繰り返される悲劇
(2)

「もうずっと、わたしはあなたを守りたかった。その願いを、マス……弦樋さまはかなえてくださいました」
 ふわりと切なげに微笑み、由岐耶は静かにそれだけを告げる。
 きゅんと、柚巴の胸がしめつけられる。
 ぎりっと、柚巴の心がきしむ。
 切なくて、苦しくて、どうしようもなくて……。
 ぐいっと世凪の胸に、顔をおしつける。
 世凪も、胸の内は、恐らく、ぐつぐつと煮えたぎっているだろうに、それを必死に隠して、柚巴を優しく抱きしめる。
 そうすることが、柚巴にとっていちばんよいと判断して。
 そこまで言われてしまったら、柚巴にだって、それ以上何も言えなくなってしまう。
 それが、由岐耶の望み……願いだというのなら。
 それは、いつから……?
 いつから、そのようなことになっていたの……?
 聞きたいことはたくさんあるけれど、だけど聞くことはためらわれる。
 聞いてしまえば、もっともっと苦しくなるような気がする。
 気づかなかった。
 気づけなかった。
 ずっと、そんな思いを由岐耶が抱いていたなんて。
 それは、どんなに辛く、苦しいことだっただろうか。
 抱く思いを口にできない辛さは、わかってしまうから。
 あの思いだって、昨日告げられてはじめて気づいたのに。
 同時に、さらわれた唇に、苦しみを感じて。
 触れた唇からは、由岐耶の苦しみしか伝わってこなかった。
 これまでずっと隠してきた、その思い。その苦しみ……。
 きっと、今こそ、きちんと向き合わなければいけないのだろう。
 まっすぐと思いを伝えてきてくれたのだから、それに答える義務が柚巴にはある。
 契約解消ということが、どんなに重大なことかわかっているから……。
 そんな大きな壁をこえ、由岐耶はこうして柚巴に向き合っている。
 そして、それを許した弦樋の思いもいたいほどよくわかる。
 本当は、契約解消などしたくなかったはず。
 だって、弦樋もまた、使い魔とかそういうものは関係なく、一人の人として、由岐耶を大切に思っていたはずだから。
 だけど、由岐耶を思い、由岐耶の気持ちを大切にして、そう決断したのだろう。
 また、新たに契約を結ぶことができる……ということは、それは、由岐耶から告げられたものではなく、弦樋から告げられたもので……。
 弦樋は、そうして、由岐耶の願い……思いを守ったのだろう。
 使い魔からの契約解消は、タブー――
 世凪の胸に顔をうずめ、柚巴はそこで、小さく一度うなずいた。
 すなわち、それが、契約承諾の証。
 由岐耶の思いを受け入れた証。
 契約が結ばれた瞬間。
 柚巴のその小さな返事に、由岐耶は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべた。
 嬉しくて、嬉しくて、嬉しすぎて……。
 ようやく、願いがかなって……。
 ようやく、その思いが昇華の時へとむかっていけて……。
 願いは、一つ。
 柚巴のそばで、柚巴を見守っていくこと。
 それは、使い魔にならなければかなわぬこと。
 使い魔になれば、契約した人間がその生を終えるまで、ずっと見守ることが許される。
 十七年前のあの日、手に入れた思いが、ここまで成長した。
「……姫さま。一生お守りします」
 消え入りそうな声で、そうつぶやかれる。
 はりつめていた空気が、やわらいでいく。
 差し込むこの陽光も、もうちくちくと肌をささない。
 その時だった。
 朝食を再開させていくダイニングに、いきなり虎紅と幻撞が現れた。
 しゅるんと、景色の中から飛び出して。
「世凪! わかりましたよ。例の比礼の持ち主が……!」
 そして、現れるやいなや、そう叫んでいた。
「何!?」
 もちろん、即座に世凪は反応していた。
 胸に柚巴を抱いたまま、すっくと立ち上がる。
 その場にいた他の使い魔たちも、何事かと、現れたばかりの虎紅と幻撞を凝視する。
 莱牙、華久夜、紗霧羅、由岐耶には、それがどういうことかわかりすぎるほどわかっているので、反応は特に険しい。
「文献をあさっていたら、出てきてしまったのです」
 ずかずかと世凪に歩み寄りながら、虎紅は少し取り乱したふうに続ける。
 虎紅と幻撞は、世凪の命令で、あの後も東の園に残された比礼についてずっと調べていた。
 その二人が、このように慌ててやってきて、それを告げるということは、よほどのことだろう。
「文献を……?」
 目の前までやってきた虎紅をにらみつけ、世凪は怪訝につぶやく。
 ……一瞬、嫌な想像が頭をかすめた。
「世凪? 比礼って何? もしかして、わたしに隠していたことって、それ?」
 その胸の中から、不満そうなそんな言葉が耳にとどいてきた。
 見れば、世凪の胸の中、訝しげに柚巴は見上げている。
 そこではじめて、世凪も使い魔たちも、自分たちがしでかしてしまった失態に気づくことになった。
 そういえば、このことは、柚巴には内密ということになっていた。
 知れば、柚巴のことだから、暴走しかねないから……。
 誰もが、悔しそうに顔をゆがめる。
 そのあからさまな反応に、柚巴はむうっと頬をふくらませる。
 やはり、自分一人だけ仲間はずれにされていたのだと改めて気づき。
 比礼なんてそんな言葉、一度もきいたことがない。
 それがどれだけ使い魔たちにとって重要なことかは、この反応だけで容易にわかる。
 やってしまった……という空気が漂う中、諦めたように世凪がため息をついた。
「……もういい。柚巴に秘密にするのはやめだ。仕方がない。こうなってしまった以上、柚巴にも話すしかあるまい。……でないと、暴走しかねない」
 瞬間、世凪の足に、激痛がはしった。
 同時に、この部屋に響き渡る、だんという音。
 どうやら、胸に抱く柚巴に、思いっきり足を踏まれてしまっていたらしい。踏みつけられてしまっていたらしい。
 余計な一言のために。
 暴走しかねない、なんてそんなこと、思っていても決して本人を前に口に出してはいけなかったことなのに……。
 しかも、よりにもよって、いちばんの暴走機関車がそれを言うか……。
 誰もが、そう思っていても。
 本当に、この王子様は、詰めがあまいのだから。
 はりつめていた空気が、あきれたような空気に塗りかえられていく。
「……そうですね。では……」
 そんな中、この空気の一因をつくってしまったともいえなくもない虎紅が、眉尻を下げ、軌道修正をしていく。
 どうやら、自分の失態は、棚上げしたらしい。
 よくよく考えれば、今は、柚巴のご機嫌にかまっている場合ではなかった。
 ついついどうしても、柚巴を第一に考えてしまう癖は抜けない。
 それは、虎紅だけではなく、この場にいる使い魔たち誰もにいえることかもしれないけれど。
 一体いつから、彼らの行動は、柚巴に支配されるようになっていたのだろうか。
 柚巴を中心に、まわるようになっていたのだろうか。
 ……なんだかとっても、思いっきり、どこかの王子様の影響を受けてしまっているような気がしないこともないけれど。
「この比礼の持ち主は、ケイカ・ユリウス」
 ひらりと、胸の内から比礼を取り出し、虎紅は静かに告げた。
 天上人の比礼は、一人一人、その織り方が異なっている。


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update:06/07/05