その名は、世を凪ぐ者
(4)

 のばされた世凪の腕が、柚巴に触れるまで、もうあと少しというところまで到達した時。
 その腕を蹴散らすかのように、花の嵐が駆け抜けた。
 風が……この世界のすべてが、世凪の邪魔をするような感覚に陥る。
 その花の嵐に思わずひるんでしまった時だった。
 薄れ行く花の向こうから、姿をあらわす。
 重ねられた、それ。
 柚巴の淡いピンクの唇に、ケイカ・ユリウスの不気味に赤い唇が触れている。
 愛しむように。
 何かを試すように。
 瞬間、世凪の中で、何かがはじけとんだ。
 とうとう、壊れてしまった。
 すべてが、暴走をはじめる。
「あ、あ、あ……ああ〜っ!!」
 断末魔のような叫び声があがる。
 鈍器で頭をガンガンと打ちつけるような嗚咽がとどろく。
 耳をふさいでも、流れ込んでくるその悲痛な叫び。
 直接、脳にたたきつけられる。
 胸をかきむしられるような苦しみ。
 荒れ狂う感情。
 ゆがむ。
 すべてが。
 体も、心も。
 そして、世界も――

 世界が、崩壊へと向かう。
 たったそれだけのために。
 狂気の魔物のためだけに。
 全てがいびつにゆがみ、のみこまれていく。
 その渦をまく、恐ろしいものの中へと。
 世凪から、竜巻のような渦が空へとのびている。
 そう高くない上空で、真っ黒い空へと景色がのみこまれていく。
 世凪の頭上にあるそれは、次第に大きさをまし、広がっていく。
 まさしく、世界すべてをのみこんでしまうように。
「……ワーム……ホール……」
 頭をかかえ、幻撞がぽつりとつぶやいた。
 もう、終わりだと。全てが終わってしまったと。
 ひきずりこむような暴風にあおられ、そこにとどまっているのがやっと。
 ぎゅっと、両足を地面に埋め込むように踏ん張る。
 幻撞の瞳は、どこかうつろに力を失っていく。
 ――絶望が押し寄せてくる。
 ついに、この時がきてしまった。
 恐れていた事態が襲ってくる。
 世凪の頭上にあるその不気味な渦に、その場にあるすべてのものがまきこまれていく。のみこまれていく。
 今まで一面に綺麗に咲いていた花たちも、悲鳴をあげのみこまれていく。
 根ごと奪われて。
 散らされた花びらが、視界を覆うように飛び交う。
 みし……ぎし……と、今いる建物の柱たちが、不気味な音をたてる。
 使い魔たちだって、その吸い込む流れに巻き込まれないように、耐えるだけで精一杯。
 互いに互いの体を支えあおうと、自然、手がのびていく。
 普段、助け合いなどみじんもしない、むしろ、たった一人の人間の少女をめぐって、争ってすらいるはずなのに。
 ――不思議だ。
 極限まで追い込まれると、そういう、ある種の連帯感のようなものが生まれるのだろうか?
 ……いや。もとから、表面上は反発しあっているけれど、心は、もうずっと前から通じていたのかもしれない。
 たった一人の少女のためだけに。
 今のこの事態をつくるきっかけになってしまった少女のためだけに。
 彼女は、一人の男だけではなく、世界の希望だったのかもしれない。救いだったのかもしれない。
 今さらそれに気づいても、遅いような気がするけれど。
 一体、今、何が起こっているというのだろう。
 それが、わからない。……いや、理解することを拒絶しているのかもしれない。
 今つきつけられている現実は、認められないものだから。
 もしや、これが、世界の崩壊……?
 幻撞は、たしかにつぶやいた。
 ワームホールと。
 それは、時空のひずみ。
 すべてをのみこむブラックホール。
 すべてをはきだすホワイトホール。
 その二つを結ぶものが、ワームホール。
 はなれた二つのものを結ぶ時空のトンネル。
 しかし、この場合は違う。
 ただ端的に、空間のゆがみをそう例えているのだろう。
 まさに今、この空間は、世界は、ゆがんでいるのだから。
 たった一人の、正気を失った男のためだけに。
 そのような男にもひるむことなく、この男だけは、柚巴をしっかりとその腕に抱き、平然とたたずんでいる。
 うっすらと微笑さえ浮かべて。
 柚巴を包む比礼が体からはなれ、さらさらと渦の中へと吸い込まれていく。
 散った、花びらたちとともに。
「とうとう、本性をあらわしたな。破壊神」
 そして、そうはき捨てていた。
 それは、間違ってはいない。
 それは、正しい。

