繰り返される悲劇
(3)

「ケイカ・ユリウスだって!?」
 その名を聞いた瞬間、世凪がこれまでになく取り乱していた。
 顔を真っ青にし、目を見開いて。
 あまつさえ、額に嫌な汗までにじませて。
 どうやら、世凪には、その名に覚えがあるらしい。
 いや、その反応からすると、覚えがあるどころではないかもしれない。
 また、紗霧羅と竜桐といった、限夢界に精通している使い魔も、顔を真っ青にしてしまっている。
 ただ、莱牙や華久夜あたりは、やはりまだ年若いためだろうか、その名にぴんときていないらしい。
 先ほど、虎紅は、文献と言っていたから、恐らく、限夢界の歴史に関係がある名ということになるのだろう。
「ああ。やはり、これは警告だったのだろう」
 これまで黙っていた幻撞が、どこか重苦しくはきだした。
 その言葉に、世凪の表情がさらに険しくなる。
「あの天上人が、また動き出しているのか……?」
 柚巴を抱く腕にさらに力をこめ、世凪は苦しげにつぶやく。
 あの天上人≠ニいうのだから、やはり、世凪にはその名に覚えがあるらしい。
 そして、限夢界に、大きな影響を与えた名なのかもしれない。
「おや? よくわかったね。案外、馬鹿ではなかったようだね」
 その時だった。
 どこからともなくそんな声が聞こえてきて、一瞬遅れで、使い魔たちの前に、すうっと人影が現れた。
 それは、明らかに、人間でも、限夢人でもないことがわかる。
 なんとはなしに影が薄く、白く発光している。
 陰湿な笑みを浮かべるその唇だけが、異様に赤い。
 まるで、まさに今、生き血でもすすってきたかのような、不気味な(あか)
「な……っ! どのようにして!?」
 その姿をみとめた瞬間、世凪は叫んでいた。
 やはりそうだったと、苦しげに顔をゆがめている。
 今この場に現れたのが、人間でも限夢人でもないというのなら、ならば、自然導き出されるものは……。
 また、紗霧羅や幻撞、竜桐も目を見開き、現れたその人影を凝視している。
 まるで、言葉を忘れたかのように。
 そんな使い魔たちを馬鹿にしたように一瞥して、現れたその人影は、再び世凪に視線を向ける。
「簡単なことじゃないか。君たちが自由に瞬間移動できるように、天上人はどの世界でも自由に渡り歩けるのだから。……我々は、選ばれた種族だからね」
 くすりと不気味に微笑み、ゆったりと言葉をつむぐ。
 ――やはり、そうだった。
 天上人。
 ならば、この人影の正体は――
「けっ。相変わらず、まだそんなことを言っているのか」
 胸糞悪そうに、世凪はそうはき捨てる。
 ばさりとマントを翻し、その中に柚巴を隠して。
 さりげなさを装っているけれど、間違いなく、それは柚巴を守ろうとしてあらわれた行動だろう。
 使い魔たちの目には、どこかぎこちなくさえ映ってしまう。
 世凪のその動揺が、否が応でも伝わってきてしまう。
 しかし、それは柚巴には伝わっていなかったらしく、少しの隙間をつくり、その中からもぞもぞと顔だけを出してきてしまった。
 それでは、せっかくの世凪の行為も台無しになってしまう。
「世凪。そんなことよりも……」
「ああ。わかっている。――東の園をからしたのも、こいつだろう」
 ぐいっと柚巴の頭をおさえつけ、はきすてるように言う。
 マントの中へ押し戻そうとしているのに、どうにも柚巴は抵抗していうことをきいてくれない。
 やっぱりこのお姫様は、なかなか世凪の思い通りにはなってくれないらしい。
 そして、鈍感。
 どうして、世凪の気持ちをわかってくれないのだろう。
 妙なところだけは鋭いのに、重要なところでは鈍いのだから。
 世凪は、ただただ柚巴を守りたいだけなのに。
 そんな攻防戦を繰り広げる柚巴と世凪からすいっと視線をそらし、現れた人影は、その横の虎紅を見つめた。
 瞬間、虎紅は、じりっと一歩後退してしまった。
 向けられたその目が、あまりにも恐ろしかったから。
