最後の審判
(1)

 真っ暗な雲から、真っ白な結晶が舞い落ちてくる。
 その白い妖精たちは、ふわりふわりとまとわりつくように柚巴を包んでいく。
 それなのに、不思議と寒さは感じない。
 比礼を流し、闇夜を舞う、この男に抱かれているというだけで。
 逃げ出したくても、逃げ出せない。
 抗えない。
 まるで、体中から、すべての力を奪われてしまったように。

 ――リン……。

「あ……。また鈴の音……」
 雪の降る音にまざり、かすかに聞こえたその音に、柚巴は反応してしまっていた。
 それは、ここのところ、ずっと柚巴を悩ませる音。
 柚巴にしか聞こえない、不思議な音。
 その音の正体がわからない。
 柚巴を抱く甲斐……ケイカ・ユリウスは、ふっと胸の柚巴に視線を落とす。
「やはり、君はふさわしい。この音が聴こえるのだから」
 艶かしく、そして優しくそうささやいて。
 そしてまた、比礼を風になびかせ、いちだんと空の上へと上っていく。
 ケイカ・ユリウスのその言葉に、不審げな不安げな表情を浮かべる柚巴をそのままに。
「この音は、天上界に吹く風の音。――その清浄な気、気高い心。君は、天上界にふさわしい」
 ふわりと、自らの比礼を、包み込むように柚巴に巻きつける。
 さらさらと、雪の夜空に、柚巴のやわらかな髪がゆれる。
 甘い甘い香りをさせ。
「最後の審判は下された。限夢界、そして比礼界。その二つの世界は、必要ない。この世から、消し去る」
 すっと地上へ視線を落とし、冷たくそう言い放つ。
 そして、すうっと、真っ暗な景色の中に、柚巴をつれて、姿をとかしていった。
 そこには、落ちてくる白い雪が、絶えることなく数多あるだけ。


「多紀! そこにいるのだろう! でてこい!!」
 業火に燃えるその部屋に、再び世凪の怒声が響きわたる。
 すると、間髪をいれず、あの憎らしい男が姿を現した。
「そんなに怒鳴らなくても、聞こえているよ」
 すいっと景色の中から現れ、すっと世凪の前に降り立つ。
 その男の名は、智神・タキーシャ。
 先日、莱牙たちのもとに現れ、忠告をしていった神。
 柚巴に危険が迫っていると――
 世凪は、現れた智神・タキーシャの胸倉をつかみ、しめつけていく。
「お前、柚巴に加護を与えているといいながら……っ!」
 世凪が言葉を発するたびに、そのまわりの炎が、火の粉を撒き散らす。
 それを、悲痛な表情をたたえた紗霧羅が、機械的に消していく。
 氷の粒を飛散させ。
 炎と氷の共演で、どうにかこの場の温度は、正常に保たれている。
 もう頭はまともに機能していないはずなのに、体が勝手にそうして。
 どこかで、「柚巴の家を燃やしてはいけない」と、そう思っているのだろう。
 世凪を覆う炎は、炎といっても、その怒りがかたちとなってあらわれただけで、実際にものを燃やしたりなどできないとわかっているはずなのに。
 ……やはり、それは、脳が正常に機能していないということだろう。
 世凪同様、目の前で柚巴をさらわれてしまったそのことに、かなり狼狽している。
「待ってよ。俺だって、いつも柚巴ちゃんを助けられるわけじゃないのだよ。柚巴ちゃんが、心から助けを求めてくれた時じゃないと……。それに、俺はあまり手を貸しちゃいけないことになっているのだよ。……前回の矢のことが、シュテファンにばれちゃって、今大変なのだから」
 胸倉をつかむ世凪の手をゆっくりと解いていき、智神・タキーシャは困ったように眉根を寄せる。
 ……それは、事実。
 本来は、柚巴に手を貸してはいけない。
 智神・タキーシャに与えられた役目は、柚巴を見守ること。
 ……いや。やはり、手を貸してもかまわない。
 それに、矢の一本や二本、シュテファンからくすねようが、何も言われることはない。
 それが、柚巴を見守ることに必要ならば。
 しかし、この理性を失った王子には、そう言った方がいいはず。
 少しでも、落ち着かせなければならない。
 このまま暴走を続けさせると、危ない。危険。
 だって、この王子は――
「それは、自業自得でしょ」
 さっくりと、予想外のところから、そんな手痛い言葉をお見舞いされてしまった。
 すっと視線をずらすと、そこでは、華久夜が腰に手をあて、不遜にふんぞり返っている。
 馬鹿にしたように、憎らしげに智神・タキーシャをにらみつけて。
 やはり、このお姫様にも、智神・タキーシャは好かれてはいないらしい。
 それは、間違いなく、柚巴という存在が、そうさせている。
 智神・タキーシャは、柚巴の心に、癒えぬ悲しみを植えつけたから。
「お前は、黙っていろ」
 そんな華久夜の頭を、呆れたように莱牙がおさえにかかる。
 どんな時でもこの兄妹は兄妹だと、思わず顔をほころばせてしまう。
 こういう者たちが柚巴のまわりにいてくれるから、きっと柚巴も幸せでいられるのだろうと、そう思い。
 智神・タキーシャは、優しげな眼差しを華久夜に送る。
 たとえ、好かれていなくとも。
「んもう。お兄様のばかっ」
 しかし、華久夜はそんなことは気づかずに、頭をおさえつける莱牙の手に、必死に攻撃をしかけていっている。
 その手をふりはらおうと。
 いつもなら簡単にふりはらえるその手も、今回に限ってはふりはらわせてくれない。
 華久夜よりも、力がないはずの兄なのに。
 ……いや。華久夜は知っている。
 それは、真実ではないということを。
 それは、兄の優しさだということを。
「じゃあ、今はまだ、柚巴は大丈夫ということなのか?」
 智神・タキーシャの軽口に、多少眉を動かしただけで、世凪は静かに問いかけてくる。
 どうやら、憎まれ口をたたく余裕すら、世凪にはもう残されていないらしい。
 まっすぐににらみつけてくるその目が、痛い……。
 そんな智神・タキーシャの衣のすそが、くいっとひかれた。
 それを不思議に思い、視線をそらしていくと――
「庚子……」
 そこには、不安げに見つめる、庚子の姿があった。
 それに、智神・タキーシャは、一瞬、動揺の色を見せる。
 いつもどこか癪に障る神が、一瞬見せた動揺。
 ここに、庚子がいることに、気づいていなかったらしい。
「わたしも、柚巴を守りたいんだ」
 苦しげに、庚子はそう告げてくる。
 それは、まるで何かを願うように、訴えるように。
 庚子には、今衣をつかむこの男が誰であるか、わかっているよう。
 ……わからないはずがない。
 だって、庚子はちゃんと思い出しているのだから。
 記憶も、そして思いも。
「わかったよ、庚子。……そういえば、思い出していたのだったね」
 庚子の手の中から、するりと衣をぬきとり、智神・タキーシャは小さなため息をもらす。
 ……たしかに、その記憶は消したはずだった。
 しかし、それは完全ではなかったらしい。
 失った何かという、その記憶の欠片だけは残ってしまった。
 そして、それが引き金になるかのように、庚子は全てを思い出してしまった。
 その思いとともに。


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update:06/08/16