残酷な優しさ
(1)

 望むことは、ただ一つ。
 それは、この少女の幸福だけ――


「……今のが、ケイカ・ユリウス……? あの比礼の持ち主?」
 しんと静まり返った部屋に、そのつぶやきが妙に大きく響いた。
 それに、そこにいた使い魔たち誰もが、びくんと体をふるわせる。
 ――声が出なかった。口をはさめなかった。
 ただただ、世凪とケイカ・ユリウスの会話を聞くことしかできなかった。
 ……不甲斐ない。情けない。
 限夢人とあろう者が、このていたらくとは。
「ああ。お前は、知らなくて当然だな。華久夜」
 一つ舌打ちをして、憎らしげに答える。
 胸に抱く柚巴は、変わらず苦しげに世凪に抱きついている。
 まるで、そのぬくもりを求めるように。
 あの天上人は、ことごとく、彼らを苦しめてくれるらしい。
 とりわけ、柚巴にだけは、その苦しみを味わわせたくないと思っていたのに。
 それが今、こんなにもかたちとなってあらわれてしまっている。
 恐らく、柚巴がいちばん苦しんでいるであろうそれは……寿命。――それだろう。
 はっきりとしたかたちで外に出すことはなかったけれど、ずっとそれで苦しんでいることくらい、世凪にはわかっている。
「そのケイカ・ユリウスが、何をしたの? まだそんなことを言っているのか……と、さっき言っていたけれど」
 じっと世凪を見つめ、華久夜が気丈にもそう問いただしてくる。
 使い魔たちの誰もが動揺しているというのに、このお姫様だけは、いつもそれとは少しずれたところに身をおいているらしい。
 それは、ある種の才能なのか……。
 はたまた、ただこの状況を理解できていないだけなのか……。
 そんなに、次から次へと、言葉がでてくるなんて。
 そして、それに、たんたんと答えていく世凪のその肝のすわりようも、さすがと言えるかもしれない。
 ただふてぶてしいだけではなく……。
 さすがは、生まれながらの王。
 王の器を持つ者。
 それはもう、誰も否定できないところまできてしまっているのかもしれない。
「……古い文献によると、奴が……奴らが、何百年も前に、審判と称して、限夢界と比礼界、二つの世界を破壊しようとしたことがあるらしい」
 もぞりとマントの中から顔を出してくる柚巴の頬を手でつつみこみながら、世凪は険しい眼差しで、使い魔たちを見まわす。
 眼差しは厳しいのに、頬に触れるその手だけは、妙におだやかで優しい。
 ごくり……と、いくつもの息をのむ音が、ダイニングに響く。
 やはり、使い魔たちは、世凪のその言葉を、ただ聞くことしかできない。
「何、それ……。そんなの知らないわ」
 怪訝に顔をゆがめ、華久夜は不平をもらす。
 傍らにいる莱牙のマントを、きゅっとにぎりしめ。
 それに気づいた莱牙は、そっと華久夜の肩を抱き寄せてやる。
 やはり、どんなに気丈にふるまっても、所詮はまだ幼い少女。
 今、華久夜が抱えるその果敢な思いを、莱牙はくみとっているらしい。
 肩にかかるその髪が、皮肉にも、莱牙の抱き寄せた手を優しくすべっていく。
「知らなくて当然だ。一般には知らされていない。王宮書庫の閲覧禁止の間にある書物にしか、記されていないからな」
 しかし、世凪にはそんなことはどうでもいい。
 ただ大切なのは、事実を伝えることのみ。
 そして、胸に抱く、この愛しい少女を守り抜くことだけ。
 ゆっくりと視線を自らの胸へと下ろし、優しい、けれどどこか苦しげな眼差しで、柚巴を見つめる。
 ぎゅっと、柚巴を抱く腕に力をこめ。
 先ほどからずっと、柚巴はまっすぐに世凪を見つめている。
 何かを伝えるように。何かを訴えるように。
 柚巴が今言いたいことくらい、世凪には手にとるようにわかってしまう。
 恐らく……あれしかない。
 ケイカ・ユリウスが何者だとか、彼の目的は何かとか、そんなものではなく……。
 もっと利己的で、もっと自分勝手な思い。
 世凪だって、思いは柚巴と同じだから。