 その隙をつき、虎紅の手の中から、比礼をすいっと奪い取る。
 「あ……」と、虎紅が小さな声を上げた。
 その時にはもう、比礼はひらりと宙を舞い、すっぽりと人影の手の中に落ちていた。
 それを、ふわりとまとい、赤い唇へよせる。
 意味深長に口のはしが引きあがる。
「そうだよ。僕がすべてしたこと」
 そして、静かにそうつぶやいた。
 その言葉が告げられると同時に、ダイニングにたちこめる空気が、さらに緊張の度合いを増した。
 それは、使い魔たちからあふれでる気配もあるけれど、何より、世凪からにじみでる気が、大きく影響している。
 ピリピリと肌につきささるようなオーラを放出している。
 それで、誰もが、王子様が、現在、どのくらいお怒りなのかと瞬時に悟ってしまった。
 これは、一触即発……下手をすれば、その怒りだけでこの屋敷を破壊してしまいかねない。
 それくらい、ご立腹。
「一体、何が目的だ?」
 しかし、王子様も、さすがに愛しい少女の家を破壊してなるものかと、精一杯平静を装う。
 間違っても、この屋敷だけは破壊できない。
 一つ間違えば、そのにじみでるオーラだけで、屋敷にひびくらいは入れてしまいかねない。
「何が目的……? 決まっているじゃないか。限夢界と比礼界。審判の天秤にかけられているのだよ。必要か、否か――」
 くすくすくす……と不気味に笑い出す。
 その必要以上に赤い口から、耳障りな音がもれてくる。
 ぞわぞわと、身体のあちこちがかきむしられるような、そんな嫌な音。
 世凪は、ぎりっと唇をかみしめる。
 世凪の腕の中にいる柚巴も、ようやくこの状況についてこられるようになったのか、不安げに世凪に抱きついている。
 もう抗うのではなく、大人しく、そのマントの中に身を隠して。
 どんなに強くなったといわれたって、どんなに不思議な力を持っているといわれたって、柚巴はやっぱり普通の非力な少女。
 どんなに抗ったって、怖いものは怖い。
 その不思議は、なかなか表にあらわれることはない。
 普段はやっぱり、誰かに守られていなければ安心できない。
 それでは駄目だとわかっていても、柚巴にはやっぱり、誰かの陰に隠れ、必死に恐怖と戦うことしかできない。
 ……その誰かは、もう決まっているけれど。
「またそんなことを言っていやがるのか。ということはすなわち、これは、その審判の一つとでも言いたいのか?」
 世凪が、汚らわしく、馬鹿にしたようにはき捨てる。
 その目も、憎らしげに人影をとらえて。
 どうにも、先ほどからのこの人影の言葉は、柚巴には理解できない。
 だけど、それがとても恐ろしいということだけはわかる。
 こんなに、体がぶるぶるとふるえているのだから、間違いないだろう。
 よくはわからないけれど、とても残酷で恐ろしいことを告げているということだけは間違いない……はず。
「言いたいのじゃなくて、審判そのものだよ。……比礼界は、この間試させてもらったからね。君たちが邪魔をしてくれたけれど」
 ふうっとため息をもらし、鼻で笑うように視線を流す。
 取り返した比礼で、真っ赤な口元を隠すその仕草が、妙に癪に障る。
 わざわざ、残していった比礼を奪い返すとは……。
 そこにもやはり、いらだちを覚える。
 何しろ、わざとそうしているのだとわかるから。
 ……明らかに、挑発している。
「……まあ、しかし、判断材料は十分にもらったからいいけれど。――次は、限夢界だよ」
 そう言って、また、陰湿にくすりと笑う。
 それに合わせ、口元の比礼もひらりとゆれる。
「けっ。どうりでな。どうにもしっくりこなかったわけだ。お前たちが絡んでいたのであればな」
 その言葉を……それまでの言葉を聞き、世凪はどこか納得したようにそうはき捨てる。


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update:06/07/12