残酷な優しさ
(3)

 結局最後には、柚巴の苦しみすらも犠牲にして、自らの願いを叶える。
 暴走をはじめてしまったその願いは、もう世凪自身にもとめられない。
「それで、今、その方法を知りたいとでも?」
 そうして、世凪の胸の内を、当ててしまう。
 ――そう。ヘルネスには、いつもお見通し。
 命に関することならば、ヘルネスが知らないことはない。
 ……いや。ヘルネスは、このような結果を導くため、あえてあの時、あのようなことを言ったのかもしれない。
 すべては、たった一つのためだけに、崩壊へと導く。
 この悲しき定めの王子の心を。
 残虐な神。
 それが、冥界の神・ヘルネス。
 胸の中で震えるこのはかなげな少女から、幸せを奪うために。
 この少女に、救いようのない苦しみを与えるために。
「お前たちは馬鹿か。そのようなことをしても、柚巴は喜ばないぞ」
 はりつめたその空間に、ぞんざいにそのような言葉がなげかけられた。
 それで一気に、何かがぱりんとはじけた。砕け散った。
 妙に落ち着きはらい、椅子に腰かけ、冷たくなったコーヒーを口に運びながら、莱牙が、冷め切った眼差しで、世凪を見ている。
 ちらっと、悲痛に顔をゆがめる由岐耶にも視線を流して。
 その目は、間違いなく、暴走するこの二人の男を非難している。
「悲しめるつもりなのか。苦しめるつもりなのか。柚巴を思うなら、柚巴を悲しませるようなことはするな」
 かちゃっとソーサーの上にカップをおき、莱牙はふうっと細いため息をもらす。
 すっと、世凪の胸の中の柚巴を指差す。
 それにつられ、全員、そこに視線を移していく。
 するとそこでは、柚巴が泣いていた。
 声を殺し、大粒の涙をぼろぼろ落とし。
 ふるふると小刻みに体をふるわせ、泣いている。
 どうすることもできなくて。どうにもならなくて。
 柚巴は、ただ世凪の胸の中で泣くことしかできない。
 そうして欲しい。だけど、やっぱりそうして欲しくない。
 二つの思いの間で、苦しんでいる。
 ともに同じ時間をすごすことを望みながら、だけどそこから生まれる苦しみを憂いて。
 何が最もよいことなのか、何が正しいことなのか、柚巴にも……誰にも、もうわからない。
 ただ、自らの思いに正直になることが、こんなに悲痛なことだとは知らなかっただけ。
「今は、寿命の差など捨て置け。もっと大切なことが、他にあるだろう。悩むなら、それが片づいてからにしろ」
 莱牙は、そうきっぱりと言い切った。
 そのようなつまらないことで、柚巴を苦しめるな。
 莱牙だって、かつては、それがどれだけ大変なことかと思っていた。
 しかし、今はそんなことはどうでもいいと思える。
 だって、莱牙にとっては、今この瞬間が大切だから。
 柚巴とすごす、少ない時間。
 少ないならば、その時間の一つ一つを大切に生きることを、いちばんに考えたい。
 柚巴の幸せを思い、この馬鹿王子に柚巴を託したのだから。
 柚巴を幸せにできないというのなら、王子にはもう、柚巴を愛する資格などない。
 はかなげに泣き続ける柚巴に気づき、世凪は苦しそうに目を閉じていく。
 もう、見ていられなくて。
 目にしたこの現実に、胸をしめつけられて。切り刻まれそうで。
 こんなに苦しめるつもりなんてなかった。
 すべては、柚巴の幸せを願い、そして自らの望みのために、そうしていたはずなのに。
 それが今、柚巴を苦しめる結果となってしまっている。
 屈辱的だけれど、莱牙の言うことの方が、正しいのだろう。
 もっと大切なことが、あったはずなのだから――
 そのような使い魔たちを見て、死を司る神は、おかしそうに笑みをもらす。
 くすり……と笑い声をもらしながら、世凪の中の柚巴にふわりと触れる。
「安心しな。柚巴は、まだつれていく気はないよ」
 そうして、そっとその頬を伝う涙をぬぐっていく。
 そして、その頬に、軽く優しいキスを落として。
 愛しそうに、柚巴を見つめて。
 ……ということは?
 柚巴から、幸せを奪うためでも、苦しみを与えるためでもなく、それらを回避するために……?
 こうなることを、予期していた?
 ヘルネスもまた、このたった一人の少女のために動く。
 その少女は、最高神・シュテファンに予言された少女だから。