「柚巴。気にするな。……と言っても、今は無理かもしれないが。まあ、何とかならないこともない」
 柚巴を包むマントをばさりと取り除き、ひょいと抱え上げる。
 そして、そのまま、椅子にどさっと腰を下ろす。
 せっかく朝食をとっていたところだったのに、何だかんだといろいろあって、結局途中になってしまっていたことを思いだして。
 世凪のその行動を見て、立ち上がっていた使い魔たちも、それぞれの席に腰を下ろしていく。
 いつまでも、こうして総立ちになっていたところで、らちがあかないと気づいて。
 話くらいなら、立っていなくてもできる。
 湯気を吐き出していたあつあつのコーヒーも、もうすっかり冷めてしまっている。
「え……?」
 大人しく世凪の膝の上に腰を落ち着け、柚巴は不思議そうに世凪を見つめる。
 しかし、その裏にある苦しみは、悲しみは、やはり隠しきれてはいない。
 きゅっと世凪の胸に顔をおしつける。
 そうすることしか、今の柚巴にはできなくて。
 もっともっとと、そのぬくもりを求めてしまう。
 不安だから。苦しいから。
 その寿命の差を、あらためてつきつけられ。
 答えなんてない。答えなんて出せない。
 思い、貫けるかなんて、そんな先のことなんて……。
 ただ、今のこの時が大切で、そして抱く思いは本物だということくらいしか、柚巴には言うことができない。
 今、この瞬間だけが、真実。
「あの男が言ったことは、無視しておけ。寿命くらい、どうとでもなる」
 食べかけのクロワッサンを手にとり、がしっと一口かみちぎる。
 そして、咀嚼(そしゃく)することなく、そのままのどの奥へ流し込む。
 ……なんだかやりきれなくて。むしゃくしゃして。
 そうすることで、何かを誤魔化すように。
「世……凪……? 何を言って……?」
 胸の中から、柚巴はやはり不思議そうに見上げてくる。
 だけど、今度はちょっぴり怪訝そうな色を含めて。
 さっきから、世凪が何を言っているのか、柚巴にはわからない。
 何とかならないこともないとか、寿命くらいどうとでもなるとか……。
 そんなこと、どうにかできるわけがない。
 神様でもない限り。
 ――え? 神様……?
「……」
 柚巴の問いかけに、世凪は答えようとはせず、冷え切ったコーヒーをぐいっと飲み干した。
 乱暴に、ソーサーの上に、からのカップを投げつける。
 そして、そのまま柚巴の顔へと、その顔を近づけてくる。
 それは、何をしようとしているのか、もう誰にでもわかることで……。
「姫さま。あなたはご存知ないと思いますが……」
 由岐耶が慌てて、邪魔をしに入る。
 そんな言葉で。
 この言葉は、やっぱり柚巴には訳がわからないけれど、世凪には嫌というほど思い当たる。
 由岐耶は、恐らく、あのことを言おうとしている。
 神の祠で、神から告げられた、あのことを……。
 ただ、世凪と柚巴の邪魔をしたいがために。
 ……いや。そうではなく……。
 柚巴のその問いかけに、答えようとしている?
「やめろ! 由岐耶!」
 世凪は、近づけていた顔をがばっと上げ、憎らしげに由岐耶をにらみつける。
 しかし、由岐耶はそれにかまうことなく、まっすぐに世凪の腕の中の柚巴を見つめてくる。
 それに、柚巴も、思わず目を奪われてしまった。
 あまりにも、真剣なものだったから。
 この二日間で、由岐耶にはとんでもないことばかりされてきて、本当はまっすぐとその目を見ることができなかったけれど……。
 だけど、どうにも、今の由岐耶には目を奪われてならない。
 一体、何を言おうとしているのだろうか。
「限夢人の寿命を、縮めることは可能なのですよ。たった一つの方法で……」
 世凪の制止もきかず、とうとうその本題に触れてしまった。
 瞬間、柚巴の動きが止まる。


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update:06/07/26