闇に葬られた真実
(3)

 ――それは、告げられた。
 中庭のあの一件より、そうたいして時を要さないうちに。
 いっそう、この世界がざわめきを増した時。
 いよいよ恐れていた事態になろうかとしていることに気づき、玲央と優凛杏は慌てて建物の内へと入ろうと互いの体をはなし、立ち上がった。
 すると、それと同時に、二人の前に、一人の青年がすっと姿を現した。
 正面の柱の陰から、するりと体をすべらせて。
 瞬間、二人の足は、ぴたりととまる。
 それに、現れた青年は微苦笑を浮かべ、しかし、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「兄上……」
 そして、二人の前までやってくると、静かにそう声を発した。
「玲依……。まさか、お前……」
「はい。聞いておりました。兄上の思い」
 狼狽する玲央に、玲依は静かに答える。
 妙におだやかに、さらに言葉をつむぐ。
「その役、わたしが引き受けましょう」
 まっすぐに、凪いだ優しさをたたえるその瞳が、しっかりと玲央の姿をとらえる。
「れ、玲依! 正気か……!?」
 玲央は、思わず、玲依につかみかかっていた。
 今玲依が告げたその役≠ニは、玲央も考え、そして決意したそのことだろう。
 二人は、とても仲が良い。
 誰の目から見ても。
 そして、そのような二人は、いや、二人だからこそ、こういう時に考えることも同じ。
 進む道が、もうひとつしか残されていないというのならば、自らが鬼になろう。悪魔になろう。
 たとえ、残されたもう一人に、救われることのない苦しみを与えようとも。
 ――その苦しみは、罪悪感。
 大切な、たった一人の兄弟に、自らその道を選ばせてしまったという、罪悪感。
 玲央と玲依にとって、王位など、どちらに与えられようが、そのようなことはどうでもいい。
 この世界を、救うことができるならば。
 だから、自ら、選ぶ。
 大切な兄弟に罪悪感を与えるという、その苦しみ。
 それは、それにより抱くことになる罪悪感よりも、さらに悲しい思い。
 だって、本当に大切だから。互いに、互いのことが。
「――はい。もう、後戻りできないところにまで、きてしまっているのです」
「しかし……!!」
 すべてを悟り、そして決意したようにおだやかに告げる玲依の両肩を、玲央は乱暴につかむ。
 まさか、大切な弟に、自らそのような道を選ばせてしまおうなど。
 しかし、弟もまた、大切な兄が苦しんでいることを知っているから、ならば、その苦しみを、少しでもぬぐうことができれば……そう願って、何がいけないのだろう。
「兄上。どうか、気に病まれますな。これは、わたしの願い。――この世界が救われるのならば、わたしはそれでいいのです。……兄上。あなたと、願いは同じ」
 玲依がそうきっぱりと告げると、玲央は、肩をつかんでいたその手をするりと背にまわし、そのままがっちりと抱き寄せた。
 玲依もまた、玲央にこたえるように、背へと両腕をまわしていく。
 その様子を、優凛杏は、ただ静かに見守っていた。
 悲しい道を選ばなければならない、この哀れな二人の王子を。
「……お前は、自ら、烙印を押されようというのか?」
 ぐいっと玲依の肩に顔をおしつけ、玲央は苦しげにそうはきだす。
 それに、玲依は、ただ静かに、淋しく微笑むだけだった。
 この世界を救うことができるならば……いや、大切な者たちを守れるのならば、この先自らに待ち受けている苦しみなど、たいしたことはない。
「願わくは、この世界に、幸あらんことを――」


 その後、崩壊すると思われていたその世界は、救われることとなった。
 それは、誰も予想していなかったところから。
 王位継承の争いにほころびが生じた。
 弟王子が、自ら王位継承を退いたために。
 永久に、王位継承権を放棄したために。
 それが、いちばんよいことだと、弟王子は言っていた。
 間違って、複数名、同じ優れたものが存在したならば、第一子から王位につくことが慣例。
 それは、暗に了承されていたこと。
 ただ今回は、弟王子の力があまりにも大きすぎたため、それを惜しむ者が多かったため、ほころびが生じてしまっただけ。
 それに従えば、この争いもおさまる。
 そして、大切な片翼――同じ年の、数日違いで生まれた兄の苦しみをやわらげることができる。
 それは、間違ってはいなかった。
 争い続けていた者たちが、ようやく気づくことになったから。
 この世界が、どれほど危うくなっていたか。
 気づけば、あとははやい。
 彼らは、自分たちの愚かしさを悔い、事態は急激に好転していく。
 しかし、弟王子には、同時に烙印を押されることになってしまった。
 王位継承権を捨て、王宮を追われた弟に、彼を支持していた者たちは、落伍者(らくごしゃ)の名を与えた。
 もう、誰も彼を顧みなくなった。
 しかし、それでもよかった。
 世界が、平和であるならば。
 そのような汚名ですらも、彼には立派な賞賛となる。名誉となる。
 そうして、限夢界を二分したお家騒動はおさまった。終息した。
 同時に、崩壊へ向かいつつあった限夢界も、息を吹き返していく。
 そして、闇へと葬り去られる。
 それは、限夢界の恥≠セから――