 寿命の差で苦しんでいるのは、柚巴や世凪だけではない――


 外は、白一色の世界。
 見渡す限り、白い世界。
 昨日一日降り続いた雪は、今日も世界を白に染めていた。
 昼間のあたたかな陽光にすら負けることなく。
 そしてまた、雪が空から舞い落ちてきた。
 しんしんと、降り続く夜。
 御使威邸リビング。
 夕方頃にやってきた庚子とともに、柚巴は夕食後のお茶をとっている。
 すっかり沈んでしまっている柚巴の心を少しでも慰めようと、紗霧羅が少々乱暴に庚子をここへとさらってきた。
 庚子にも、紗霧羅のその思いが伝わっているようで、自らすすんでさらわれてきた。
 世凪と柚巴を取り合いながら、柚巴にそっとそのぬくもりを伝える。
 慰めるといっても、庚子にもそれくらいしかできないから。
 紗霧羅に、これまでのことを、かいつまんで聞いてはいる。
 柚巴が、世凪との寿命の差で苦しんでいることや、それがために、世凪と由岐耶が暴走してしまったことも。
 ……そして、由岐耶の強行も。
 彼は、今朝、柚巴の使い魔になったという。
 これで、柚巴の使い魔は、御使威家歴代当主の中で、最もたくさんの使い魔を従える弦樋と同数。
 全部で、六人。
 莱牙、紗霧羅、幻撞、華久夜、虎紅、そして由岐耶。
 彼らは、皆、柚巴を守るために、柚巴とともにすごすために、使い魔となった。
 他のことは、何も望まずに。
 柚巴のことだけを思い。
 半年前まで、御使威家のおちこぼれといわれていた柚巴が、たった半年で、当主と並ぶまでになってしまった。
 その急激な変化を、やはり悲しく思ってしまう。
 柚巴は、守ってあげたくなるような、そんな少女だから。
 いつまでたっても、庚子の中では。
 そんな時、遠くの方から、ドアベルの鳴る音がした。
 すると、それからあまり時間のたたないうちに、この部屋の扉がノックされた。
 そして、返事も待たずに、扉が開かれる。
「姫。ご学友という方が訪ねてきましたが、どのよ――」
 開かれた扉から衣狭が顔をのぞかせ、そう言いかけた時だった。
 まるで衣狭を押しのけるようにして、その横から甲斐が姿を現した。
 それに、衣狭は驚いたように甲斐を凝視する。
 何しろ、衣狭は、柚巴の許可が出るまで中へ入れることはできないと、たしかに玄関で待たせていたはずなのだから。
 そしてもちろん、無許可で屋敷の中へ入れることも、衣狭の後をついてこさせることもなかった。
 ここまでくる間に、気配はなかった。
 だから、つけられていたはずもない。
「あれ? 甲斐くん。どうしたの?」
 いきなり現れた甲斐を、柚巴はやはり、驚いたように見つめる。
 柚巴にだってわかっている。
 衣狭が、柚巴の許可なく、誰かを屋敷へ入れたりしないことなど。
 瞬時に、リビングの空気が強張る。
 誰もが、いきなり現れた甲斐を注視する。警戒する。
「柚巴。約束通り、君をむかえにきたよ」
 にこりと含みのあるさわやかな笑顔をのぞかせ、甲斐はそう告げる。
 ぴくりと、険しい眼差しが、甲斐に向けられる。
 柚巴には、言っているその言葉の意味がまったくわからない。
 ただ、いいものではない……嫌な予感だけはたっぷりとする。
「え……?」
 瞬間、柚巴の姿は、甲斐とともに、その場から消えていた。
 その一瞬のできごとに、誰も微動だにすることができなかった。
 動き一つですらも、とることができなかった。
 それは本当に、まばたき一つ許さない、そんな短時間のできごとだったから。
「き、消えた!?」
 この普通ではないできごとに、ようやくそれだけをつぶやくことができた。
 そして、次の瞬間、使い魔たちは、見てはならないものを見てしまった。
 この世の恐怖を一身にまとった、そのような悪魔。
 体すべてを業火で覆い、まるで鬼神のような形相のその男。
 限夢界の王子。
 稀に見る力の持ち主。
 体全てから、抑えきれぬ怒りが噴き出している。
 体が、凍りついてしまった。
 恐怖で、動かすことができない。
 地中の奥、もっともっと奥、世界の果てのような恐怖が襲ってくる。
 その男から。
 それはまるで……破壊という名の狂気。
 破壊に魅入られし男。
 世凪は、その身のうちに、狂気という名の怪物を宿している。
 柚巴を失うと、それが爆発する。
 壊れる。
 たった一つの大切なものを失った時、暴れ出す。
 そんなことは、これまでに、十分承知していた。
 まるで、世界の終わりを見ているよう。
「あの男は、人間ではなかったのか?」
 ゆっくりと庚子に振り返り、その暴れる狂気……世凪は、静かにそう問う。
 しかし、蒼白になった庚子からは、返ってくる言葉などない。
 ただ、そこで、正気をたもっていることで精一杯。
 このあまりにも恐ろしい狂気を前にしては。
 それでも、世凪にはかまわなかった。
 返事など、もとから求めていない。
「甲斐流宇介……といったな?」
 そして、ぼそりとつぶやく。
 ぎりりっと不気味な音が響く。
 それは、世凪が奥歯をかみしめる音。
 怒りのために、大切なものを奪われたその怒りのために。
 たしかに手の内におさめていたはずなのに、こんなにもあっさりと奪われてしまった。
 抗いの一つすらかなわず。
 こんな屈辱。こんな侮辱。こんな苦しみ。他にはない。
「くそっ。アナグラムか!!」
 そして、汚らわしそうに、そうはき捨てる。

 ――甲斐流宇介。
 カイリユウスケ。
 ケイカユリウス。
 ……ケイカ・ユリウス。

 気づかなかった。
 気づけなかった。
 それは、柚巴をむかえにくると宣言していた、あの憎き天上人の名――
「あの男、ぶっ殺してやる!!」
 世凪を包む業火が、いっそう勢いを増す。


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update:06/08/09