんなに危険なことかなんて、柚巴でもすぐにわかってしまう。
 わからないはずがない。
 それはすなわち……世凪に、実によい口実を与えてしまったということだから。
「悪いと思うなら、俺の言うことを聞くのだな」
 そうして、今度は、柚巴のその憎まれ口をたたく唇を、世凪は狙ってくる。
 どうにか抗おうと、柚巴は必死に世凪の顔をおしのける。
 だけど、その手はすぐに、あっさりとつかまってしまって……。
 愛しそうに、世凪の手に包まれる。
「また、そんなめちゃめちゃなことを言うし! 世凪のいじわる……」
 瞬間、不平をもらす柚巴のその口はふさがれていた。
 重ねられた、それによって。
 その体はゆっくりとベッドに横たえられ、変わらず、言葉をつむがせてはくれない。
 だけど、その行為がとても嬉しくて、幸せで、抗えない。
 このぬくもりを失うことができなくて。
 失うことなんてあり得なくて。
 重ねたそこから伝わってくるそのぬくもりが、とても愛しい。
 やっぱり、柚巴にはこの人しかいない。
 ベッドカバーに、柚巴のやわらかな髪が流れる。
 とっぷりと、スプリングの中にしずめられる。


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update:06/06/14