 世界を、破滅へ導く者――

 生れ落ちた瞬間、そう予言された。
 それを憂いだ王が、与えた名。
 それが……世を凪ぐ者。
 決して、運命に流されることなく、それに抗い、正しき道を歩むように。
 その御子に――

 その名は、世凪。

 眠っていた魔物を目覚めさせ、ただただ絶望とゆがみだけをはきだす男に、ケイカ・ユリウスは冷たく告げる。
「柚巴を、お前の犠牲になどさせない」
 そう言って、また柚巴に口づけを落としていく。
 柚巴には、それに抗う素振りすらない。
 先ほどから、柚巴はどうにも普通の状態ではないように見える。
 焦点の定まらぬその目で、この惨状を見つめている。
 普段の柚巴からは、考えられない様子。
 このような場面を目の当たりにすれば、柚巴なら、嘆き悲しむだろう。
 そして、自らこの事態をどうにかしようと、無謀な行動にでるだろう。
 しかし、その素振りすらない。
 ……一体、何を考え、そうしているのだろう。
 いや……何も、考えていない? 考えられない?
「母殺しの王子。それは、伊達じゃないね。事実、お前は、母親を死へ追いやった」
 ケイカ・ユリウスのその言葉に、ぴくりと、荒れ狂う男が反応した。
 その言葉……名には、反応せずにはいられない。
 だってそれは、この暴れ出した男の闇を担う一つだから。
 最大の光は、現在、最大の闇で染められてしまっている。
 同時に、ゆっくりと、ケイカ・ユリウスに焦点を合わせていく。
 真っ黒い憎しみに染めた、その瞳とともに。
 あの、澄んだ、スミレ色がかった金の色は、もうそこにはない。
 それを確認し、ケイカ・ユリウスは、また不気味に微笑む。
 そのような反応を待っていたとばかりに。
 さらさらと、このゆがんだ世界に比礼を舞わせ。
「生まれてすぐに、その力が暴走し、制御できなくなったのだよ。それを、お前の母親が、身をていしておさえこんだ。その時の影響で、早死にした」
 くすりと、試すように小さく笑う。
 荒れ狂う男が、今度はどのような恐怖をもたらしてくれるのかと。
 その真実をつきつけられた時。
 壊れた心が、塵へと変わっていくことを期待して。
「……嘘だ。そんなことはない……」
 わずかに、ゆがみの勢いがゆるまり、ふるえる声がもたらされる。
 何かを必死に願うように、乞うように、今、残酷な悲劇をつきつけてくるその男を見つめ。
 どうして、この男が、それを知っているのか、そのようなことは、もう考えられなくなっている。
 ただただ、その隠された過去に、動揺するしかできない。
 男を見つめる視界が、次の瞬間、遮られていた。
 目の前に流れるは、恐ろしいくらいに鮮やかな銀の波。
 勢いよく、銀が流れていく。
 その銀のでどころへと視線をずらしていくと……そこには、苦しげに世凪を見つめる梓海道がいた。
 とうとう、残酷な事実を告げねばならない時がきてしまったのかと、諦めたような眼差しが向けられている。
 ……まだ、少しはやいとその目が告げつつ。
 この悲しい定めの主の心は、それに耐え得るまでに、まだ成長していないのに。
「……嘘ではありません。わたしは、知っています。幼いながらも、すぐそばで見ていましたから……」
「梓海道!?」
 いつの間に、すぐ隣にやってきていたのか。
 それすらも気づかぬほど、世凪は正気を失っていた。
 あの場面を見ただけで。見せられただけで。
 そして、何故、今、それを告げる?
 まるで、崩壊に拍車をかけるように。
