残酷な優しさ
(2)

「待て、由岐耶。それ以上は言っちゃならないよ!」
 慌てて、紗霧羅もとめに入る。
 それ以上言っては、駄目だから。
 それ以上言っては、大変なことになる。
 きっと、取り返しのつかないほどに……。
 だってそれは、ずっと柚巴と世凪が望んできたことだから。
 二人、同じ時間を生きるという……。
 心通じ合ったその時から。
 人間と限夢人の恋愛には、数多の障害がついてまわるけれど、その中でも最も大きな障害。それが、寿命の差。
 人間は、たかだか百年の命。
 しかし、限夢人には、千年の時が用意されている。
 そんな大きくて、気が遠くなりそうな時間の隔たりがある。
 その障害を乗り越えることは、その差を埋めることは、容易なことではない。
 紗霧羅の制止すらも無視し、由岐耶はとうとう核心に触れてしまう。
 ずっと胸の内におしとどめていた願い。
 それが、由岐耶が本当に願っていたこと。望んでいたこと。
 その思いの前では、千年の寿命など、ちっともおしくない。
「わたしは、その唯一の方法を使い、あなたと同じ時の流れの中を生きたい」
 それが、願い。それが、望み。
 同じ時間を生き、すべての悲しいことから、この少女を救うことが。
 世凪には、決してできないそれが、由岐耶には可能だから。
 同じ時の中を生き、柚巴の幸福だけを守っていきたい。
 傍らで、ずっと……。
 それが、由岐耶の最も大切な願い。
「わたしなら、あなたを決して泣かせたりなど、悲しませたりなどしない。……もう二度と」
 射抜くようにまっすぐと柚巴を見つめ、由岐耶はきっぱりとそう告げる。
 そして、かたんと小さな音を鳴らし、椅子から立ち上がる。
 それは、世凪に抱かれている柚巴のもとへ向かうため。
 その腕の中から、柚巴を奪うため。
 ――世凪には、決してできないそれ。
 だけど、由岐耶になら可能なそれ。
 それで、柚巴の幸せを守る。
「調子にのるな! それは、俺がすることだ。俺だけに許されることだ!」
 近づいてくる由岐耶に警戒をあらわにし、拒絶をむきだしにし、世凪も乱暴に立ち上がる。
 そして、柚巴をその胸に抱いたまま、一歩二歩と後退していく。
 まるで、何かを恐れるように。
 まるで、何かに怯えるように。
 いつも強気で不遜な世凪には似合わず。
 そのような、何かに怯えるような世凪に、由岐耶は容赦なく追い討ちをかけていく。
「しかし、あなたは王子だ! わたしなら、王族ではないわたしなら、それも容易なのですよ! あなたでは駄目だ。あなたは、王族という立場を、決して捨てることはかなわない。あなたでは、さらに姫様を悲しませることになる」
 ――そう。それ。
 それが故に、世凪は柚巴とともに同じ時間の流れを生きることがかなわない。
 それだけが、同じ時を生きることを邪魔してくれる。
 寿命の差などではなく。寿命の差など、どうとでもなる。
 世凪は、王の子に生まれついてしまった。
 その運命はかえられない。
 王子として自覚しはじめたことを、誰もが知っている。
 そして、それをいちばん応援しているのが、柚巴。
 王子としての世凪を捨てた時、世凪がどれほどの苦しみに襲われるか、柚巴にはわかっている。
 だから、たったそのためだけに、その地位を捨ててはならない。
 世凪の背に負われている、たくさんの民を見捨ててはならない。
 それが、王の子に生まれた世凪の責務。
 それは、決して捨てることのかなわぬもの。
 傍らで、ずっと寄り添ってくれるはずのその人を、最も深く傷つけることになってしまうから。
 自分のために、限夢界全ての民を見捨てることになっては、柚巴は苦しむ。
 例えようのないほどに。
 それは、世凪だって、重々承知していること。
 柚巴は、いつも、自分のことよりも、他人のことを優先するような少女だから。
 他人の痛みを、自分の痛みにしてしまうような少女だから。
 ならば、その痛み、少しでもなくせれば、やわらげることができればと、いつもそう願っている。
 自らが、自らの手で、その願いを打ち砕くことなどできない。
 世凪が最も願うことは、望むことは、柚巴の幸せだから。
 血がにじむほどに、唇をかみしめる。
 どうすることもできなくて。
 どうすればいいのかわからなくて。
 どうして、運命というものは、こうも世凪を苦しめるのだろう。
 このようなことになるならば、はじめから、王の子になど生まれたくなかった。
 王の子というそれが、世凪から全てを奪っていく。
 そう……。いちばんはじめに世凪から大切なものを奪ったのは、もう十年以上も前のこと。
 世凪から、母親という存在を、王の子が奪っていってしまった。
 何故、どうして。
 世凪は、望むもの全てを失う運命にあるというのだろうか。
 多くは望まない。
 願いはたった一つなのに。
 ただ、この愛しい存在をずっと傍らに感じていたい。
 そのようなささやかな願いなのに。
 それすらも、運命というものは、奪っていくのだろうか。
 ただ、柚巴とともにありたいと望むだけなのに――
「でてこい。ヘルネス! そこにいるのだろう!」
 ふいに天井をにらみつけ、怒鳴る。
 それに、その場にいた使い魔たちも、柚巴も、驚いたように世凪を見つめてしまった。
 とうとう、暴走しはじめてしまったのか。
 どうにもできない、その運命のために。
「さすがは、王子様。よくおわかりになった。それで? わたしに何か用かい? わざわざ神を呼びつけるのだから、それなりの用でないと……怒るよ?」
 しかし、それはすぐに間違いだったとわかる。
 世凪は、暴走したのではなく、確信していただけ。
 どこか偉そうにそう放ち、世凪の前にすうっと男が一人現れたから。
 それは、とてもよく見知った男。
 神のドームの床の彫刻で、目にする男。
 冥界の神・ヘルネス。
 死を司る神。
 由岐耶や紗霧羅といった使い魔たちは、すでに神の祠で免疫があるので、その姿に取り乱したりはしない。
 いくら、恐ろしいものを、その神に感じようと。
 ただ、はじめて接触する竜桐たち使い魔は、動揺をあらわにしている。
 よりにもよって、世凪は、なんという神を呼び出してくれたのだと。
 死を司る神……。
 さすがその名の通り、体の底からわき起こる、正体不明の恐怖を運んでくる。
 そこに、いるだけで。
 しかし、世凪はそれにはかまわず、呼び出した用件のみを語りだす。
 それが、願い。それが、望み。
 こうなってしまった以上、もうそれしか方法がない。
 あの時、神の祠でそれが告げられてから、ずっと考えていたこと。
 そして、先ほどの由岐耶の言葉で、それは決意としてかたちづくられてしまった。
 もう迷わない。
 たとえ、柚巴を苦しめることになっても……。
 世凪は、自分の望みを貫く。
 願うことはたった一つだから。
 そのたった一つの願いくらい、かなえてもいいだろう。
 すべてを犠牲にしても、手に入れたい望みだから。
「……お前、以前に言っていただろう。寿命をのばすことはできないが、短くすることならできると」
「ああ……」
 険しく、まっすぐと見つめてくる世凪に、冥界の神・ヘルネスは、意味深長にくすりと笑う。
 まるで、はじめからそれを承知していたかのように。
 その言葉をきくためだけに、わざわざここへやってきたのだと。
 壊れゆく、世凪のその姿を見届けるために――


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update:06/08/02