 普通よりちょっと力をもって生まれてきてしまったがために。
 それが、王の子だったがために。
 悲劇が起こってしまった。
 闇に葬りさられてしまった悲劇の裏に、さらに誰も知ることのない真実が隠されていた。
 そこに、その名はあった。
 ――ケイカ・ユリウス。
 天上人のその名が。
 その天上人がこの騒動の火種をつくり、それに乗じて、世界を崩壊へ向かわせた。
 しかし、汚名をきせられた一人の英雄のために、その者の望む結果は得られなくなる。
 世界が壊れる前に、世界を守ったから。保ったから。
 それは、ずいぶん後になってわかったこと。


「そ、それって……!?」
 かすれた声で、莱牙が苦しげに言葉をもらす。
 ――そう。それは、莱牙ですらも知らなかった事実。
 自らの父親がたどった悲劇。
 過去に何かがあったことは知っていたが、あえてそれを聞こうとは思わなかった。
 だって莱牙は、たとえ傍流へ追いやられてしまっても、そのようなことは感じないほど、幸せな時を過ごしてきたから。
 両親から、あふれんばかりの愛情を注がれ、育ってきた。
 それだけで、他のものはどうでもよく思えていた。
 自らのこの境遇に、満足すらしている。
「ああ。これが、王弟玲依が、傍流へ追いやられてしまった真実だ」
 苦痛に顔をゆがめる莱牙に優しい眼差しを送り、王は悲しげに言い切る。
 それが、すべてで、それが、真実なのだと。
 世間にどのように言われようと、世界のために、自らが犠牲になった、悲しき定めの王子。
 王の子に生まれたがために、引き起こされた悲劇。
 彼もまた、自らの運命に翻弄された一人――
「すべては、この世界を守るため。玲依は、自らこの世界の犠牲になってくれた」
 そして王は、きっぱりとそう告げてくる。
 それだけでいい。
 誰か一人。たった一人。
 大切な誰かが、真実を知っていてくれるなら。
 心は、守られる。
 目を見開き、苦しげに、莱牙は父親を見つめる。
 それに、華久夜を抱いた王弟……玲依は、困ったように微笑みかえすだけ。
 だけど、その目はとてもおだやかで。
 いつもの父親そのもの。
 もう、何も言うことができない。
 父親の過去に、そのようなものがあったなど……。
 父親は、そのようにして、我が子に真実を告げぬ手段でもって、彼らを守ってきたのかもしれない。
 真実を知れば、苦しむから。
 他人の痛みをわかることのできる、優しい子たちだから。
「お父様……」
 玲依に抱かれる華久夜は、その胸の中できゅうっと体をまるめる。
 しっかりと、胸にしがみつき。
 そのふわふわの金の髪を、ふわりと優しくなでる。
「莱牙、華久夜。すまないな……」
 自分のために、お前たちにまで、苦労をかけて。
 そうその目が告げてくる。
 しかし、莱牙にも華久夜にも、そのようなものはどうでもいい。
 彼らが信じるものは、その真実だけ。
 それさえあれば――
 華久夜は、そのまま玲依にぎゅっと抱きついた。
 莱牙もまた、深いため息を一つつき、ぽんと父親の肩に手を置く。
 少し困ったように微笑んで。
 まるで、その目は「気にするな」といっているようで。
 それだけで、いい。
 それだけで、今まで抱えてきた玲依のたったひとつの罪悪感が消えていく。
 自らのために、この二人もまた、後ろ指をさされてきたことを知っていたから。
 許してくれるのなら……。
 この二人が赦してくれるのなら……。
 ――兄を悲しめてしまったという苦しみからは、解放されずとも。
 兄もまた、今でも苦しんでいる。
 ならば、ともに、命つきるまで、苦しむのも悪くはない。
 この世でたった一人しかいない、片翼だから。
 数日違いで生まれ、まるで双子のように育ってきた二人だから。
「ううん。大丈夫よ、お父様」
 華久夜も莱牙も、そうして笑ってみせる。
 それもまた、何が正しくて、何が間違っていたのか、わからない悲劇。
 ただ、真実がそこにあるというだけ。
「あいつらは、何かと理由をつけては、破壊したがる。今回もまた、それだろう」
 玲依がぽつりとつぶやいた。
 確信めいて。
 それは、五百年前の真実を知る玲依だからこそ、告げられること。


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update:06/09/13