 絶望の果てのような眼差しを、梓海道へ向ける。
「ですが、あれは、世凪さまのせいなどではありません。王家には、何代かに一度、そういう子供がうまれるといいます。それが、たまたま世凪さまだったというだけです。――誰も、悪くありません」
 流れる銀髪をおさえながら、梓海道はそう言い聞かせる。
 胸の内で大泣きをしている、こどもに。
 その心は、汚れないからこそ、素直だからこそ、それほどにゆれ、傷ついてしまっているのだろう。
 崩壊へ向かっているのだろう。
 たった一つ。
 たった一つの大切なものを、目の前で奪われ、そして、ずっと封印してきた、幼い頃の心の傷。
 それが、暴かれてしまったから。
 よりにもよって、同時に……。
 ――そう。誰も、悪くはない。
 誰のせいでもない。
 それは、仕方がないこと。
 力をもった限夢人として、限夢界に生まれ落ちてきたその瞬間から。
 誰も、せめたりはしない。誰もせめられはしない。
 一つ間違えば、皆、この悲しき定めの王子と、同じ運命をたどっていたかもしれないのだから。
 つまりは、それを告げたかった。
 もう、一人、苦しまずとも、絶望の淵で泣かずともよいのだと。
 まわりに目を向ければ、悪態をつきつつも、みんな優しい眼差しで、見守ってくれている。
 それに、はやく気づいて欲しい。
 ……いや。すでに、気づいているだろう。
 どれほど傍若無人に、乱暴に振る舞ってみせても、とても傷つきやすい優しさを持っている、そのような王子だから。
 変わらず、渦を巻く嵐はつづいている。
 すべてをのみこもうと。
「嘘だ……。嘘に決まっている。俺が、母様を……!?」
 しかし、幾重にも悲しみや苦しみを積み重ねられてしまった王子の耳には、その言葉は届いていない。
 その事実を認めようとしない。
 認めないかぎり、その壁をのりこえることはできないというのに。
 ほんの少し前、その壁の一つをようやくのりこえられたというのに……。
 まだ、その心は弱かった。
 彼のいちばん弱い部分に、集中して攻撃をしかけてくる。
 なんて、残虐な男なのだろう。ケイカ・ユリウスという、その天上人は。
 柚巴がいれば、それでいいと言ったではないか。
 では、そのような悲しい過去に振りまわされず、それだけを見て、信じて歩んでいけば、それでいいはずなのに……。
 それなのに、どうしてこの王子は、それに気づいてくれない?
 梓海道の顔が、苦しみと悲しみでさらに濃く彩られていく。
「その男は、そうして、大切なものを壊していく」
 柚巴を片腕にしっかりと抱き、もう片方の腕をすっとのばす。
 まっすぐに、世凪を指し示し。
 嘲笑うように。
 弱さゆえに、大切なものすべてを自らの手で壊し、失う。
 ケイカ・ユリウスは、そう告げている。
「破壊の神に魅入られし者。その者には、代々その名が与えられる。世を凪ぐ者。――世凪」
 瞬間、全ての時間がとまったような気がした。
 それは、誰もが気づいていて、誰もが気づかないようにしていたこと。
 ずっと、目をそらしていたこと。
 真実を覆い隠し、決して外にもらさぬよう、そっと語り継がれてきた事実。
 決して、運命に流されることなく、それに抗い、正しき道を歩むように。
 その名が、与えられる。


 世凪。
 それは、与えられるべくして、与えられた名。
 破滅の申し子に――


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update:06/10/25